11-6

「何の音だ」


 男のその言葉が、地下の彼らに動揺を招き入れた。

 男たちはしかめた顔を見合わせ、視線でお互いの意思を伝える。

 誰かが様子を見にいかなければ。


 白羽の矢が立ったのは、降り口近くにいた男だった。

 切れ長の目の男は、その男に目配せをする。

 降り口の近くの男は若く、無鉄砲な性格をしていた。

 切れ長の目の男の視線を受けて、男は強がるように頬を歪めた。

 うなずいた彼は、剣を抜いて階段を駆け上がった。


 そして、悲鳴が届けられた。

 その声は先ほどの若い男のものだった。

 不安が一気に緊張へと昇華する。

 ドミニクという、死に体の男にかまける暇はなかった。


 剣を握る手に力がこもる。

 2人は視線を合わせ、恐る恐る降り口へと向かっていく。

 ぽっかりと開けた、地下の出入り口。

 その口を挟むように、2人は壁に背を付けて、階段を覗いた。


 足音が聞こえた。

 上から誰かが降りてくる。

 2人は息を潜め、タイミングを合わせる。

 次第に大きくなる足音とともに、2人の心臓も早鐘を打つ。


 黒い革靴が闇の中に見えた。

 2人は息を合わせ、闇の中に剣を突き出した。

 手応えがあった。

 肉を貫いた死の感覚。

 だが、それに不可欠な呻き声や悲鳴が聞こえない。


 男たちは闇に目を凝らした。

 そして気がついた。

 彼らが貫いたのは、仲間のあの若い男だった。

 彼はすでに死んでいた。

 首を切られたのだ。

 止めどなく血が溢れ、白い顔になった彼に世の気配を感じなかった。


 怖気が2人の背中を撫でる。

 若い男の背後に、もう一つの影を見つけたからだ。

 影は若い男の影から出ると、瞬く間に2人の間を抜ける。

 男の体から剣を抜いたが、身を守る盾にはならなかった。


 影の動きは素早かった。

 刃が闇の中に煌き、迸る血液が闇を彩る。

 足元に広がる血溜まり。

 意図せずに崩れていく、自分の身体。

 切れ長の目の男は、もう1人の男と視線があった。


 死に向かっている男の顔。

 彼の首から血の河が流れ出ていく。

 その河は男の体温をも飲み込んで、冷たいコンクリ床の上に広がっていく。


 彼は死ぬだろう。そして自分も。

 体は寒気に包まれ、意識は白く濁っていく。

 視界の端に黒い革靴が見えた。


 自分を殺した影が、男を見下ろしていたのだ。

 男は目を動かし、靴の先をおった。

 見えたのは振りあげられた靴と、黒々とした靴底だった。





「ジム……」


 ドミニクは虫の息だった。

 すぐに治療が必要なのは明確だ。

 ナイフで縄をほどき、倒れかかってくる彼の体を受け止めた。


「遅れてしまい申し訳ありません。ここを出ましょう」


 ドミニクを背負って、血に彩られた地下室を出た。

 階段を上がっていくと、男たちの血が追ってきた。

 靴に彼らの血がついていたのだ。

 灰色の階段を、赤黒い靴跡がなぞっていく。


 階段にたどりつき、左右を見た。

 人影はいない。俺の侵入はまだ察知されていない。

 だが、それも長くは持たないだろう。


 俺はその足で、玄関へと向かった。

 邪魔をするものはなかった。

 中にいた見張りたちは、全員片付けていたからだ。

 この家に残されたのは血と、いくつかの死体だけだ。


 玄関の前には見張りの男たちが談笑している。

 が、次の瞬間には彼らの頭部を、ボウガンの矢が貫いた。

 ヴィオラがやってくれた。

 崩れ落ちる2人を見送ると、ドアを開く。

 外の冷たさが、開放の実感とともに体を撫でた。


「すまない、迷惑をかけた」


 蚊の鳴くような声で、ドミニクは言った。


「謝らなければならないのは、自分の方です。貴方が救ってくれなければ、私は今ここにはいません」


 俺は物陰に潜みながら、きた道を引き返して行った。

 ばれそうになった時は、ヴィオラの矢が敵を排除してくれる。

 こんなにも彼女の監視が心強いと思ったのは初めてだった。


「誰か、他にいるのかね」


ヴィオラ守護天使が見守っていてくれています」


 軽い冗談のつもりだった。

 ヴィオラは天使と言うには、彼女は血で汚れ過ぎている。

 ドミニクはわずかに頬を緩めたが、すぐに苦痛が彼の顔を歪めた。

 あまりぐずぐずしていられない。

 死体を飛び越え、丘へと向かった。


 背後を見たが、追ってがくる気配はない。

 だが死体には気づかれたようだった。

 廃村の中で、小さな明かりが慌ただしく蠢いている。


「あいつがいないぞ、探せ」


 乱暴な声が闇に響いた。

 ドミニクを背負い直し、俺はまた駆け足で坂を登った。

 ヴィオラはすぐに見つかった。彼女は俺とドミニクを見る。


「さっさと逃げましょ」


 疲労感と達成感とを噛みしめながら、彼女は馬鹿にするような笑みを浮かべた。


 先に俺が行き、ヴィオラが背後を気にしながらついてくる。

 馬にドミニクを乗せてから、俺も乗り込む。


「しっかりつかまっていてください」


 ドミニクの両手が俺の腰に回される。

 手綱を振ると、馬は勢いよく走り出した。


 丘を離れ街道に出た。

 追手の気配は微塵もなかった。

 馬の速度を緩め、ドミニクの体に響かないように気をつけた。


「ドミニクさん。起きていますか」


 俺は前を向きながら尋ねた。

 彼は無言のまま、俺の腕を叩いた。

 それが返事だった。


「庭師を、辞めさせてもらいます」


 ドミニクの体が動いた。

 何かを言う気配があったが、構わず俺は言葉を続けた。


「本来ならもっと早くに決断するべきでした。貴方やジョナサンに甘えたせいで、こんなはめになった。貴方をそんな体にしたのも。巻き込んでしまったのも。すべては自分のせいです」


「そんなことはない」


「いいえ、大いにありますよ。むしろ、それが原因だ」


 地平線から太陽が昇る。

 朝焼けが闇を晴らし、涼しげな風にほのかな温もりが混じり始めた。


「貴方を知り合いのところに送り届けます。それが済んだら、もう貴方の前に姿を現すことはないでしょう」


 ドミニクは何も言わなかった。

 その沈黙は彼の理解と、諦めとが含まれているような気がした。

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