2−5

 仕事に達成感を感じたことはなかった。 

 対象を殺し、それで終わり。

 現役だった頃も、そして今も。それは変わらない。

 あの頃と違うのは、どうしようもない不快感と、殺人行為に対する後悔が、強く尾を引いていること。


 あの頃は、そんなこと考えもしなかった。

 考える間も無く、次々と仕事が舞い込んできたせいもあるが、そういう人間らしい。思考や感情というものが、欠如していたのもある。


 それらが数年の年月の中で、俺の中に蓄積された。

 その結果がこれだ。しこりのように心に残った、不快感。 

 現場から離れれば離れるほど。俺を苦しめ、俺の行為を執拗に責め立てる。


 これが最後だ。これで、終わりだ。

 自分自身に言い聞かせるように、あるいは言い訳をするように。

 何度も同じ言葉、心にぶつけ、無理やり飲み込ませる。

 けれど、何の慰めにもならなかった。

 念じれば念じるだけ、俺の心に大きなしこりが、重くぶら下がる。


 鬱々としながら、馬に乗って学校へと戻ってくる。

 馬屋に馬を繋ぐ。馬

 フィリップが眠っていてくれることを祈りつつ、一人宿舎へと向かった。


 夜の校舎は昼間と打って変わって、寂しいものだ。

 人気もなければ、子供や大人の声はない。

 三階建の校舎が、葬儀屋に置かれた棺のように、闇の中にひっそりと佇んでいる。


 久しぶりの仕事のせいか、いつにも増して嫌な想像ばかりが頭にひしめく。

 がぶりを振って頭から追い出し、早足で帰途を急ぐ。

 

「こんな夜更に、どこへ行っていたんだ」


 その声に、俺の心臓が跳ね上がった。

 足を止めて、声の方向へ視線を向ける。

 進行方向、歩道のど真ん中。

 そこに、女が立っていた。

 顔は闇に染まっていて、よく見えない。 

 だが、その声で大方の検討はついた。


「カタリナ様」


 カタリナ・フランシス・ビルゲート。

 1番気まずい相手が、まるで立ちはだかるように、仁王立ちで俺を見つめていた。


「……珍しいですね。あなたが、こんな時間にこんなところにいるだなんて」


「珍しいも何も。今日が初めてだよ」


「理由を、お伺いしても」


「昼間、妙な女とあっていたな。赤毛の、ずいぶん色のある赤毛の女。教室から何となく見ていたんだが、どうも貴方の様子が変だったから、ちょっと貴方のことを見張っていたんだ」


「見張っていたなんて。カタリナ様もお人が悪いですね」


「こちらは理由を話した。次は貴方の番だ。はぐらかそうとしても無駄だ。すぐにわかる」


「はぐらかすつもりなんて……」


「では、話して見せてくれ」


「……少し、酒を飲んできたんです。評判のいい酒場があると、聞いたものですから」


「貴方は酒を呑まないと、父から聞いていたんだが」


「酒を呑まない人間も、たまに飲みたくなることがあるのですよ」


「へぇ。そうなのか」


 沈黙。


 俺にとっては気まずく、カタリナ嬢にとっては、きっと思考するに十分な沈黙だっただろう。


 官警や脅し屋のような、相手の脳髄までみようという、さめざめとした視線。

 彼女は俺の言葉などハナから嘘と断じている。

 その上で聞き入れ、俺の態度から、隠そうとしている真実を炙り出そうとしているのだ。


 祈りなどというものは、何の役にも立たない。

 吐いた言葉うそが真実であると、自己暗示する他にない。

 

