5-4

 翌日の午前10時過ぎ。

 俺はカタリナに誘われて、近くの街まで出かけることになった。

 家にはジョナサンの他にベラやアレックス、それに他二人の使用人がいた。

 しかし、タイミングが合わず、彼らには彼らの用事があった。

 片腕だけで買い物をするには、見た目通り手が足りない。

 そこで、ちょうど手の空いていた俺に、彼女の供回りとして、白羽の矢が立ったというわけだ。


 馬車に揺られること、30分と少し。

 田畑の茶色と自然の緑に囲まれた盆地に、ザイカの街はあった。

 一本の大通りを中心に多くの店が軒を連ねる。

 大通りから伸びる細い通りには、店主、商人家族の住居がひしめいている。


 街と言っても、そこまで大きなものではない。

 大通りは一時間ほどで往復でき、街の周囲を回り切るのに、半日とかからずに行ってこれる。


 小さな田舎町。その言葉がぴったりと当てはまる場所だ。

 

「すまないな。こんなことに付き合わせてしまって」


 車窓から街の様子を見ていると、対面に座ってたカタリナが、申し訳なさそうに言った。


「どうして謝るんです」


「いや、その……昨日、あんな啖呵を切った手前、昨日の今日で手伝ってもらうのが、その、申し訳なくてな」


 奥歯にものが挟まったような、ひどく歯切れの悪い物言いだった。

 

「自分はいつでも手伝うとお伝えしたはずですよ。お気になさる必要はありませんよ」


「そうかもしれないが、しかしな」


「それにベラ様からも、貴方さまのお世話を任されておりますし。これもそれの一環と思ってくださればよろしいかと」


「それは忘れてくれと言ったじゃないか」


 カタリナが不服そうに顔を歪めた、その直後。

 馬車がゆったりとスピードを落として、停車した。


「到着しました」


 前方の車窓から、御者の男が顔を覗かせる。


「降りましょうか」


「……そうだな」


 言ってやりたいことがある口をしていたが、カタリナは腹の中にそれを押し込めて、馬車のタラップを踏んだ。


 後に続いて馬車を降りると、目の前には一件の店があった。

 店の種類で言えば、雑貨店になるだろうか。

 軒下に置かれたテーブルには、食器類が。

 店内も、軒先と同じように、テーブルと棚にいくつもの小物と雑貨が置かれていた。


 慣れた足でカタリナは玄関口をくぐり、中に入る。

 中には店主らしき老人が一人だけで、店員の姿はどこにもない。

 どうやら一人で切り盛りしているらしい。老人はちらりとカタリナと俺に視線を向けるが、再び手元に視線を落とし、作業に没頭する。


「あった」

 

 彼女が手に取ったのは、小さなカップだ。

 茶色の器で、表面には木目が入っている。

 陶器にはない味と雰囲気のある、いいカップだ。


「これを買いに?」


「少し前に自分のカップを壊してしまったんだ。ずっと新調したかったんだけど、機会がなかなくて」


 商品の値段を確認して、カタリナは店の籠を手に取る。

 そこにカップと、小物をいくつか入れて、店主の元へと持っていく。

 精算を済ませると、カタリナは商品の入った紙袋を、片手に抱え持つ。


「お手伝い、しましょうか」


「いい。これくらい自分で持てる」


 憮然としたまま、彼女は早足で俺の前を通り過ぎる。

 馬車での一言を、いまだにひきづっているのか。

 俺はため息をついて、カタリナを追って店を出た。


 カタリナは馬車に荷物を置くと、次々に店を回った。

 服飾店。本屋。それに食糧店。鍛冶屋。

 学校で使いそうな資料から、個人的利用のものまで。

 通り沿いの店を練り歩き、紙袋を増やしていく。

 その都度、俺が荷物を馬車まで運び、彼女の下に戻るという往復を繰り返した。


 買い物に目処がついたのが、それから一時間と少しが経った頃。昼時とあって、通りのあちこちから芳しい料理の香りが漂ってくる。


「昼食にしよう。近くに両親と通っていた店があるんだ」


 カタリナの提案を拒む理由はなかった。

 御者の男に昼食を取るように言葉を駆けて、カタリナは通りを進んだ。

 雑踏の中を進むこと数分。彼女の足は一輪の薔薇の絵が描かれた看板の前で止まった。


 ロゼッタ。

 女性の名前を冠されたこじんまりとした店だ。

 格子が嵌め込まれたガラス窓。その横に茶色の玄関ドアがある。

 カタリナがドアを押すと、小さなベルの音が聞こえた。


「いらっしゃい」


 優しげな女性の声が聞こえてきた。

 中を覗くとエプロン姿の赤毛の女性が、水の入ったコップを持ってこちらを見つめている。


「あら、もしかして。カタリナちゃん?」


「ご無沙汰してます。ロゼッタさん」


「久しぶりじゃないの。元気にしてた」


 ロゼッタはカウンターにコップを置くと、カタリナの方へ歩いてくる。


「ええ。おかげさまで」


「そちらの男性は? もしかして、カタリナちゃんの彼氏?」


「違いますよ」


 困った表情を浮かべて、カタリナは肩越しに俺を見た。


「彼は父の、友人です。私の買い物に、付き合ってくれているんですよ」


「まぁ、貴女のお父さんにお友達がいたなんて、知らなかったわ。こう言っちゃなんだけど、彼、とても友達付き合いができるようなタイプには、見えないから」


 まさしく、その通りだ。

 思わず吹き出しそうになるところを、腹に力を込めてこらえた。


「父の前ではくれぐれも言わないでくださいよ」


「陰口だから楽しいのよ、こういうのは。さっ、早く入って。お腹が空いたでしょう。……貴方も、どうぞゆっくりしていってね」


 ロゼッタは俺に顔を向け、ウィンクをしながら言った。


「ありがとうございます」


 カタリナが店の中へ入るの待ってから、俺はその後に続いた。

 だが、玄関マットを踏もうとした間際。誰かの視線を感じた。

 俺は足を止めて、顔を向ける。


 農民や商人、旅行客と思われる家族連れ。カップルのような男女。

 道ゆく人々は俺を気にすることなく、通りを行き交いどこかへ消えていく。

 人混みの中を具に観察していると、妙な人影を見つけた。

 俺のいる場所から2軒ほど店を挟んだ場所。


 壁に寄りかかり、じっと体面の店の方を眺めている、妙な人間。

 ちらと俺の方を見たと思えば、まるで逃げるように、路地の方へ姿を消した。

 帽子を被り、カーキ色のコートを立てていた為、人相がはっきりとわかったわけではない。


 ただ、その顔は見覚えのある女の顔のように思えた。


「どうかしたのか」


 カタリナが心配そうに、声をかけてくる。


「なんでもありません」


 そんな彼女に笑みを浮かべて、俺は店の中に入った。

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