5-6
精算を済ませ、俺たちは店を出た。
「また来てね」
ロゼッタが娘を連れて、玄関まで見送ってくれた。
少女は俺たちが人混みに消えるまで、手を振ってくれる。
カタリナは時折立ち止まりながら、娘に向かって手を振り返していた。
人混みに紛れて、通りを進む。
それに連れて人混みが少なくなり、人の足が少なくなっていく。
街の終わり。通りの店は軒並み少なくなり、看板のない住居が目立つようになる。
「じゃ、そろそろ」
カタリナは呟くと、一人路地に折れて闇に消えた。
横目に見送りつつ、俺はさらに奥へと進み、路地を折れた。
路地は住宅に挟まれている。
生垣、板壁、土壁。
住宅を囲い隠す壁が、路地に迫り、奥にいくに連れて道幅を狭めていく。
足音は俺ともう一つ。
俺の後を追いかけるように、ついてくる。
立ち止まってみる。足音も止まる。
もう一度歩くと、間隔をおいてついてくる。
間違いない。何者かが俺の後を尾いてきている。
「動かないで」
カタリナの声が聞こえてきた。
振り返ると、不審者の背中から、彼女がナイフを突きつけていた。
「うまく、いきましたね」
路地で別れ、尾行する人間を挟みうちにする。
急ごしらえの作戦だったが、うまくいった。
カタリナは得意げに肩をすくめると、油断なく不審者の後頭部をにらんだ。
俺は彼女と不審者の方へ近づく。
「顔を、見せてもらおうか」
俺が帽子に手を伸ばす。
が、俺が帽子を掴み取る前に、不審者の足がカタリナの足をすくった。
体勢を崩された彼女は、地面に尻餅をつく。
痛がる彼女の顔を横目に、不審者の蹴りを腕でうける。
俺は、たたらを踏んで背後へと後退。
その隙に、不審者は踵を返して、路地を走り抜けて行った。
カタリナは腕を引き、勢いをつけてナイフを投げる。
彼女のナイフはコートの襟をかすめるが、捉えきれない。
通行人がどよめき、見開かれた目が路地にいる俺たちを見た。
「追って」
カタリナが叫んだ。
俺はうなずき彼女を飛び越え、通りに出た。
人混みを突き飛ばしながら進む不審者。
倒れた女性、荷物を落とした男性。
商品を蹴散らされた商人。
通りは罵声、怒声、そして悲鳴がこだまする。
安穏とした田舎町が、一転して荒波だった無法地帯に変わった。
俺は後を追って、人混みを駆け抜けた。
奴と同じく何人かと肩をぶつけ、転ばせてしまったが、気にしている暇はない。
カーキ色の背中を追って、路地を曲がりさらに走る。
が、見失った。
曲がり角を走り進み、突き当たりの丁字路にぶっつかったところで、カーキ色の背中は忽然と姿を消した。
その後も懸命に走り進み、路地という路地を探した。
だが、俺の努力も虚しく、結局あの背中を三度見ることはなかった。
「見失ったのか」
少し遅れて、カタリナがやってきた。
俺が肩を落としているのを見て、どうやら失敗に終わったことを悟ったらしい。
「ええ。まんまとまかれました」
「追いかけっこは、
「慣れてはいました。でも、あの頃は体力も無茶できる胆力もありましたから。今の私に、それを期待しないでください」
「年寄りくさいことを言うんだな」
「貴女に比べれば、十分に歳を食ってますからね」
乱れた息を整えて背筋を伸ばす。
肺にたっぷりと空気を吸えば、高鳴る心臓も落ち着きを取り戻していった。
「そうだ。これ、関係あるかどうかわからないんだが」
カタリナはそう言うと、ポケットから首飾りを差し出した。
「ナイフを投げた時、これがやつの体から落ちたんだ。多分、首に下げていたものだとは思うんだが。何かの証拠になるか」
首飾りと言っても、宝石店で売っているものには見えない。
千切れた黒い紐に二つの指輪が結ばれている。
指輪も宝石などは付いておらず、表面にいばらの刻印が施されているだけ。
質素といえばまだ聞こえはいいが、貧相で値打ちがあるようには見えなかった。
カタリナから首飾りを受け取る。指輪を摘むと、その裏面に目を向けた。
S.M.とR.H.
イニシャルらしき文字が刻印されていた。
「何かはいっていたか」
「イニシャルらしきものが」
「あの不審者の名前か」
「そこまでは、わかりませんね」
指輪の首飾りをポケットに入れて、カタリナを見た。
「何にせよ。しばらくは尾行の手も緩むでしょう。これで少しは、安心できます。貴女のおかげですよ、カタリナ様」
「礼を言われる筋合いはないさ。逃してしまったのは残念だが、腹ごなしのいい運動ができた。……さて、そろそろ帰るとしようか。今日のことを、父の耳にも入れておいた方がいいだろうし」
「買い物は、もうよろしいんですか」
「ああ。あらかた買い足したいものは買ったし、思い残すことは何もない。貴方が何かやりたいと言うのなら、私は付き合うが」
「いいえ。ございません」
「なら、行こうか」
カタリナは顔を傾けて、通りの方に体を向けた。
歩き出した彼女を追って、俺も足を動かす。
彼女には黙っていたが、このイニシャルについて、S.M.という名前に、思い当たる人物がいた。
それもごく最近に、おそらくカタリナも知っているであろう、女の顔が。
おそらくは、その女で間違いはないだろう。
店の前で見た見覚えのある女の顔。
それと、このイニシャルは見事に合致する。
何の目的で尾けていたのか。
どうして俺のことを尾け狙っているのか。
色々と聞き出したいことがある。だが、それは確かめてからでも、遅くはないだろう。
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