3-6
少し、雰囲気が変わったように思えた。
左肩を打ち砕き、カタリナは残る右手で剣を握る。
脂汗が額から落ち、顔は痛みを堪えるのに、必死だ。
何の脅威にもならない。はずなのだが。
カタリナからはまだ、諦めというものが感じられない。
むしろ彼女は痛みを、恐怖を、自分のものにしようとしている。
まだ、やるつもりだ。
彼女の足に力が込められる。
来る、と思った途端。
弾かれるように、カタリナは前に出た。
実戦に出ていないものと、そうでないものの違い。
それは、剣筋に現れる。
視線、腕の降り、そして剣の軌道。
どれも訓練通りの、良くも悪くも正直で読み易い。
訓練を悪くいうつもりはない。
素人が玄人になるまでの過程。そこには必ず訓練が必要になる。
ただ剣を振るうにしても、基礎基本がなければ、鋭く、素早く振ることなどできない。
だが、こと殺人に関しては、さらにその先が必要になる。
型を破る行為、いわば、創意工夫だ。
闇討ち、不意打ち、ブラフ、道具……。
あらゆるもの、こと、さらには行為。
殺人にルールなどというものは存在しない。
ただ殺すという目的のために、自らを道具にする意識さえあればいい。
このコロッセオ。
闘技に戦場を持ち込むことこそ、場違いなこと。
彼女に殺人の創意工夫など求めることこそ、場違いな話だが。
腰から右肩にかけての、切り上げ。
よく訓練を受けた、手練れの一撃だ。
俺は半身になって、これを避ける。
カタリナは剣を翻し、振り下ろす。
狙いは、俺の右肩。
横っ飛びに避ける、と同時に踏み込む。
体を反転させ、回し蹴りをカタリナの左肩に当てる。
嫌な振動が、俺の足に伝わってきた。
腕に空いた穴。砕かれた肩。
そこへ追い討ちのように、蹴りを打たれる。
痛みはひどいはずだ。
見るからに、カタリナの表情が歪んだ。
片膝をつきかけるが、彼女は堪え、後退する。
また、距離が空いた。
彼女の息が乱れ、脂汗がさらに量を増した。
「もう、おやめになったらどうです」
もちろん、彼女の為だが、正直わからない。
彼女の身を案じているようで、恩人の娘を傷つけたくないという、俺の我がままから、そう言っているのかもしれない。
自分でもどうして彼女の気遣うのかは、わからない。
だが、この無用な戦いを終わらせたいという思いは、確かだった。
だが、彼女は返事をしなかった。
苦痛を浮かべた彼女の顔は、笑みを浮かべる。
作り笑い。
彼女の作り上げた笑みは、まさにそれだ。
まだ負けていない。まだ戦える。
愚か者の強がり。
どうしてそこまで、固執する。
俺が勝とうと、彼女が勝とうと、世界の何かが変わるわけじゃない。
ただ個人の人生に、後味の悪い思い出が追加されるだけだ。
それだけだというのに、どうして彼女は戦うのか。
俺には、まだそれが、理解できない。
彼女はまた向かってきた。
性懲りもなく、猛然と。
俺は思考を放棄し、カタリナに意識を向ける。
次の手は、視線を見れば明らかだ。
俺の腹より下。足元。次の狙いは、俺の左足だ。
地面を剣を這わせ、素早く振り抜く。
後退すると、やはり左足のあった場所に剣が通り過ぎた。
カタリナは尚も突っ込んでくる。
右へ、左へ。まるで草をむしる庭師のように。
身を低くして、俺の足元に攻め込む。
俺は距離を取り、彼女の凶刃から身を守る。
そして隙を見て、刃の腹を踏みつけた。
カタリナの目は見開かれた。
まさか剣を踏まれるなどとは、思っても見なかったに違いない。
剣を抑えたまま、俺は彼女の顔面目掛けて、蹴りを放つ。
カタリナは剣を手放し、背後へと退く。
その彼女を追いかけるように、俺は剣を足ですくい上げ、彼女の方へ放り投げた。
剣が宙で回転する。
地に吸い込まれるように落ちていく。
そして、カタリナのすぐ目の前に、突き立った。
「剣は、ご入用でしょうから」
「ああ、ありがとう」
彼女は、苦い顔をしなかった。
侮りとは思わなかったようだ。
気遣いに礼を言いつつ、剣を抜く。
そして右腕をだらりとぶら下げる。
乱れた吐息。それを正すため、深く、深く、息を吐く。
雰囲気が、また変わった。
目の色も、わずかに鋭くなった。
どうやら何かをするつもりらしい。
確かめるには、手を合わせる他にない。
彼女が動いた。
ゆらりと体を前に倒し、素早く足を動かす。
脱力による加速。そこから打ってくる、次の一手。
だが、それが読めなかった。
彼女は真っ直ぐに、俺の目を見つめている。
それ以外の挙動も、視線のゆらぎもない。
それは、驚くべき進化だった。
彼女の顔はそのままに、彼女の体だけが動く。
右腕が振るわれた。
その途端、彼女の手から剣が放たれ、俺へと飛んできた。
俺は体を半身にさせ、これを避けた。
が、その一瞬カタリナから視線を外し、彼女の行方を見失う。
気配は足元。
視線を動かせば、彼女の左足の靴底が、俺の顎を狙っていた。
頭を背後へと引く。
そして、彼女の左足を掴む。
いい動きだった。
まさに創意工夫。型破りの攻撃だ。
俺は彼女に視線を落とした時、何かが視界の端で煌めいた。
咄嗟に首を傾ける。
そして、鋭い痛みが頬を撫でた。
耳元と鋭くなった風切音。
背後で小さな何かが、落ちる音がした。
指で頬を撫でてみると、指先に鮮やかな赤が広がった。
血だ。
肩越しに背後を見ると、落ちていたのは、俺が使っていたナイフだった。
納得した。
彼女は動きながら、俺のナイフを拾っていた。
剣と蹴りはブラフ。彼女は最後の一撃に、あのナイフを利用したのだ。
なんという進歩だ。
彼女は戦いながら、殺人を学んだのだ。
手のひらの中で、カタリナの足が暴れる。
今にも噛みつこうという彼女を、地面に落とす。
そして背後へと飛び退き、距離を開けた。
カタリナは片膝を立てて、油断なく俺を見つめる。
「……お見事です。カタリナ様」
俺は、つきものが取れたような気持ちになった。
そして、察した。
これ以上の戦いは、彼女にとって有益ではないと。
俺は審判の方へ顔を向ける。
「俺の負けです」
審判もカタリナも。
そして観客たちも。
俺の言葉に、耳を疑った。
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