5-7

 ジョナサンとベラに別れを告げて、俺は一人学校へと戻った。

 カタリナは休みが終わる間、あの家で過ごすことしたようだ。

 もちろん、それは彼女の本意ではなく、ベラにそう言いつけられたからに、他ならないのだが。


 むしろ彼女は、俺について言って、あの尾行者について調べようと思っていた。

 半ば足を踏み込んだ件を、最後まで見届けたい。

 好奇心と義務感が、彼女を突き動かしていた。


 彼女が深く関与することではない。

 俺は一応の説得はしたが、彼女は納得している様子はなかった。


 だが両親に止められれば、話は別だ。

 どれだけ反抗しようと、両親の恐ろしさは、彼女が一番に理解している。

 1番手っ取り早く両親から逃れるには、了解して見せるしかなかった。


「わかったら、私にも教えてくれ」


 まるで食ってかかるように、彼女は俺の襟を掴み頼んで見せた。


 が、彼女の要望に答えることはないだろう。

 教師として転任してきた女が、尾行者である。

 そんなことを彼女に言えば、間違いなく校長に相談するだろう。

 そうなれば、真相を知る前に、あの女は雲隠れするに違いない。


 学校までの長い帰路。

 向かう時は退屈で仕方がなかったが、戻りは頭をよく回転させた。

 カタリナに対する言い訳と、尾行者を調べるために、どうやって調べるか。

 考えを巡らせるには、都合のいい時間だった。


 一晩宿に止まり、学校に着いたのは、昼ごろのことだった。

 馬車を降りた俺は、馬車を降りると真っ直ぐに校舎に向かった。

 校舎の一階にある、事務員室。

 そこには常時職員が待機している。


 が、長期休暇とあって、いつもより人数が少ない。

 ちらほらと机が埋まっているだけで、ほとんどの机には持ち主の姿はなかった。


「すみません」


 声をかけると、ゴマシオ頭の初老の職員が、面倒くさげに頭を上げた。


「何でしょう」


「シモン・ミッドランド先生、学校にきてますか」


「シモン先生? いないよ。数日前に休暇に入ったばかりだからな」


「そうですか」


「何かあったのかね」


「いや、庭に落とし物があって、シモン先生のかと思って。これなんですけど」


 俺はポケットから、あの首飾りを職員に見せた。


「ほらここ。イニシャルが入ってるでしょ」


「S.M.なるほど。確かに、シモン先生のイニシャルだな」


「確認がてら、先生に確かめたかったんですけど。そうですか、学校にいませんか」


「よければ、うちで預かっておこうか」


「……いや、先生のところに伺ってみます。住所ってここでわかりませんか」


「落とし物のために、そこまでする必要はないだろ。それとも、他に何か理由があるとでも」


「それは……その……」


 もっともな質問にたじろぐ、演技をする。

 正直ここからが肝心なのだが、二の足を踏んだ。

 嘘をつくこと。それ自体に気が引けるわけじゃない。

 問題はそれ以外。

 噂という一過性の流行に対して、少し憂鬱に思うだけだ。


「何か個人的な理由でもあるのか」


 受付のカウンターに両肘をついて、職員は俺の顔を覗いてくる。


「個人的なのはそうなんですが、その……彼女って独り身かどうか、ついでに聞きたくて」


「……ん? もしかしてあれか。彼女とお近づきになろうって腹か」


「……まぁ」


 歯切れ悪く答えると、職員は喜色ばんだ表情に変わった。


「そうかそうか。そういうことか」


「別に、変な意味があるわけじゃ……」


「いいって、皆まで言うな。ちょっと待ってな」


 にやけた口元をそのままに、職員は部屋の奥へと向かい、棚の前に立った。

 取り出したのは、一冊の名簿。

 名簿を開き、ページを繰る。

 目当てのページを見つけたらしい。


 見開きの名簿を机に置くと、メモ用紙にペンで素早く筆記する。

 用紙をめくり取ると、名簿をしまう。

 そして俺のところに戻ってきて、めくりとったメモ用紙を渡してきた。


