4-2

 表に戻ってみると、フィリップが女と話していた。

 見知らぬ女だ。黒髪を紙紐で束ねた後頭部が、俺の方を向いている。

 スーツを着こなしているから、おそらく庭師ではないだろう。

 片手には封筒。

 もう片方の手には、茶色い鞄を握っている。


 新人の事務員か何かだろうか。

 不思議に思いながら近寄っていくと、フィリップが俺のことに気がついた。


「戻ってきたか」


 フィリップの声につられて、女がこちらに顔を向ける。

 翡翠色の瞳。少し日焼けした白い肌。

 整った顔立ちをしているが、疲れた表情をしていた。

 爪先から頭の天辺まで。

 満遍なく見つめた後、女はにこりと微笑んだ。


「はじめまして。シモン・ミルドランドです」


 シモンと名乗った女は、俺に手を差し出してきた。

 華奢なてだが、分厚さがある。

 それに、よくみれば肩幅も、太腿の太さも。

 通常の女性よりかは、がっしりとしている。


 訓練を積んだものにしか現れない、身体的特徴。

 俺の仮説を裏付けるように、シモンは言葉を続けた。


「……ジム・フランコです」


「よろしく、フランコさん」


「ジムで結構ですよ。ミス・ミルドランド」


「シモンで結構ですよ。ミスと呼ばれるほどの貫禄は、まだもちあわせておりませんので」


 シモンは朗らかに唇を歪めた。


「本日から、軍部よりこちらに転属になりました」


「新しい先生ということですか」


「ええ。そうなります」


 なるほど、元軍人。

 となればその体も、手の無骨さも理解できる。

 軍人が学校にやってくるのは、何も珍しいことではない。

 教師には腕のある人間が、騎士となる彼ら、彼女らにあらゆる技術を叩き込む。

 教師の前歴に元軍人や武術家、武芸者を名乗る人間は多い。


 ここは、そういうところだ。

 だから、元軍人がまた1人増えたところで、別段騒ぐようなことじゃない。


 だが、それにしても若い。

 見た目は二十後半か、三十前半。

 疲れているとはいえ、肌にはまだ若々しさが残っている。

 教師の多くは現役を引退した年寄りが多いが、彼らに比べると若すぎる。


 と、なればだ。

 何かしらの事情があるに違いない。

 

「シモンちゃん、トラブってこっちに寄越されたらしいぜ」


 フィリップが言う。

 いつもながら、彼が人を馴れ馴れしく呼称する速度には、驚かされる。

 それでいて、シモンが格別気にしていないのには、さらに驚いた。

 

「トラブル?」


「ええ、まあ。お恥ずかしい限りですが」


 シモンは頬をかき、気まずそうに視線を彷徨わせる。

 

「部署の方で少し失態をしまして、上官からここでしばらくの間、頭を冷やすように言われたんです」


「失態というのは」


「個人的なことですので、そこまでは。申し訳ありません」


「いえ、こちらこそ。不躾に尋ねてしまい、申し訳ない」


「謝ることはありませんよ。……そろそろ、失礼します。これから校長先生にご挨拶をしないと」


「そうですか」


「また後ほど、お話ししましょう。色々と学校のことを、お聞かせください」


「庭師風情が知っていることなど、たかが知れていると思いますが。それでもよろしければ」


「ええ。では、また後で」


 シモンは頭を下げ、校舎の中へ消えていく。


「シモンちゃん、なかなか美人だったな」


 フィリップの顔は、下心に歪んでいた。

 鼻の下は伸び、彼女の背中から臀部にかけて、ニヤニヤとニヤつきながら見つめている。


「よせよ。お前に手が届くわけもないだろ」


「だからいいんじゃねぇか。高嶺の花って感じでよ」


「高嶺の花なら、お前の嫌う貴族さまがいっぱいいるじゃないか」


「高嶺の花でも、着飾ってない方が好みなだけさ。金の力でどうにかしているような人間は、好きじゃねぇ」


「よくわからないな。お前の趣向も」


「人間の趣味趣向は深淵の内側にあるのさ。俺はお前じゃねぇし、俺もお前じゃない。他人の趣向を完全に理解できるなんざ、そうそうできることじゃない」


「……時々、お前を少し感心してしまうよ」


「いつだって感心しとけ。これでもお前より長く生きてんだ。……仕事に戻るぞ。お前も手伝え」


「わかってる」


 一輪車を押して、フィリップの後を追う。

 額から伝う汗をタオルで拭い、俺たちはまた雑草取りに勤しんだ。






「ええ、確認しました。おそらく彼だと思われます」


 シモンは窓辺に立って、外の様子を眺めている。

 庭園の中で動く、2人の男の背中。

 シモンの熱い視線は、1人の男に注がれている。


 ジム・フランコ。

 庭師に似合わない、鋭い目を持つ男に。

 

 彼女の手には、小さな水晶が握られている。

 軍部で使われる、無線装置だ。

 水晶の中に仕込まれた魔法が、複数の水晶に声を伝播させ、連絡を取り合う。


 一般には出回っていない、魔法技術の結晶である。


「確保することも可能ですが、いかがしますか」


『まだだ。証拠もない中で確保しても、裁判にかけることはできん』


 相手は彼女の上官。

 酒場『ゲラルドの腹』で起きた連続殺人事件。

 その捜査の陣頭指揮をとっている男だ。


『お前はそのまま、その男に張り付け。こちらの動きが悟られないよう、慎重にな』


「わかっています」


『何かわかれば、また連絡しろ。回線はいつでも開いておく』


「了解、通信終わります」


 水晶を遠ざけ、ポケットにしまう。

 正体不明の犯人。

 近隣への聞き込み。娼婦の証言。 

 有力な犯人像を浮かび上がらせるのに、思いのほか、時間がかかった。

 だが、ようやく尻尾を掴んだ。


「……あとは、獣の胴体に食らいつくだけね」


 シモンは呟く。

 ジムが何者であるか。どうやって証言を絞り出させるか。

 考えながら、彼女は静かに、歩き出した。

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