5-2
「まぁ、そこに座れよ」
ジョナサンの手が指したのは、机のためにある一人がけのソファ。
赤革の座面と背もたれ、ニスが塗られた黒木の縁。
シンプルだが上品な作りの椅子だ。
俺はそこに座ると、ノックの音が聞こえてくる。
「旦那様、お飲み物をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。入ってくれ」
ドアが開かれ、廊下からアレックスが、ワゴンを押して入ってきた。
ワゴンの上には酒瓶と水の入ったビッチャー、グラスが二つ。
それに、氷の入れたアイスペールが載せてある。
「後は自分たちでやるから。カタリナの面倒を見てやってくれ」
「かしこまりました」
アレックスは頭を下げる。
横目で俺を捕らえると、微笑を浮かべた。
「では、ごゆっくり」
彼女は頭を上げ、ワゴンを引いて廊下に出る。
礼儀正しく一礼をしてから、ドアをしめた。
「昼間から、酒ですか」
「今日は仕事がないんだ。昼間から酒浸りになっても、誰も怒りゃしない。お前も付き合えよ」
「自分は結構です」
「いいから、付き合え」
言いながら、ジョナサンは酒のように取り掛かる。
グラスの中に氷を数個入れ、少々の酒を注いでいく。
氷がにわかに小麦色に色づいた。
そこへよく冷えた水が注がれる。
グラスの底辺にあった酒は、量を増し、ついには氷を飲み込んだ。
一つを作り終わると、彼は開いたグラスに氷を入れる。
そして酒を、並々と注いだ。
「ほら、飲めよ」
彼はそのグラスを、俺の方へ差し出した。
俺は苦笑しながら、それを受け取る。
「いただきます」
頭を下げ、グラスに口をつける。
酒の匂いが鼻を抜け、熱が喉を焼く。
咳を堪え、むせるのを堪え。グラスを傾け、酒を喉に流し込む。
一気にグラスを空にすると、酒臭い息を吐き出した。
「ごちそう様でした」
「いい飲みっぷりじゃねぇか。さすがだな」
悪戯っぽく笑いながら、ジョナサンは悠々と水割りを飲んだ。
「カタリナ様にしたことを、怒っていらっしゃるのですか」
「いや、怒っちゃいないさ。元はと言えば、原因はあいつにある。お前には、むしろ感謝したいくらいだ。馬鹿なあいつに、現実を見せてくれたんだからな」
ジョナサンはそう言って笑ったが、彼の目は笑っていなかった。
「おいしい、お酒でした」
この酒は、ささやかな意趣返し。
恨むべきではなく、このくらいで済んだことを喜ぶべきだ。
「お前を呼んだのは他でもない。少し前に面白い話を聞いたんだ」
水割りで喉を潤すと、ジョナサンはおもむろに口を開いた。
本題に入った。そんな気配がした。
グラスを膝に置いて、彼の言葉に耳を傾ける。
「お前によく似た男が、とある酒場で3人殺したそうなんだが、お前、この事件知ってるな」
血の気が、静かに引いていった。
酔いが冷め、口の中が異様に乾いていく。
「……いえ、そんなことは」
「言葉を変えよう。お前が殺したんだな」
ごまかし、言い訳、さらには嘘。
この場を取り繕う言葉を、必死で見つけようとした。
が、そんな時間も許さないと、ジョナサンは言葉を続ける。
「ロットンが口を割った。とぼけたって無駄だ」
「ロットンが……」
なら、もはや隠し通せるものではない。
俺の秘密はジョナサンの手に握られ、彼の気分次第で、公然の秘密になる。
俺にできることは、その秘密を彼のものだけにしておくか。
もしくはこの場に置いて、秘密をなかったことにするかだ。
「どうして、稼業に戻った。昔の生活が恋しくなったか」
「戻ったつもりはありません」
「じゃあどうして、あいつらを殺した」
「それは……」
「お前が稼業に戻ったんじゃなければ、守秘義務なんてものはないはずだ。誰に頼まれた、言え」
手段を取る道具は、この場に揃っている。
グラスをジョナサンの顔に投げ、その隙に酒瓶を握り、頭部を殴りつける。
タタラを踏む彼を押し倒して、首を締める。
多少音がなるだろうが、上手くすれば数秒でかたがつく。
使用人たちが気づく前に、窓から外に出て、馬車に乗り込む。
そのまま消えれば、しばらくの時間は稼げるはずだ。
「……ヴィオラ・レジーヌという名前に、聞き覚えはありますか」
その手段を取ることは、永久にない。
恩人への恩に仇で応えるほど、俺の心はダメになっていない。
「ヴィオラ?」
「昔、仕事を一緒にしていた女です。その女から依頼を受け、犯行に及びました」
「どうして請け負った」
「組織に俺の居場所を教えると」
「お前の古巣を利用されたか」
「ええ。それで、仕方なく」
グラスの中で氷が躍る。
小麦色の中で溶けゆく氷を見つめ、ジョナサンは酒を飲んだ。
「申し訳ありません」
「俺に謝ったところで、どうにかなる問題でもねぇだろ」
深く息をつく。
ポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつける。
「……お前に殺された男は、俺が雇った男だったんだ」
紫煙に紛れた彼の言葉に、俺は目を見開いた。
「雇った、というのは」
「情報屋だ。ブロクソスって組織の情報を探らせてた。お前が
「その、ブロクソスというのは」
「最近勢いを増してきた、新興マフィア。賭博、金、薬、人身売買、地上げ。何でもござれの無法者どもだ。裏も表も、ありとあらゆる組織から人員を引き抜いて、勢力を拡大してる。俺のところからも、何人かあっちに持ってかれたよ」
「金ですか」
「いいや、弱みだ。家族を人質に取られた。どうにか逃げ出そうとした奴もいたが、次の日には家族もろとも、川に浮かんでいた」
「報復には、行かれないのですか」
「行きたくてもいけないのさ。厄介なことに、奴らは決まった拠点を持っていないんだ。いつ、どうやって、どこに集まっているのか。それさえわかれば、攻め込む機会もあるんだが」
「では、それを確かめるために、情報屋を」
「そういうことだ。だが、奴らも馬鹿じゃない。早速気づいて、始末をつけてきた。まさかお前を使うとは、予想外だがな」
「申し訳ありません」
「……謝る位なら、一つ頼まれちゃくれないか」
ジョナサンは俺に近寄ると、膝をおり、俺の顔を覗き込む。
「さっきも言った通り、俺は大切な
「自分にやれと」
「そうは言っちゃいない。耳になってもらいたいのは、そのヴィオラって女だ」
にやりと笑った。
意地の悪い、明らかに何かを企んでいるような顔だ。
「彼女に内偵をさせるんですか」
「依頼を持ってきたってことは、それなりに組織と繋がりがあるってことだ」
「彼女は絶対にやりません」
「昔は一緒に仕事をしていたんだろ」
「仕事は仕事です。それ以上の何かがあるわけじゃ……」
「本当に、ないのか」
ジョナサンの詰問に、俺は言葉をつまらせた。
彼の唇が、また歪んだ。
「あったんだな」
言葉に窮していると、ドアがノックされた。
「誰だ」
「父様、私です」
カタリナの声だった。
「どうした」
「母様がおやつを一緒にどうかと。ジムも一緒に」
「……わかった。今から行くと伝えてくれ」
「わかりました」
足音が遠ざかっていく。
だが、緊張はまだ俺の近くに寄り添っていた。
「話はまた後でしよう。妻を待たせると、おっかないんだ」
ジョナサンは笑って、俺の肩を叩いた。
俺は、上手く笑うことができなかった。
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