「憶えたらすぐに捨てろよ。くれぐれも証拠は残さないように」


「ありがとうございます」


「頑張れよ。君に幸あれだ」


 職員は俺の肩を叩きながら、勘違いの励ましをくれた。

 俺は苦笑を浮かべながら校舎を出て、メモ紙を見た。

 彼女が暮らしているのは、街中のアパートのようだ。

 住所と部屋番号。それを頭の中に残すと、歩きながら紙を小さく破る。

 そして学校の側溝の中に、紙片を捨てる。

 水流に乗って紙片は水に浸りながら、遠くに流れて行った。


 歩道を歩きながら、近くに来た馬車を捕まえて、荷台に乗り込む。

 行き先を御者に伝えると、静かに馬車は走り始めた。


 一時間もしないうちに、件のアパートの前にきた。


 アパート自体は、古くもなく新しくもない。

 白い外壁。三階建ての建物には、丸みのある窓が正面を向いて並んでいる。


 馬車を降りた俺は、玄関を潜る。

 ロビーには老婆の大家が、カウンター越しに俺を睨みつけてきた。

 俺は視線を合わせることなく、階段を上り、目的の部屋へ急ぐ。


 二階へと上がり、廊下を進む。

 彼女の部屋は、廊下の中程にあった。

 二つの部屋の前を横切って、ドアの前に立つ。

 部屋番号は間違いない。一つ呼吸をついてから、ノックをした。


 返事はなかった。

 ドアノブをいじってみるが、きちんと鍵はしまっている。

 留守のようだ。


 廊下の左右を見て人影がないことを確認する。

 ポケットに手を入れて、細い針金を二つ取り出した。

 二本の針金を鍵穴に差し込み、ドアに耳を当てる。

 カチカチと金属が触れ合い、嬢の内部をいじっていく。

 数十秒の格闘。

 そしてあった、確かな手応え。

 ドアの留め金が外れ、かちゃりと勝利の音が聞こえてきた。


 針金をポケットにしまい、ドアノブを握り、押し開ける。

 ドアは何の障害もなく、開かれた。


 玄関の左脇には洗面台。

 右側には調理場が設けてある。

 その間の細い通路を進んでいくと、寝室とリビングを兼用した部屋にでた。


 その他に部屋はない。

 モーテルやホテルの一室のようだが、部屋の様相はそれ以上に質素だった。


 室内にはタンスとベッド。

 それに丸い机がカーペットの上に置いてある。

 女の部屋とは実際にはこんなに簡素なものなのかと、少し肩透かしを食らった気分になった。


 だが、そんな気分は一瞬で消えた。

 時間をかけるわけにはいかない。素早く行動をしなければ。


 衣服の中。下着の下。

 タンスの裏。ベッドの下。

 枕の中。布団の羽毛の中。


 目につく場所から巧妙と思える隠し場所まで。

 ありとあらゆる場所を探す。

 シモンに関すること。

 それも彼女が公表していない、隠された経歴についてのものを。


 俺を探しているということは。

 組織がらみか、怨恨がらみ、もしくは犯罪がらみしか考えられない。

 どれが目的にせよ、彼女がどこから遣わされたのか確かめることに変わりない。


 部屋をあらかた探し終えて、次に洗面所へと向かう。

 壁につけら得たテーブルの上には、化粧道具が置かれている。

 銘柄はどれも馴染みがない。

 いや、馴染みがない方が自然なのだが。


 シンクの下には何もなく、戸棚の中も特に不自然なものはない。

 となれば、もっと別の場所。

 視線を動かすと、洗面台の上の換気口が目についた


 俺は机をよじ登り、換気口をカバーを外す。

 腕を突っ込むと、手応えがあった。

 何かの袋だ。取り出してみると、包装紙で包まれた何かがあった。


 あたりか。

 そう思いながら床に降りた時、洗面所の外から気配を感じた。


「動かないで」


 視線を向けるまでもない。が、顔を向けた。

 そこには、シモンが立っていた。ご丁寧にナイフの刃先を、向けた上で。

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