8-2
シモンは宿舎を離れる。
早々に校門を潜り、外に出た。
歩道脇で馬車を捕まえ、荷台に乗り込む。
御者に向かう場所を伝え、馬車は走り出した。
校門の影。
シモンから少し離れていたカタリナは、そこから馬車を見送った。
角を曲がったところで、馬車の姿は見えなくなる。
カタリナは踵を返すと、校舎の中へと入った。
向かったのは事務員のいる一階。
手の空いている職員を探すと、ちょうど中年の職員が、デスクに居座っていた。
「すみません」
声をかける。
すると、職員は席から立ち上がり、カタリナのところへやってきた。
「何かようかね」
「シモン先生のご自宅を教えて欲しいんですけど」
「シモン先生? 何だ、君もか」
「君も?」
「ああ。夏休みの時に庭師のジムが、君と同じようにシモン先生の住所を聞いてきたんだ。落とし物の指輪を届けるとか言ってね」
カタリナは、確信をついたような気持ちになった。
ジムは、あの指輪の持ち主に、すでに検討をつけていたのだ。
「そういえば、今日は彼の姿を見てないな」
職員は顎を撫でながら、外を見た。
まるで今にもジムが来るのではと、期待をするかのように。
だが、彼は姿をあらわさず、入ってくるのは蒸し暑い熱風だけだ。
「そのジムさんの行方のことで、先生に聞きたいことがあって」
「やめときなよ。どうせフラれて家でいじけてるのさ。放っておいた方が、彼のためだ」
「お願いします」
カタリナが詰め寄ると、職員はたじろいだ。
「……あの男も、意外と手が広いな」
ブツクサと呟きながら、メモ紙にペンを走らせる。
「ほら、これが彼女の住所だ」
「ありがとうございます」
メモ紙を握り締めて、カタリナは校舎を出る。
歩道に出て馬車を捕まえると、急いで荷台に乗り込んだ。
「ここに行ってください」
メモ紙を御者に見せる。
御者は怪訝そうに顔をしかめたが、すぐに手綱を降って、馬車を進めた。
シモンのアパートの前に来た。
カタリナは場所を降りて、メモに描かれた部屋を目指して中に入る。
階段を上がり、二階の廊下を進んでいく。
シモンの部屋を見つけた。足音を潜めて近づいていく。
「どういうことですか!」
中からシモンの怒声が聞こえてきた。
カタリナは息を殺し、ドアを耳につける。
「ええ……ええ……。納得なんてできるわけないでしょう。みすみす見逃すなんて。……そんなバカなこと」
苛立った声で誰かと話している。しかし相手の声は聞こえない。
「理由を詳しく教えてください。上層部がどうして今頃になって動くんです。……そんな、ちょっと待って……もう」
柔らかい何かの上に、硬いものが落ちる。
そんな音がした。シモンは深々とため息を溢す。
どうやら、彼女はただ教師ということではなさそうだ。
それだけは、カタリナにもわかった。
ドアをノックしようか。それともしないか。
迷っていると、部屋の中から足音が近づいてきた。
どきりとした。
一瞬隠れようかとも思ったものの、カタリナはその場を動かないことにした。
中の施錠が解かれ、ドアが勢いよく開かれる。
カタリナは背後に下がって、ドアを避けた。
「あなた……」
シモンは目を見開いて、カタリナを見た。
「どうしてここにいるの」
「ジム・フランコさんについて、お話を伺いたくて」
彼の名前を言うと、シモンは虫を噛み潰したような、苦い顔をした。
「彼のことは、あなたの方が知っているんじゃないの」
「彼の行方を知りたいんです。ここにきてますよね」
「何かの間違いじゃないかしら。ここに来た人は、あなたが初めてよ」
「……本当ですか」
「ええ。本当よ。もういいかしら。ちょっとこれから出かける用事があるんだけど」
「あなたの上司のところですか」
カタリナが口にした途端、シモンの視線が鋭くなった。
それは教師が子供に向けるものではない。敵意にあふれた目だった。
「……何のことかわからないわ」
シモンは敵意を目の奥に隠して、部屋を出てきた。
カタリナに背中を向け、ドアに鍵をかける。
「あなたですよね。私とジムさんを尾けていたのは」
シモンの動きが止まった。
「ジムさんはあなたに指輪を届けるためにここへ来た。その指輪は、私たちを追っていた、追跡者のもので間違いありません」
シモンは何も答えなかった。だが、カタリナは言葉を続けた。
「私はあの日のことは、父には何も言ってません。ですが、父の耳に入れれば、徹底的に調べるはずです」
「……私が、関係があるとでも」
「あなたがあの日どこで何をしていたか。調べればわかることだと思いますが」
カタリナは口を閉じ、シモンの言葉を待った。
シモンは深くため息をつき、ドアの鍵を開けた。
「話は、中でしましょう」
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