「どんな店だった」


「古くからの店という感じで、なかなかいい雰囲気でした。店主も気さくで、警備員も優しい方で」


「警備員」


「近頃なにかと物騒ですから、玄関のところに一人、年寄りの警備の方が立っているんです」


「なるほど。よかったら、今度紹介してみてくれないか」


「カタリナ様は、まだ未成年でしょう」


「父に紹介しようと思っただけだよ」


「なるほど、お父君に」


「最近はろくに外に出ていないようだからな。たまには気分を変えて、酒場に連れ出すのもいいかと思って」


「それはよろしいかと思いますよ」


「その時は、案内してもらえるかい」


「もちろん、いつでも」


「ありがとう」


 そう言って、俺は自然と笑みを浮かべた。

 瞳の動揺を悟られないよう、目を細めておいても、不自然さはない。

 それでも、カタリナに確実な信用を与えるとは限らない。

 これ以上の追求が来てもいいように、事前にいくつかの嘘を用意する。


「……邪魔をしてしまったね」


 カタリナはため息をついた。

 一応の信用は得られたと、判断してもいいだろう。

 だが油断はできない。

 気の緩んだ瞬間に、鋭い問いかけが投げられるかもしれない。


 カタリナがゆっくりと俺の方へ歩いてくる。

 微笑を顔に浮かべながら、彼女の一挙手一投足を、注意深く見つめ続ける。


「おやすみ。また、明日」


 俺の横を通り過ぎる間際、彼女は俺の肩を叩いた。

 

「ええ。おやすみなさい」


 通り過ぎる彼女の背中を、門の外に消えるまで、見送った。

 そこでようやく、息がつけた。

 緊張からの解放。そしてやってきた、嘘つきの後悔。

 落ち着きかけた不快感の上に、後ろめたさが重くのしかかる。


 今すぐにカタリナを追いかけて、さっきのことは全部嘘だ。俺はいま、人を殺してきたんだ。

 

 そう白状してしまいたい、気持ちになった。

 だが、しなかった。

 裏切りを見える形にしたくはない。

 そんな、自己保身とも忠誠心ともわからない思いが、俺の中に渦巻いた。


 止めていた足を動かして、宿舎へと向かう。

 俺の足は、鉛のように重かった。







「ご覧になっていただけましたか」


 酒場『ゲラルドの腹』の向かいのアパート。

 その最上階に、ヴィオラの姿があった。

 彼女の前には、一人の男が立っている。

 彼は窓辺に立ちながら、人だかりができつつある、ゲラルドの腹を見下ろしている。


 男は外から中へ。そしてヴィオラへと視線を移動させる。


あれ・・は、今どこにいるんだ」


「申し訳ありませんが、お教えすることはできません」


「なぜ」


「ビジネスですよ。簡単に彼を明け渡してしまっては、私にとってあまりに実がありませんからね」


「私情ではないと」


「……ご存知でしたか」


「お前と奴の関係は有名だからな。一時は二人で、この世界から足を洗うと言っていたそうじゃないか」


「若気のいたりというものです。それがどれだけ身勝手で、危険な行為だったか。今だったらわかります」


「何かあったか」


「ええ。色々と、勉強させられました。嫌というほどね」


 ヴィオラは死人のような、色をなくした目を細め、にやりと唇を歪めた。

 

「公私混同の危うさは、身に染みてわかっているつもりです」


「ならいい。条件を言ってみろ」


「条件というほどではないんです。ただ、彼をこのまま殺すより、貴方の目的のために利用し、その末に殺す方がいいかと思いまして」


「その場合、お前の利益とはなんだ」


「彼と貴方とを繋ぐ架け橋になりたく。その際に、いくらか仲介料をいただければな、と」


「なるほどな」


 男は顎を撫でながら、少し考えた。

 数分はかかるかと思ったが、彼女が考えるよりも、彼の計算は早かった。


「こちらも人手が足りない。外部の資源は、あればあるほどいい」


「では」


「ああ。お前の提案、聞き入れよう」


「ありがとうございます」


「用がある時は、こちらから連絡する。ではな」


 ヴィオラは頭を下げると、男は部屋を出て行った。

 彼の気配が靴音とともに消えてから、彼女は頭を上げ、息をついた。


「……悪いわね。これも、生きるためなのよ」


 届くはずのない、謝罪の言葉。

 それを部屋に残して、ヴィオラもまた部屋を後にした。

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