1−3

 シュルツ貿易商社 旧第三倉庫。

 老朽化にともない、数年前に打ち捨てられた、廃倉庫。

 普段なら人も寄り付かないこの場所に、珍しく人の姿があった。

 

 月の光が、倉庫上部にある空気窓から、内部を照らしている。 

 その明かりに、うっすらと浮き上がるのは、六つの人影。

 目出し帽に黒い作業着。

 同じ服装を着た六人の男が、辺りを警戒している。


 彼らの中央にいるのは、三人の少女たち。

 彼女たちは怯えながら、男たちの背中をじっと見つめている。


「大丈夫、大丈夫だから」


 二人の少女を、カタリナは懸命に励ます。


「もうすぐ、助けが来る。だから、大丈夫だ」


 彼女は二人の少女の肩に、そっと手を置いた。

 少女たちはその手を見ると、すがりつくように、片手をその手の上に重ねた。

 彼女たちの手は、震えていた。

 体験したことのない悪。

 経験のない犯罪。

 それに巻き込まれたという事実が、彼女たちの心を蝕んでいる。


 カタリナも同じだった。

 少女たちの肩に触れた手も、微かに震えている。

 それでも、二人にこれ以上の不安を与えないようにと。

 彼女は気張って、笑みを浮かべ続けた。


「無駄口を叩くな」


 男のその言葉、まるで鋭利な刃物のように。

 カタリナの覚悟に、傷を負わせた。

 恐る恐る、彼女は顔を上げ、男の顔を見た。

 

「そこで大人しく座っていろ」


 青い瞳が、目出し帽の奥から覗いている。

 氷のような、冷たい視線。

 その瞳に宿った暗い覚悟に、彼女はまた、静かに震えた。


「私たちを、どうするつもりだ」


「静かにしていろと、言ったはずだ」


 カタリナの震えた問いかけを、男はつっぱねる。

 その上で、荒い足取りで、彼女たちの元へと歩み寄ってくる。

 カタリナは静かに身構え、少女たちの肩を抱く。

 ランタンを床に置いた男は、カタリナと視線を合わせるように、膝をおった。


「大人しくしていれば、命まではとってやらない。だが大声をあげたり、無駄話をするつもりなら。お前らの中の一人を、目の前で殺してやる」


 男の手が伸び、瞬時にカタリナの襟を掴んだ。

 

「これは脅しじゃない。よく憶えておけ」

 

 男は吐き捨てるように言うと、乱暴にカタリナから手を離す。

 カタリナは乱れた襟を直すのも忘れて、呆然と男が立ち上がるのを見ていた。


 その時だ。

 倉庫の入り口のドアが、ゆっくりと開かれた。

 錆び付いた蝶番が、倉庫内に耳障りな悲鳴を響かせる。

 男は振り向いて、入り口を見た。

 

 開かれたドアの先に、男の人影がある。

 片手には膨れあがった鞄。

 もう一方の手には、ランタンを持っていた。


「金を持ってきたのか」


 男は叫ぶ。

 月夜を背にした人影は、コクリと首肯した。


「入ってこい。おかしな真似はするんじゃないぞ」


 男はおもむろにカタリナの背後に回ると、彼女の首筋にナイフを当てた。


「不必要な血を、見たくなければな」


 少女たちが息を飲む音が聞こえた。

 カタリナは背筋をゾッとさせ、ただ彼の刃が首を撫でないことを、祈った。


 人影はゆっくりと工場内へ入ってくる。

 男は仲間たちに目配せをして、人影の周囲を囲ませる。

 人影はランタンを顔の近くに持ってくる。


「ジム」


 その顔を見た時、カタリナは思わず声を上げた。

 そこにいたのは、庭師のジム・フランコ。

 彼女が見知った顔の男だった。


「お嬢さま達に、怪我はさせていないだろうな」


「もちろん、丁重に扱わせてもらったさ」


 男は歯を剥き出して、笑った。

 それにつられて、ジムの周囲でからも男たちの笑い声が聞こえた。


「カタリナお嬢さま」

 

