8-3

 独り身の女性の部屋。シモンの部屋。

 小物が置かれていると思っていたが、案外ものは少なかった。

 ベッド、タンス。丸いテーブル。

 生活に必要な、最低限の物だけで部屋は構成されていた。


「悪いけど、私も彼の行方については何も知らないわ」


 ベッドに腰を下ろしたシモンは、腕を組み、不満げにそう言った。


「でも、ここには来たんですよね」


「ええ。指輪を届けにね。まさかあなたが、あんなコントロールよく投げれたなんて。学生だと思って油断したわ」


 シモンは感心する様な口調で言う。

 実際は無我夢中で投げた一投が、たまたまネックレスを引きちぎっただけなのだが。


 カタリナは肩をすくめ、その思いを脳内にしまい込む。


「それで、ジムさんがその後どこに行ったのかは……」


「残念な事にわからないわね」


「そうですか……」


 あてが外れ、ジムへの手がかりは途絶えた。

 その事実が、カタリナに落胆を与えた。


「じゃあ、ジムさんをどうして追っていたんですか」


「それも教えないとならないのかしら」


「父に調べてもらうこともできますが、それでも構いませんか」


「……勘弁してよ、もう」


 額を抑えて、シモンは深々とため息をこぼす。


「あなたといい、あの男といい。ジョナサン・ビルゲートを使って脅すのが得意ね。ほんと」


「私は脅しているつもりはありませんけど」


「だったら、考えを改めることね。貴方の父親は軍の中でも、嫌われ者で有名だから」


「軍?」


「そう。私は軍に所属しているのよ。教師は任務のために偽っている、表の顔というわけ」


 カタリナは言葉を詰まらせる。まさか軍人だとは、思いもよらなかった。


「意外かしら」


「ええ。まあ。でも、だったらなぜ……」


 言いながら、彼女は見当がつき始めていた。

 軍が動くとなれば、何かしらの犯罪がついて回る。

 それが大きいか小さいかと言えば、それなりに大きいに違いない。

 そして、彼は過去から現在において、犯罪の匂いがついて回っている。


「ジム・フランコの素性を洗うためよ。殺人事件の容疑者としてね」


「殺人」


 その犯罪は、ジムとってはめずらしくもないことを、カタリナは知っていた。

 彼の過去の経歴、その秘密を共有するものとして、それは当然のことなのかもしれない。


 しかし、それをシモンは知らなかった。

 シモンはカタリナの緊張を、犯罪の恐怖からのものと見た様だ。

 彼の過去を明かさぬ様に、気を張っていたに過ぎない。


「そう。彼は三人の男を殺し現場から逃走。見事な手並みだったそうよ」


「そう、ですか」


「現場近くでジムらしき男を見たって、浮浪者と娼婦の証言を得られたの。だから学校に進入して、素性を調べようとした。けど、失敗に終わったわね。こっちの素性はバレちゃうし、向こうは行方をくらませたんだから」


 シモンは天井を見上げ、軽い舌打ちをした。

 かなり苛立っている様だ。

 だがその苛立ちはカタリナではなく、もっと別の誰かに向けられている様だった。


「でも、いいんですか。そこまで話してしまって」


「あなたが聞いたんでしょう」


 シモンは不服そうに言った。


「そうですけど。その、機密の漏洩とか」


「大丈夫よ。もう終わった事だもの」


 シモンは肩をすくめ、そして自重気味に吐き捨てた。


「終わったって」


「これ以上、ジムについて調べるなってお達しがあったのよ」


 ため息の後に、シモンはこれ見よがしに舌打ちをした。


「どうして、そんな事に」


「どうやら上層部から圧力をかけられたみたい。何があったのか知らないけど、こっちはいい迷惑よ」


「まさか、ジムさんに何かあったんじゃ……」


「そうだったら、残念だけど、諦める他にないわね。でも、あいつがそう簡単に死ぬなんて思えないわ。それよりか、上層部の連中が何かを企んでると考えた方がいいわね。もしくは、誰かのお願いをかなえてやったか」


「誰かって、誰です」


「上層部のお友達。それも、滅多に顔を出さないタイプのね」


 シモンは肩をすくめる。

 両手をベットにつくと、両手を支えにして、体をのけぞらせる。

 正体を明かした事で、緊張が彼女の体から抜け出た様だ。

 すっかりリラックスした様子で、首を回し、うんと背筋を伸ばす。


「これから、先生はどうなるんですか」


「教師として過ごしながら、次の命令を待つわ。引き続きジムを追うか。もしくは、このまま老後まで教師を続けさせるか」


「軍を辞めるんですか」


「辞めるというより、追い出されると言った方が近いかもね。もともと私をここに寄越したのだって、手っ取り早く私を軍から外したがっていたからなのは、見え見えだったから」


「軍で、何かあったんですか」


「……色々、あったわよ」


 苦笑を浮かべ、ポツリと漏らす。

 立ち入ってはいけない。カタリナはそう直感した。

 無闇に触れたり、聞いたりしてはいけない。

 人間の秘匿すべき事情。

 それは個人のものであり、他人が無作法に手を入れていい代物ではないのだ。


「もう満足したかしら」


「えっ、あっ。ええ」


「そう。ならよかった」


 カタリナは腰を上げて、玄関へと向かう。

 シモンは動かなかった。見送る気は、起きなかった様だ。

 玄関を開けたカタリナは、ふとシモンを振り返った。


「上層部の事情。調べてみませんか」


「調べるって、どうやって……」


 言いかけて、どうやらシモンにも見当がついたようだ。


「お父さんを、巻き込むってわけ」


「きっと、父も興味を持つと思います。もちろん、先生がよろしければ。ですけど」


 シモンは顎を撫でて、考えを巡らせた。

 そして、彼女の口元に笑みがこぼれたのをみた、


「蛇に蛇を差し向けるのは、案外いいかもね」 


 不敵な笑みを浮かべ、シモンはうなずいた。

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