2−4
薄汚い路地を抜けて、店の裏手に出た。
左右を貫く裏手通り。
歩く人影はまばらで、路地から出てきた俺を気にかける人間は、誰一人いなかった。
店の裏口は通りに面してた。
裏口の横には、大きめのコンテナがある。
薫ってきた匂いから、おそらく中身は生ゴミの類だろう。
匂いに誘われて、ハエが音をたてて、コンテナの上を飛び交っている。
裏口のドアは階段を降りた先にあった。
辺りをもう一度見渡してから、階段を降りてドアの前に立つ。
ノブを握り、音を立てないように、慎重にドアを開く。
中は倉庫のようだった。
部屋をぐるりと棚が囲っている。
棚の中身は、食料と酒に分かれており、几帳面に整然と棚に修められている。
店主の几帳面さが、棚の配置からうかがえた。
ドアを静かに閉めて、俺は倉庫を抜ける。
倉庫を出ると、階段が上に続いていた。
足音を立てないように、静かに昇る。
階段の先には廊下が伸びていた。
奥からは男と女の、楽しげな笑い声が聞こえくる。
どうやら奥は店のフロアらしい。
時折グラスを打ち鳴らす音も聞こえてきた。
店主の姿も、店員の姿もない。
とりあえず、今のところは。
視線を右手にやると、二階へと続く階段があった。
すぐに身を翻し、二階へと上がる。
ロットンに感謝だな。
心の中で呟きながら、階段の途中から二階の様子を確かめる。
少しの誤算が、ここで生じた。
大きな誤算じゃない。
ただ、標的がいると思われる部屋に、護衛が立っていたのだ。
片方は坊主頭。
もう一方は長髪で、右肩から顔にかけて刺青を彫っている。
どちらもごつく、でかい。
たっぱのある体に、筋肉とう肉の鎧を身につけている。
その分厚さたるや。服の上からでも、二の腕や胸筋のデカさが窺える。
カカシにしても見事なカカシだ。
普通の人間だったら、近寄ることすら止めるに違いない。
話が違うじゃないか、ロットン。
嘘か、それとも知らなかっただけか。
いまさら尋ねに戻るわけにもいかないが、これでは、彼への評価を一段階さげるしかない。
ため息をつきながらも、観念して二階の廊下を踏み、奥へと進んでいく。
当然ながら、警備の二人は俺に目を向けた。
そして後ろ手に組んでいた両手を、前に持ってきて、拳を作る。
準備万端、というわけだ。
「誰だ、お前は」
部屋の前で足を止めると、威圧的に坊主頭の男が口を開いた。
「中に、ドミニク・サンチャゴという男がいるはずだが」
「お前は誰だって聞いてんだ。答えろ」
刺青男は肩をいからせ、睨んでくる。
「ティモシー・ディモン。ここにドミニクがいると聞いて来たんだ。彼に聞いてくれればわかるはずだ」
男たちは互いに顔を合わせる。
お互いに判断を投げつけあっているようだ。
だが、ついに判断がつけられず、
「少し待っていろ」
と坊主頭が言った。
待つ必要はない。
ほんの少し、視線が動けばそれでいい。
二人の注意がドアへと向いた時、俺は袖下からナイフを滑り出した。
刺青男の方が気がついたようだが、間に合った。
素早く柄を握ると、刃を二つの首に突き立てた。
くぐもった吐息が、指にかかる。
男たちの最後の抵抗のために、両手が動かされる。
だが、首をかき切る時間はあった。
両手を横に広げるように、ナイフを左右に滑らせる。
ナイフが首から抜け出すと、後を追うように、血筋が男たちの首から飛び散った。
青白くなった顔は苦悶の表情を浮かべたまま、床に倒れて行った。
木目に流れる赤い河。
出血多量による、死。
助かる見込みはないだろう。
「すまないな」
謝罪の言葉を手向けの言葉にして、俺はドアを静かに押し開く。
部屋の中には、香水と酒、それに汗の匂いが充満している。
なかなかひどい匂いだ。
今すぐ部屋を出て行きたい気持ちになったが、我慢してドアを閉める。
「おい、何かあったのか」
通路の奥から男の声が聞こえた。
ランプの明かりに照らされて、人影が壁に広がっていく。
俺は構わずに通路を進んだ。