 ジムはそんな彼らなど気にもせず、視線をカタリナに向けた。


「お怪我は、ありませんか」


「え、ええ」


「彼女達も」


「乱暴にはされていない」


「そうですか。それはよかった」


 心から安堵したのか。 

 ジムは目を細め、わずかに頬を歪めた。

 そしてすぐに顔を緊張させると、カタリナに再び声をかける。


「しばらくの間、目をつぶっていてくださいませ」


「どういうことだ」


「私が良いと言うまで。闇に視界を委ねてください。いいですね」


 そうとだけ言うと、ジムはカタリナから男に目を向ける。


「金はこの中だ」


 ランタンを床に置くと、鞄の持ち手を両手に握る。


「そこに置け。今、確認させる」


 男は仲間に目配せをする。

 と、小柄な男がジムの方へ歩いていく。

 

「ああ。ゆっくりと確認しろ」

 

 小柄な男があと数歩踏み出せば、ジムの目の前にやってくる。

 そこでジムは、思い切り、鞄を上に投げたのだ。

 天井高く打ち上げられた鞄を、男たちの目が追いかける。


 だが、カタリナの目はジムに釘付けになった。

 彼はわずかにカタリナに視線を合わせ、


 目を、おつむりください。


 言葉にしないまま、唇を動かして伝えてきた。

 彼女は言われるがまま、カタリナは少女達の目をふさぎ、まぶたを下ろした。

 

 その途端、彼女の耳元を重々しい風切音が通り抜けた。

 

 背後にいた男から聞こえた、呻き声。

 彼女は薄めを開けて、肩越しに背後を見る。

 唖然とした。

 彼はまるで撃ち抜かれたように、背後へと倒れていくではないか。

 そして聞こえてきた、硬い金属の落下音。

 見れば、そこには鉄のペンチが無造作に転がっていた。


 ペンチが誰かに投げられたらしい。

 だが、誰に。

 疑問の答えは、すぐ近くにあった。

 彼女は前を見た。

 

 鞄から漏れ出た紙幣が、ひらひらと宙を待っている。

 金の雨が揺蕩う中で、ジムが男達と戦っていた。

 いや、戦うなどと言うものではない。

 彼はただ、倒しているだけだ。


 無駄に攻撃を受けることもせず、余分な攻撃をすることもなく。

 股間、鳩尾、首、顎、額、目……。

 人体の急所ばかりを攻撃し、行動を、あるいは意識不能へと追いやっていく。


 それは、ただの庭師の動きでは決してない。

 手練れの、修羅場をくぐり抜けた人間にしか、なし得ない動きだった。


 あれほど恐れていた犯人達が、まるで子供のようだ。

 抵抗らしい抵抗もできないまま、あっけなく床に崩れていく。

 最後の一人となった男。

 なけなしの威勢を張って、最後の抵抗に打って出る。


 だが、それもジムの、股間への容赦のない一撃によって、無残にも打ち砕かれたのだった。


 膝から崩れ落ちる男。

 見上げれば、天高く振り上げたジムの足が見えた。

 彼の足は、まるでギロチンのように。

 男のうなじへと叩きつけられる。


 わずかに男は、うめく。

 前のめりに倒れたまま、男は動くことはなかった。


「目を開けてくださって、結構ですよ」


 ジムは言う。

 カタリナは慌てて目を閉じてから、目を開いた。

 

「立てますか」


 ジムの手がカタリナに差し出された。

 彼女その手を取り、立ち上がる。


「貴方は、何者なの」


「その話は、また後にいたしましょう。いまは、ここを早く出なければ」


 ジムは二人の少女にも、同じように手を差し伸べる。 

 彼女達は互いに手を取りながら、ジムの手に導かれ、立ち上がった。


 と、遠くから鐘の音が聞こえてきた。

 警官の馬車に付けられた、警鐘の音だった。

 

「あとのことは、彼らに任せておけば大丈夫です」


 ジムは言いながら、カタリナの顔を見た。

 彼女は、納得のいかない顔をしている。

 今すぐに、彼がどういう人間であるのか。

 それを知りたくて、たまらない。

 そういった様子だった。


「盗み見ていたのですから、気になるのは仕方ないでしょう。ですが、今少し辛抱なさってください」


 ジムが言うと、カタリナの顔はさっと赤くなる。

 それを見て、ジムは少し、頬を緩めた。

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