7-2

「気がついたようだな」


 目が覚めると男の声が聞こえた。

 見慣れない天井、それから首を動かして、声の方へと顔を向ける。

 ドミニクがソファに座って、こちらをじっと見つめていた。

 そして思い出した。そういえば自分は、彼の家に転がり込んだのだ。


「すみません。ご迷惑をかけました」


「迷惑じゃないさ。少し驚いたがね」


 葉巻を燻らせて、ドミニクは肩をすくめた。


「……理由は、聞かないんですか」


「聴いて欲しいのかね」


 葉巻を口に咥え、深く息を吸い込む。

 葉巻の先端が煌々と赤く光り、茶色の葉巻を黒へ、そして灰色へと変えていく。

 長くなった吸殻を灰皿に落とすと、彼はたっぷりと蓄えた紫煙を、中空へと吐き出した。


「君が突然やってくる時は、何かのトラブルに巻き込まれた時だ。それも、あまり深い入りしたくない様な類であることが多い。今回がそうでないといいんだが、どうかね」


「……面倒ごとです」


「なら、聞かないでおくよ」


「すみません」


「……薬を用意しよう。気休めでも、楽になるだろう」


「いえ、お気になさらず」


「君の着替えを取りにいくついでだ。その格好じゃ、居心地は悪いだろ」


 言われて……気づいた。

 服が脱がされていること、そして、体に水気がないことを。


「……すみません」


「少し待っていてくれ」


 そう言って、ドミニクは苦笑を浮かべた。

 葉巻を灰皿にたてかけ、彼は居間を出て行ってしまった。

 静かな部屋に聞こえてくる、雨の音。漂う葉巻の香り。

 部屋を照らすのはテーブルに置かれたランタンだけ。

 その明かりが、俺の影を床に伸ばしている。

 耳と鼻に感じながら、ひとつ息を吐いた。


 山中を歩きながら、地図の端に見慣れた街の名前を見つけた。

 シェンバー。ドミニクの自宅のある街だ。

 普段は宿舎で生活をするが、学校が長期休暇に入ると、シェンバーにある自宅で過ごしている。


 他に頼るあてもなく、俺は無理やり家の中に転がり込んだ。

 ドミニクにしてみれば、いい迷惑だっただろう。


 葛藤と申し訳なさ。

 それを上回る疲労と体調の不良。

 ドミニクと彼の奥方には本当に迷惑をかけたに違いない。

 一人きりになってますます、自己嫌悪と後悔が助長されていく。


「これを着てくれ」


 ドミニクが戻ってきた。

 折りたたんだ衣服を脇挟み、手には水の入ったコップと錠剤の入った瓶を持っている。


 テーブルにコップとビンを置き、俺に衣服を手渡す。

 下着。黒のスラックスとジャケット。それに白いシャツとネクタイ。


「サイズは合うはずだが、きつくても我慢してくれ」


「ありがとうございます」


 早速俺は着替えを始める。その間、ドミニクは静かに葉巻を吸っていた。

 俺が着替えを済ませるのと、彼の喫煙が終わりを迎えたのは、ほぼ同時だった。


「私は先に休ませてもらうよ。ソファは、好きに使ってくれて構わないから」


 葉巻を灰皿に押し付けて消し、ドミニクは居間の奥の部屋へと向かっていく。


「今日は、すみませんでした」


「……謝らんでも、いいさ。薬は二錠服用する様にな。それ以上だと、睡眠作用が強すぎるから」


 そう言って、ドミニクは手を振りながら、部屋の中へ消えていった。

 彼の背中を見送ると、テーブルを見た。

 コップと瓶。それに、見慣れない封筒が置いてある。

 俺が着替えている間に、ドミニクが置いていったらしい。


 コップと瓶を取りながら、封筒を取る。

 裏面には俺の名前が入っている。

 封筒の上部を引き裂いて中を開く。

 入っていたのは折り畳まれた一枚の紙。

 開きながら、俺はソファに腰を下ろした。


『良心のささやきに従って、これを君に残す。君の居所を彼ら・・に伝えた。健闘を祈る』


 たった一行の短い文章。

 だが、その短さ以上の衝撃と不安が俺を襲った。

 ドミニクの言う彼らとは、ブロクソス彼らのことを言っているのか。


 疑問はひっきりなしに湧いてくる。

 だが、それは現時点で最優先の問題ではない。

 今優先すべきなのは、一刻も早く、ここを出ることだ。

 もはやここは、安住の場所ではなくなったのだから。


 ソファから立ち上がったのと同時に。

 チャイムの音が静寂を破った。

 心臓が、跳ね上がる。

 息を潜め、ランタンの明かりを消した。

 居間は闇に閉ざされ、視界が黒に染まった。


 ドミニクが出てくる気配はない。

 また、チャイムが鳴った。

 やはりドミニクは出てこない。

 彼の奥方も出てこないのを見ると、ドミニクが止めているだろう。


 俺は当たりを見渡した。

 武器になりそうなものは何もない。

 ただ一つ。手元にあるグラスを除いて。

 俺は水を飲み干しグラスを叩き割った。

 その中で大きめの破片を拾い上げ、指の間に挟む。


 すると間もなく、ドアの開閉の音が聞こえてきた。

 忍足で近づいてくる、足音。

 気配を殺して、俺は入り口側の壁際まで行き、息を潜める。


 居間に入ってきたのは、4人の男たち。

 禿頭。赤髪。金髪。そして黒髪の剃り込みを入れた男。

 同じ体躯。同じ黒のスーツ。手には剣とナイフを握っている。


 剃り込みの男が俺の方を見る。視線を交わしたのは一瞬。

 先に動けたのは、俺だった。

 グラスの破片を指に挟んだまま、握り拳を作る。

 そして男が声を上げる前に、拳を男の喉に叩きつける。


 くぐもった呻き声。

 拳を離すと、首から潜血が飛び散った。

 素早く剃り込みの剣を奪い取り、3人の男たちに向かって蹴り飛ばす。


 赤髪がはまともに受け止めてしまい、男もろとも床に倒れた。

 が、残り二人は仲間を気に掛ける様子はない。


「ブロクソスの人間か」


 返答はなかった。

 倒れた剃り込みを脇に退かして、赤髪が立ち上がる。

 それを待ってから、三人は俺を囲う様に距離を詰める。


 居間の出入り口は男たちの背後。

 逃げるとなれば、背後にある窓しかない。


 威嚇もつもりで、男たちに向けて剣を横なぎに振る。

 瞬間、男たちとの距離がわずかに開いた。

 その隙に剣で窓を叩き割り、外に飛び出した。


 冷たい雨が、俺の体を打ち付ける。

 衝撃を転がることで逃すと、俺は立ち上がり辺りを見た。

 横なぎにやってくる鋼の光。

 間一髪のところで剣で防ぎ、すぐに距離を取った。


 外にはさらに4人の男たち。

 スーツには雨が染み込み、黒をより際立たせている。

 俺の前後左右を囲むと、じりじりと囲を狭くしていく。

 俺は体から力を抜き、じっと彼らの動きを見つめた。

 後方から感じた殺気。瞬間的に半身になると、背後から剣が振り下ろされた。


 剣は石畳を捉え、甲高い音色を響かせる。

 前のめりになった背後の男。

 その顎に肘を喰らわせる。

 前歯がかちあう硬い音。

 男はタタラを踏んで背後へと後退した。


 その隙に俺は一目散に通りを駆けた。

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