3-2
もしも、過去の自分だったら。
庭師ではない、殺し屋としての自分だったら。
この状況を上手くコントロールできていただろうか。
ベッドに腰を下ろし、ふと考える。
だが、帰ってくるのは一貫して同じ答えだ。
単純明快。
純度100パーセントの殺意によって導き出されるのは、明確な答え。
確かにあの頃の俺に言わせれば、こんな問題なんて、問題のうちに入らない。
何せ、邪魔なものは殺せばいいのだから。
問題そのものが、消えて無くなる。
だが、
その少女が、恩人の娘であることも。
その少女に手を出した瞬間に訪れる、破滅のことも。
空っぽの頭じゃ考えも及ばない、影響というものを考慮していない。
あいつに意見を求めたのが、間違いだった。
幻影を頭の中から追い出して、俺はベッドに倒れる。
黒い天井を仰ぎながら、ため息が口をついた。
「……いっそ、消えてしまうか」
誰にも断りを入れず、風のようにここを出る。
朝になれば、俺だけがこの部屋からも、学校からも消えて無くなる。
そうすればカタリナとの約束も、ヴィオラとの関係も、途切れて消える。
それもいいかと思った。
ベッドから体を起こして、荷造りをする用意をする。
衣服を鞄に詰め込んで、さて外に出ようかというところで。
急に、その熱が冷め始めた。
義理、というものが邪魔をしたのだ。
たかだか闘技のために、どうして逃げなくちゃならない。
世話になったジョナサンやドミニクに、こんな形で不義理していいわけがないだろ。
それでも廊下に出てはみた。
だが、もう1人のまともな俺が、俺の体を押しとどめる。
廊下を部屋を行ったり来たり。
繰り返すこと、5回。
結局俺は部屋に戻り、ベッドに腰を落ち着けた。
「何だよ。騒々しい」
フィリップが嫌々体を起こしてきた。
頭はまどろみの中にあるようで、まぶたが重そうに閉じたり、開いたりしている。
「いや、何でもない」
「さっさと寝ろよ。明日もあるんだからよ」
舌打ちをして、彼はまたベッドに横になる。
一言謝った方が良かっただろうが。気づいた頃には、彼はまた眠ってしまっていた。
機会を逸した俺は、ただフィリップの背中を、じっと見つめた。
「明日も、ある」
フィリップの言葉を、繰り返す。
朝が来て夜が来て、また朝がやってくる。
時計の針のように。ぐるぐると時は回る。
俺の悩みなんて、意に介さずに。
時は着実に進み続ける。残酷なほどに。あっという間に。
これほど明日がにくいと思ったことは、なかったかもしれない。
俺はベッドに横になり、また天井を見上げた。
形のない答えに、最もふさわしい形を与える。
考えに考えたすでに、意識がいつの間にか、黒の中に飲み込まれて行った。
答えを導き出せたのは、週の中程に差し掛かった時だった。
俺は放課後にカタリナを呼び出し、1人ベンチに腰を下ろして待つ。
フィリップのやつは、先に宿舎に帰ってもらった。
変に首を突っ込まれても、面白くないからだ。
彼は不服そうだったが、後で酒を奢ってやるというと、すんなりと帰ってくれた。
現金なやつだが、それが彼のいいところでもある。
「お待たせ」
カタリナがやってきた。
彼女の顔を向けると、離れたところでこちらを見る生徒たちに気がついた。
「帰ってていいって言ったんだけど、待っていると聞かなくて」
「いえ。構いませんよ。すぐにすみますから」
気持ちを落ち着けて、ベンチから腰をあげる。
服の乱れを直してから、彼女に体を向けた。
「先日の申し出の件ですが、お引き受けいたします」
「そうか……!」
カタリナの目が、嬉しそうに輝いた。
「ですが、条件があります」
俺がそう言うと、彼女の顔がさっと緊張する。
だが、一度浮かんだ喜色は、相変わらず彼女の目を輝かせていた。
「なんだ」
「まず、先日の貴女様の推理を、胸の内にしまっていただきたいのです」
「もちろん。貴方が引き受けてくれると言うのであれば、公言はしないとも」
「ありがとうございます。それと、もう一つ」
「なんだい」
「自分が万が一貴女さまに勝った時には、ここをやめさせていただきます」
カタリナの喜びは、その一言で打ち砕かれた。
呆然とする彼女を尻目に、俺は言葉を続ける。
「その旨をお父君に進言くださいませ。公正な勝負の結果とあれば、お父君も納得してくださるでしょうから」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何も、そこまでのことをしなくても」
「いいえ、そうさせていただきます。元はと言えば、ここは自分にとって不釣り合いの場所だったのです。そんな場所に長居をしたせいで、無用な注目を浴びてしまった。全ては、自分の我がままのせいですから」
「私はそんなつもりで、貴方に挑戦したわけじゃない」
「もしも飲めないと言うのでしたら、それでも構いません。校長先生には悪いですが、勝手ながら、出ていかせてもらいますので」
自分でもずるいとは思う。
でも、これが最良の選択だろう。
ここにいる理由は、注目を浴びないことにある。
ひっそりと暮らし、外の世界とも昔の自分からも隔離する。
それが崩れ去った今、ここにいる理由はなくなった。
逃げる口実に利用するのは、気が引ける。
だが、これで良かったのだ。
深く関わりあいになると、お互いに不幸になるのだから。
「……答えは、明日にでも。失礼します」
カタリナに頭を下げる。
それから、彼女の横を通り過ぎようとした。
が、止められた。
俺の腕を、カタリナがしっかりと掴んだからだ。
「わかった。貴方の条件、飲もう」
安心した。
これでようやく、肩の荷が降りる。
感謝の言葉を贈ろうとすると、カタリナは俺の腕を強く引いた。
「でも、私からも条件がある」
「何でしょうか」
「もし私が勝てば、私がこの学校を卒業するまで、ここで働いて」
「……理由を聞いても」
「そっちが条件をつけてきたのだから、こっちも何かしらの利益がないとフェアじゃない。それに、私の挑戦を辞める口実に使われたのが、気に食わない」
喜び、困惑。そして、怒り。
彼女の表情は短い間に、三度移り変わった。
「貴方が勝ったら私は止めない。堂々とここを出ていけばいい。でも、私が勝ったら、私の言い分をのんで」
カタリナが俺に顔を近づけてくる。
大きな瞳。深い溝が浮かんだ眉間。赤く膨らんだ、唇。
少女たちの小さな悲鳴が聞こえてきた。
遠目から見たら、俺と彼女が口づけを交わそうとしているように、見えたのかもしれない。
至近距離で睨み合っているとは、想像すらできないに違いない。。
「……いいでしょう。貴方の言葉のままに」
結局、面倒からは面倒ごとしか生まれない。
そう思いながら、俺は彼女の提案を受けることにした。
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