4-4

 シモンの着任から二週間ほどが経過した。

 その頃になると、彼女への好奇心は、緩やかに落ち着きを見せてきた。

 彼女の周囲には、依然として子供達がいる。

 が、その数は当初よりも少なくなり、だいぶ固定化されてきた。

 同じ女子達が3名。彼女をまるで姉のように慕っているように見える。

 昼食を共にすることも多く、その姿を、時折噴水の前で見かけることもあった。


 俺は、あの日以来、シモンと顔を合わせることはなかった。

 なんのことはない。ただ、その機会がなかっただけだ。

 だが、彼女はいつも、自分の視界の端にいたように思う。

 渡り廊下。教室の窓辺。昼休みの昼食。そして帰り際。

 偶然か、それとも狙っているのか。

 シモンはいつも、俺を遠巻きに見つめている。


 監視。そんな言葉がぴったりと当てはまる行為だ。

 正面きって尋ねても、おそらくシモンは答えないだろう。

 はぐらかすか、事前に用意した嘘をいうか。

 真相は煙に巻き、注意深く観察を続ける。


 もちろん、偶然の可能性もある。

 俺の自意識過剰のせいで、そう思い込んでいるだけで。

 シモンは俺に対して、なんら感慨も思惑も持ち合わせていない。

 視界の中にたまたま、そこにいたというだけのこと。


 だが、俺はそうは思えなかった。

 あの日、俺を見つめるシモンの、猛禽類のような視線

 あの目がずっと、俺の頭の隅から離れない。

 明確な理由と呼べるようなものじゃない。

 だが、シモンへの警戒を解くことは、できなかった。


 一週間の終わり。

 最終授業が終わり、放課の鐘が鳴り響く。

 生徒達が昇降口から、次々と出てきた。


 これからは長い休業期間。

 寮に残るもの。実家に帰省するもの。

 友人達と旅行に出るもの。

 部活動に精を出すもの

 生徒の数だけ目的がある。

 

 対して、学校の職員の日常は変わらない。

 人の気配のなくなった校舎で、次学期に向けての準備を開始する。

 無論、休みもちゃんとあるが、生徒達に比べたら微々たるもの。

 それは俺やフィリップにも言えたことだった。


「お前、今度の休み。どうする気だ」


 校舎裏の楠の側の花壇。

 白い花々に水をやりながら、フィリップが言う。


「どうって、何が」


「一週間くらい休暇をとるんだろ。どこかに行くのか」


「ああ。骨休めに、旅行でも行こうと思ってる」


「好きだねぇ。方々歩き回ることの、何が楽しいんだか」


「別にいいだろ」


「そりゃ別にいいさ。俺がやるわけじゃないんだから。ただ、俺は理解できないだけでな」


「理解できないことを、さも自慢げに言うな。……お前の方こそこそ、どうするんだ」


「決まってんだろ」


 フィリップは笑いながら、空いた手でグラスを傾ける仕草をする。

 

「酒か。お前も好きだな」


「酒だけが、俺を癒してくれるのさ」


 フィリップが頬を歪めた時、ジョウロが空になった。


「体には気をつけろよ」


「お前を俺のお袋か。妙に節介を焼くじゃねぇか」


「部屋が腐臭の匂いで満たされるのが、我慢ならんだけだ」


「そうなったら、俺の墓前に酒を備えてくれ。一等高いやつをな」


「ああ。お前の墓石にかけてやる」


 フィリップはけらけらと笑い、水を汲むべく離れていく。

 俺は休めていた手を動かし、生垣の剪定に勤しんだ。

 

「おい」


 あらかたの剪定を終えた時、背後から声をかけられた。

 梯子を降りて、声のした方を見る。

 カタリナが、ムッとした顔で、花壇のすぐそばに立っていた。


「何のご用でしょう」


 俺が言うと、カタリナが苛立った足取りで、歩み寄ってくる。

 目と鼻の先で立ち止まると、ポケットから一通の手紙を差し出した。


「これは」


「読めばわかる」


 枝切りばさみを地面に置いて、手紙を受け取る。 

 封はすでに切られている。 

 赤い朱肉は両断され、男の横顔が、鼻の下から上下に分かれている。


 中には一通の手紙。

 カタリナに宛てての手紙だ。

 差出人の名前は、書かれていない。

 開いてみると、自体はようやくはっきりした。


『ジムを連れて帰ってこい。あいつに話がある』


 乱筆で書かれた、たった一行の文言。

 それだけで、俺は心から緊張した。


「父が、貴方に話があると」


 カタリナは言った。


「出立は今日の夜。父はすぐにでも、貴方に会いたいそうだから」


「わかりました」


「準備をしておいてくれ」


 カタリナの足音が、遠ざかっていく。

 俺は、彼女を見送らなかった。

 ただ、地面をじっと眺め、思案にくれていた。


「おい、どうかしたのか」


 フィリップが戻ってきた。

 片手には、水を蓄えたジョウロを持っている。

 

「……いや、何でもない」


 動揺した顔を見られないように、俺は俯きながら、彼に背中を向ける。


 カタリナの父に呼び出される。

 その理由は、残念なことに、いくつか思い当たるふしがある。

 カタリナに怪我を負わせたことだろうか。

 それとも、カタリナに自分の素性を明かしたことだろうか。

 それとも、自分の独断で仕事・・を引き受けてしまったからだろうか。


「なんだ、顔色がえらく悪いぞ」


 茶化すようなフィリップの声が、耳を通り過ぎていく。


「大丈夫だ。心配するな」


 今は仕事に専念しよう。

 

 枝切りばさみを拾い上げ、梯子を上る。

 だが、作業は全く、手につかなかった。

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