足音と気配が近づいてくる。
裸足が通路の影から見えた。
けむくじゃらの足。
タオルを巻いただけの下半身。
やることをやっていたらしい。
男の顔が、ランプの明かりを背にして現れる。
つまりは、鉢合わせになったわけだ。
細面の顔。顎髭。
右頬には火傷の跡。
間違いない、ドミニク・サンチャゴだ。
「だ、誰だ、お前……」
俺はドミニクの口を手で塞ぎ、ナイフで心臓をついた。
何の防具もない、細身の肉体。
ナイフの刃はあっけなく、彼の胸に吸い込まれた。
ドミニクの口から感じる吐息。唾液に塗れた、死の吐息だ。
用心深く、ナイフを引き抜く。
そしてさらに、ドミニクの下顎からかちあげるように、ナイフで貫く。
ドミニクの目がぐるりと白目を向いた。
手のひら肺に溜まった最後の空気が、吐きつけられる。
糸の切れた人形のように、膝をくずし前のめりに倒れてくる。
受け止めることもしなかったから、倒れた衝撃で骨が折れるような音が聞こえた。
「ど、どうしたの……」
女の声が聞こえた。
部屋は右手奥に広がっている。
通路の正面には化粧台と丸いテーブルが見える。
声は、右手奥の方から聞こえてきた。
通路の壁が影になって、お互いの姿は見えていない。
「ミシェルだな」
物陰から、声だけを響かせる。
「誰なの」
「お前は気にしなくていい。それより、目を閉じていてくれ」
「どうしてよ」
「姿を見られると、お前を殺さなくちゃならなくなる。言っている意味は、わかるだろ」
息を飲んだ音が聞こえた。
「彼、死んだの」
「ついさっきな。部屋の前にも死体が二つ、転がっている。……悲鳴はあげるなよ。落ち着いていれば、お前に手を出すことはしない」
「わ、わかった……」
聞くからに声が震えている。
女性を脅かすのは趣味じゃない。
申し訳ない気持ちを抱きつつ、俺は言葉を続ける。
「服は着ているか」
「いいえ。まだ」
「なら着替えてしまえ。終わったら声をかけろ。部屋から連れ出してやる」
「本当に、殺さない」
「お前次第だ。いますぐ死にたいと言うのなら……」
「いい。その先は、言わなくていいから」
バタバタと音を立てて、彼女らしき影が、壁の上で動き回っている。
下着を履いて、ドレスを着る。
それからコートらしきものを羽織って、動きが止まった。
「終わったわ」
「通路に背を向けていろ。もちろん、目も閉じているんだ」
「……向いたわ」
答えを待って、物陰から出る。
彼女は確かに背中を向けていた。
シーツがくしゃくしゃになったベッドと、整えられたベッドの間。
使い込んだドレスを着た金髪の女が、背中を向けている。
「目は閉じておけよ」
「わかってるわよ」
ミシェルの汗ばんだうなじを見ながら、俺は彼女の首に腕を回す。
彼女の体がびくりと震える。
「落ち着くことが肝心だ。いいな」
ミシェルがうなずいた。
「よし、歩け」
俺はミシェルを誘導して、ベッドの脇から彼女を連れ出した。
部屋を出て、通路に差し掛かる。
ミシェルのヒール靴がドミニクの足に触れた。
彼女はまたびくりとしたが、立ち止まらなかった。
「そのままだ。そのまま前に」
通路を抜けて、部屋を出る。
二つの死体の横を抜けたところで、彼女の首から腕を離す。
「五歩進めば、目を開いていい。ここを出るなり、警察を呼ぶなり、好きにしろ」
「ほんとうに、殺さないの」
「歩いてみろ。そうすればわかる」
目は瞑っているが、おそらく瞳は震えていたに違いない。
迷った挙句、彼女は歩くことに決めたようだ。
恐る恐る一歩を踏み出す。
それを見たところで、俺は部屋へと引き返す。
そして窓を開き、飛び出した。
着地の瞬間、前転。
勢いを殺しつつ、立ち上がる。
乱れた襟を正しながら、俺は静かに歩き出す。
闇に姿をくらます直前、背後から女の悲鳴が聞こえてきた。
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