四章
4-1
それから一日を挟んだ、平日の始め。
いつものように仕事に出ると、妙な視線がまとわりついてきた。
視線の主人は、生徒と教師。
彼らが珍しく、一介の庭師たる俺に、興味を示している。
理由は、見当がついた。
コロッセオでの、俺とカタリナの戦闘だ。
無関心が興味に傾いたのは、あれがきっかけだろう。
話しかけるものはいなかった。
ただ遠巻きに俺の姿を眺め、ヒソヒソと密談を交わす。
あの男は何者なのか。
一体彼はどこで、あれほどの業を得たのか。
噂に憶測。尾ひれが付いて、校内の話題をかっさらう。
一週間、あるいは二週間。
話題が切り替わるまでに、それくらいはかかるだろう。
騒ぎを大きくしないためには、これ以上の関心を呼ばないこと。
見ない、聞かない、そして喋らない。
そうすれば、彼ら彼女らも次第に飽きるはずだ。
「なんだか偉く人目を引くな。何かしたのか?」
「別に」
運のいいことに、フィリップはまだ事情を知らないらしい。
それならそれで構わない。
彼が無知でいる方が、変に探られずに済む。
予鈴が鳴り響いた。
登校する生徒たちは、慌てて校舎の中へ入っていく。
「校舎の裏、行ってくる」
バケツいっぱいの雑草。
処分をするには、学校の裏にある焼却炉に行かなくちゃならない。
フィリップはやんわりと手をあげながら、その指を彼の背後にあったバケツに向ける。その中にも、雑草がこんもりと詰められていた。
「ついでに、持って行ってくれ」
自分のバケツ。フィリップのバケツ。
二つ分の雑草を一緒に一輪車に乗せる。
持ち手を握り、一輪車を押す。
ガラガラ。音を立てて車輪が回る。
焼却炉は宿舎と楠の、ちょうど中程にあった。
横には納屋があって、中には薪木が積め置かれている。
落ち葉や雑草。期間の過ぎたポスターやチラシ。紙屑。
学校のゴミと言うゴミを、この小さなレンガの箱に納められる。
空に向かって伸びる黒い煙突。
鉄扉の口は固く閉ざされ、新たな
一輪車を炉のすぐ脇に置く。
薪と火付け用の杉の枯れ葉。
納屋の中から必要な分を持って、焼却炉に戻ってくる。
炉の中で薪を組み立てると、下に枯れ葉を敷き詰める。
自前のマッチを擦って、火をつける。
小さな火種はやがて炎に変わる。
炎は枯れ葉を飲み込み、やがて薪を黒く変色させる。
安定的な炎。並大抵のことでは燃え尽きない、たくましい赤いエネルギー。
そこへ燃料を注ぐように。
雑草をこまめに入れていく。
炎はうろたえるように揺れるが、やがて慣れ、雑草をくらっていく。
緑は茶色に、やがて黒に変わる。
生から死へ。
エネルギーを搾取され、雑草はただの灰になり、薪の上にこびりついた。
「ちょっと、いいか」
背後から声をかけられた。
振り返るまでもない。
その声は聞き覚えがあったし、何者かというのも見当がついた。
「授業はよろしいのですか。カタリナ様」
土を払った雑草を、炎に投げ入れる。
今度はすんなりと炎が移った。
煙突からは満足そうに、黒い煙を吐き出されている。
「もう学校は始まっているでしょう」
「一日くらいサボったところで、問題ない」
「エスケープ、というやつですか。まあ、貴女ほど優秀な方であれば、問題はないでしょうけど」
炎が大きく膨らんだ。
沈めるように、面倒になった雑草を丸々放り込む。
炎の勢いは衰えた。
血気盛んだった炎は、喘ぐように、雑草の隙間から火種を見せる。
「それで、ご用というのは」
「あの日のことを、改めて貴方に聞きたい」
「あの日、というと?」
「とぼけるな。闘技場での、貴方の言動のことだ」
彼女の声に怒気が混じった。
俺は肩越しに、彼女を見た。
左肩から腕にかけて巻かれた包帯。
胸から肩にかけて異様に膨らんでいるのを見ると、服の下から添え木を噛ませているのだろう。
「治るまでに、どのくらいかかりますか」
「一、二ヶ月だそうだ。うまくいけばもっと早くに完治するとも言っていた」
「申し訳ありません」
「謝って欲しくて、ここにきたわけじゃない」
一歩、また一歩。
彼女の足が俺に近づいてくる。
カタリナの表情は、何というか。ひどく困惑していた。
怒っているようにも、また戸惑っているようにも見える。
俺にどんな顔を向けるか決めもせず、体裁をつけるために急ごしらえに作り上げたような、そんなでっち上げの顔。
彼女はその顔のまま、俺は見下ろしてきた。
「どうしてあそこでやめたんだ。貴方は、私に勝つことも容易かったはずだ」
「そんなことはありません。カタリナ様は、十分にお強い」
「下手なお世辞は要らない。自分の実力くらい、自分で弁えている」
「そうですか、それは失礼しました」
立ち上がり、手についた汚れた叩いて落とす。
そして彼女のかねてからの疑問。
闘技場での言動を思い出しながら、答えていく。
「あの時も言ったように、あの場には殺人は似合いません。死体を築いたところで、誰も喜ばないし、利益にもなりません」
「だから、やめたと」
「貴女が先に参ってくれれば、その必要もありませんでしたがね。頃合いを見てそうするつもりでした」
「だが、勝つこともできたはずだろう」
「確かに。ですが、恩人の娘様をボロ雑巾のようにしてまで、叶えたいものではありません。無論、死に体にすることも、自分は望んでいませんでした」
「だったら、どうしてあんな条件をつけたんだ」
「一つは貴女の申し出を諦めさせるため。そうならなかった場合には、適度に痛めつけて降伏させ、条件を果たそうと思っていました。が、貴女と戦ってみて、それができそうになかった」
「それで諦めたと」
「そういうことです。貴女様が考えるほど、難しい話ではないのですよ」
一輪車を押しながら、歩き出す。
俺の背後から、カタリナがついてくる。
まだ、納得が行かないようだった。
「本当に、それだけなのか」
「あるとすれば、貴女に殺人を犯して欲しくなかった。ということでしょうか」
「貴方を殺すなんて、そんな……」
「万が一にもないことです。ですが、あの時の貴女は、その気配が感じられた」
一輪車を止めて、カタリナに振り返る。
さきほどよりも酷い顔をしていた。
困惑はより一層ひどくなり、瞳が左右に震えている。
「自分はいつ死んだって構いません。それだけのことをしてきましたし、恨まれる覚えはいくらでもあります。ですが、貴女に殺されるわけにはいきません。死の足かせで、貴女を汚すわけにはいきません」
「私に、気を遣ったということか」
「早い話が、そういうことになります。ご不満でしょうが。……そろそろ仕事に戻ります。貴女も戻れるうちに、授業に戻ってくださいませ」
彼女に頭を下げ、再び一輪車を押していく。
「私が、ジョナサンの娘だからか」
俺の背中を、口惜しそうなカタリナの声が追いかける。
「そうだと言ったら、貴女はどうしますか」
彼女からの返事はない。
ただ気配から、彼女が怒っているようだとは、感じられた。
俺は振り返ることなく、その場を後にする。
カタリナがついてくる気配は、なかった。
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