6-11
体に触れる、冷たい感触。
水とか氷の様なものじゃない。
もっと重みのある、巨大な何かだ。
かすかに匂ってくるのは、土の匂い。
意識がはっきりしていくにつれて、その匂いはより強く、俺の鼻をくすぐってくる。
ジャリジャリとした舌触り。
目を痛めつける細かい何か。
目を擦ろうとしても、何かがのしかかっていて、体が自由にできない。
ここは何だ。
どこに連れてこられたんだ。
そう思いながら、俺は徐々に薄めを開けた。
黒い空と白い星。
それを背景に、ランタンを持ったヴィオラの泥だらけの顔が、目に飛び込んできた。
「あなた、本当運がいいわ」
目を細めて、ヴィオラが言った。
「ここは、どこだ」
「山の中よ。あなたはここで、埋められてたの」
ヴィオラに言われて、改めて自分の体を見た。
首から下が黒い土に埋まっている。
なるほど、通りで体の自由が効かないわけだ。
「どう? 生き埋めにされた気分は」
「いいと思うか」
「全然、不機嫌にさらに磨きがかかってる様に見えるわ」
「だったら、早くそこをどいてくれ」
「命の恩人なんだから、少しはへりくだった態度を取ったらどうなの。私がいなくちゃ、ここで埋められたままになってたかもしれないのに」
「いいから、早くどいてくれ」
「もう……彼を掘り起こして。くれぐれも、傷を付けない様にね」
ヴィオラが呼びかけると、スコップを持った男たちが、闇の中から姿を現した。
ヴィオラはその場から退くと、男たちは容赦無く、土にスコップを突き刺していく。
土の下にある俺の体など、気にしているそぶりは微塵もない。
しかし、彼らは器用に土と俺とを分けているらしく、スコップの先が俺の体を貫くことはなかった。
黙々と作業が続けられ、みるみると体から重みがなくなっていく。
体を起こし、自分で立ち上がるまでに、10分とかかることはない。
服についた土を払いながら、口に入った砂利を吐き出す。
「今日は散々だったわね」
俺が立ち上がると、ヴィオラは俺の隣に来て、背中についた土を払い落としてくれた。
「すまん」
「ほんとそうよ。私の立場も考えて欲しいわね」
言いながら、ヴィオラは俺の背後をぐるっと回って、俺の前にやってくる。
背中の土はすっかり落ちた様で、肩にかかる重さがすっかり軽くなった。
「体調はどうかしら」
「殴られたところ以外は、痛みはない」
「それなら、大丈夫そうね」
ヴィオラは男たちに視線をやる。
すると、彼らは彼女に頭を下げて、その場から立ち去っていく。
彼らが遠く闇の中を下っていくと、ヴィオラはポケットから丸めた紙を取り出した。
「ここの地図よ。これを頼りにすれば、近くの町まで行けるはず。ランタンも持っていって。今いる場所は、この辺りだから」
ヴィオラが紙を広げた。
確かにそれは地図にほかなく、この辺りの山の起伏や道が事細かに描かれている。
ご丁寧に地図上には黒い丸が打たれていて、ヴィオラはそこを指差しながら、言った。
「お前は、大丈夫なのか。こんなことをすれば、お前の立場が危うくなるぞ」
「私を誰だと思ってるのよ」
そう言うヴィオラは、いつもの様に、得意げに笑ってみせる。
「貴方に心配されなくても、うまいこと取り繕うわよ。それに、危ないと思ったらすぐに逃げるわよ」
「だが……」
「他人のことを心配している場合じゃないでしょ。早いとこ、逃げちゃいなさいよ」
ヴィオラは地図を丸めて、ランタンと一緒に俺の手に握らせる。
「くれぐれも、見つかるんじゃないわよ。せっかく私が命を張って、貴方を助けてあげたんだから。みすみす落っことさない様に気をつけなさい」
「……すまない」
「何を辛気くさい顔してんだか。貴方には全っ然似合わないよ」
苦笑しながら、彼女の手が頬を撫でた。
その途端、古傷が疼く様に、また心の端がどくりとはねた。
「ほら、ちゃっちゃと行っちゃいなさいよ」
ヴィオラの手がするりと離れた。
後ろ髪をひかれるような、妙な寂しさが、俺の心にわずかに穴を開けた。
その穴を隠す様に、俺は顔を引き締める。
「この借りは、必ず返す」
「美味しい食事と一緒にね。この前のあそこ、思ったより高くついたんだから。あそこよりもっと上等なものをお願いね」
「……努力する」
「冗談よ。でも、そうね。貴方のおすすめの店に連れてってよ。それでトントンにしてあげるから」
「探してみよう。だが、あまり期待するなよ」
「それは無理ね。期待してるから、必死になって探しなさいな」
ヴィオラはくすりと笑って、俺の肩を叩いた。
彼女に促されて、地図を頼りに森の中を進んでいく。
が、途中で立ち止まり、振り返る。
「何かあれば、いつでも言え。俺に出来ることなら、やってやる」
「それが殺しでも、かしら」
「……いやなところをつくな」
「それじゃ、ベッドの相手で勘弁してあげるわ。予定、開けておきなさいよ」
この女に同情するんじゃなかった。
後悔と、かすかな、そして不本意な安堵を感じながら。
俺は止めていた足を動かした。
胸ポケットにとっておいた最後のタバコ。
ヴィオラはそれを口に咥えながら、薄ら笑いを浮かべた。
マッチをすり火を灯す。深く息を吸い、紫煙を口いっぱいに味わう。
「……あれはあれで、可愛いかもね」
ジムが聞けば、おそらく嫌な顔をするに違いない。
でも手を出してこないのは、分かってる。
そこは昔から変わってない。
昔から、彼はヴィオラには甘い。
ヴィオラが、彼に甘い様に。
「本当、バカしちゃったわ」
彼が死のうと、私が生きるためには仕方のないこと。
そう覚悟していたつもりだが、どうやら足りなかったらしい。
まんまとあいつを助けて、余計な荷物を背追い込んでしまった。
これから立ち回りにも余計に気を使わなければ。
だが、不思議と後悔はなかった。
これでいい。あの人には、まだ生きていてもらわなければ。
少なくとも、自分が死により前に、死んで欲しくはない。
「……丸くなったのは、私の方かもね」
タバコの灰が落ちた、その時。背後で枯れ葉を踏み締める音が聞こえた。
振り返るまもなく、彼女の首に鋭い何かが刺さる。
目を動かせば、それは注射器だ。
注射器の先には、黒革の手袋をはめた男の手があった。
「……あ〜あ」
ヴィオラはその呟きを最後に、意識を失った。
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