1−5

 俺の15年を言葉にすれば、二時間足らずで語り終えた。

 その間。カタリナ嬢は一睡もすることなく、俺の声に耳を傾けていた。

 話すべきこと、話すべきでないこと。

 取捨選択した上での結果だが、ほとんどは真実であり、嘘偽りはない。


 気づいたことには、外はすっかり明るくなっていた。

 俺たちはベッドに潜り込み、仮眠をとった。

 ドミニクに言われた通り、フィリップのベッドには新しいシーツを敷いた。

 

 昼頃に起き上がると、カタリナ嬢は部屋を出ていった。

 カタリナ嬢を見送った後、俺は部屋に戻り、窓辺に立った。

 外を見ると、カタリナ嬢の背中が見える。

 ふと足を止めた彼女は、俺のいる部屋に顔を向けた。


 怒っているとも、また混乱しているとも。

 また、底知れない悲しみにも見える。

 何とも言えない顔だった。

 だが、それも無理もない。

 それだけ、複雑な事情が、俺と彼女の父にはあったのだから。 


 俺は彼女に手を振った。

 すると彼女は頭を下げ、再び歩き始める。

 もう、立ち止まることはなかった。

 彼女が校舎の影に隠れるのを見ると、俺は窓辺から離れ、ベッドの下に手を入れた。


 長年しきっぱなしだった、旅行鞄を取り出した。

 窓を開け、鞄についたホコリを叩く。

 ホコリは舞い上がり、外にふわふわと、呑気に流れ出ていく。

 

 鞄の口を開けておくと、タンスに歩み寄り、自分の衣服を手にとった。

 が、大した量はない。

 下着が数着とパンツ。そして二着のスーツがあるばかりである。

 それを丁寧に畳み、鞄の中にしまっていく。


 と、廊下から足音が聞こえてきた。

 足音はドアの前に止まり、ドアはノックもなく、開かれる。

 

「終わったんだな」


 フィリップだった。

 あくびをつきながら、ドアを閉める。

 涙で潤んだ瞳で、俺を見つめた。

 そして、首を傾げた。


「何やってんだ、お前」


「今日から、ここを出ていく」


「出ていくって、どう言うことだよ」


「この仕事を辞めるんだ」


「辞めるって、冗談だろ。そんな話、聞いてないぞ」


「いま思い立ったんだ」


 鞄の口を閉じて、持ち上げる。

 それと同時に、俺も立ち上がる。


「長い間、世話になった。ありがとう」


 フィリップの肩を叩いて、俺は廊下に出た。


「おい、冗談だろ」


 フィリップの声が聞こえたが、いつかと同じく、言葉を返すことはしなかった。




 15年前。

 それ以前の俺は、まるで別人だった。

 他人の死に対して、これといって感慨も持たない。

 また、殺人に対しても、躊躇というものがない。

 生活のために人を殺し、人を殺すことで生計を立てる。

 今考えれば退廃的で、ろくでもない人間だった。


 その当時の俺は、怪しげな組織に所属していた。

 その組織は捨て子だった俺を育て上げ、立派な殺し屋に仕立て上げた。

 親と感じたことはない。

 ただ、俺にとっての人間の全ては、彼らだけだった。


 その組織からの依頼で、俺は人を殺した。

 依頼人は様々で、仲介人からは標的を紹介される。

 多くは何かしらの目的のために。

 それも依頼人にとっての不都合を解決するために、殺人が行われたのだった。


 ジョナサン・ビルゲートの名前があったのも、おそらくどこかの誰かの不都合が、彼にあったに違いない。


 俺は依頼を受けて、ジョナサンを殺そうと、屋敷に乗り込んだ。


 だが、失敗した。

 どうして失敗したのかは、今でもわからない。

 ただ、屋根裏に隠れていると、突然天井をひっくり返され、真っ逆さまに落とされたのだ。


 そして俺は、彼の護衛にまんまと捕縛された。

 

 きっと自分は殺される。

 それが当然のように思っていた。

 だが、殺されなかった。

 彼は、自分を殺さずに雇い入れることを考えた。


『俺のところに、単身で乗り込んでくるとはな。いい根性してやがる。恐れ入ったよ、クソガキ』


 人を小馬鹿にした、獣のような笑み。

 あの男の笑みが、あの瞬間から頭の奥に張り付いている。

 思えばあの瞬間から、ジョナサン・ビルゲートという男に、飲み込まれていたのかもしれない。


 あの男の元で、俺の殺し屋としての人格が、徹底的に壊された。

 人間の人間らしい生活を送るために。

 殺意の代わりに愛情を。

 空虚な心に感情と理性を。

 

 ジョナサンとその部下、そして家族によって。

 ときに荒々しく、そして時に慈しみを持って。

 俺の体の内側から、排除していった。


 そして完全に、俺は別人になった。

 殺意の代わりに愛情を。

 空虚だった心には理性と感情が備わった。

 

 俺はジョナサンに迎え入れられ、家族のように、育てられた。

 俺が初めて味わう、団欒。

 暖かな優しさが身に染みて、初めて生きていることに、感謝をした。


 だが、俺は殺人者としての自分を、捨てきれなかった。

 組織がある限り、自分は殺人の呪縛から逃れられない。

 だから、俺は感謝と理性と、後悔を持って。

 組織を崩壊させることを決めた。


 四月二日。

 俺が18の歳を迎えた、肌寒い夜のことだった。

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