第3話Hush, Little Baby03
少年との出会いは実に数週間前に遡る。
人との縁を絶って没頭した検事官としての仕事は多忙を極めた。法律家として、人として、一人の男として日々立ち向かわなければならないことが多いのだ。当然ナイトシフトに耐えかねて自殺しかねない刑事たちの目の隈とも対峙する。
「ブローカーグループ?」
同僚のシルヴィアにそう問うと、手渡された資料に目を通す。性犯罪を専門とする部署の先鋭チームが追っているらしい。
「違法に遺伝子操作した子供達をチャイルド工場で産ませて、売買しているみたいね」
「遺伝子操作――軍用ってことか?」
「第三国に少年兵として育てられるために、買い付けるそうよ」
――少年兵か。
机の上に放り投げていた新聞紙を手に取って、一つの記事をシルヴィアに見せる。生物兵器の開発が公にされてそのパイロットの年齢が問題になっているという記事だった。
「リヴァイアサンか……正体不明の生物兵器のパイロットは少年少女が適正、ね。嫌な記事。私たちがしてることって、なんになるのかしらって思うわ」
シルヴィアはチョコレート色の指で、自分の机の上に置かれた写真立てを手に取る。写った彼女の家族をゆっくりと撫でている。
「コニーは元気?」
彼女の娘の話を問いかけると「ええ、バレエに夢中よ」と彼女は嬉しそうに答えた。
「今度バレエの発表会があるっていうのよ、楽しみだわ。ちゃんと、録画しておかないと。でも」
ふいに表情を暗くさせる彼女の顔を見つめ返した。彼女のチョコレート色の肌に影が乗る。
「ほら、予防接種を受けなきゃいけないでしょう? はしかだとか、色々。その予防接種を受けてから体調が悪いのが心配だわ。近所のマムたちも、そんなことを言ってたし」
「予防接種か……児童法律に詳しい検事を紹介しようか?」
ええ、そうして返されて電子化した名刺の中からアレックス・シドニーを出してシルヴィアのメールに貼り付けて送った。
「シドニー?」
その名前の行き着く先にハロルドは先に答えておいた。
「そう、俺の職を奪ってアソシエイトになったジェシカのパートナーだよ」
「そうなの? でも、ジェシカのおかげで、うちに優秀な法律家がやってきたんだから感謝しなくちゃね」
彼女の言葉に笑って、ハロルドは息を吐く。シルヴィアの横顔に、不安を感じたからだ。同僚の夫がいる彼女は、娘のコニーの身を案じている。法律に従事する仕事をしている彼女やハロルドのような人間は少なくとも、人の最も過酷な体験を目の当たりにする。その被害者たちは、本当に何でもない瞬間に犯罪に巻き込まれるのだ。シルヴィアとハロルドが所属する性犯罪捜査官と呼ばれるこの部署の者たちは、悲劇というものが突如前触れもなくやってくるということを、いつも何処かで感じている。
――自分たちは大丈夫、という保証は何もないんだ。
「ハロルド、クロードから連絡よ」
普段ハロルドがしている仕事は、法律に準じて法的手続きを進めて、裁判を起こして犯罪者たちに相応しい刑を与えることだ。刑事たちが汗水垂らしてかき集めてきた証言や証拠を法的に証明するために手続きをし、裁判を通じて真実を詳らかにする。『私たちは信じている』という文字の前に、心を鎮めて、真実を隠したがる弁護士たちと戦い合う。
検察官という仕事は、弁護士と比べて地味で非常に多忙だ。常にこの国では国や所属する州、郡の提訴代理人になるからだ。いくつもの案件を抱えて、日々奮闘しても、それが結果に結びつかないこともある。
『自供が取れた。来てくれるか』
疲れた声の刑事はクロード・スタンリー。三人の娘がいる子煩悩な刑事だが、彼はかつてブローカーグループを摘発して、実の妹さんを殺された過去がある。それだけ、正義を遂行するにはリスクが生じる中で、誰も彼も薄月給で生活を立てている。
『わたしね、赤ちゃんが欲しいの。とっても可愛い赤ちゃん。ねえ、ハロルド、神さまに愛された可愛らしい私たちだけの赤ちゃん、欲しいと思わない?』
輝けるシャイニーの声が、耳をつく。レストランの人気ウェイトレスとしていつも堂々と金髪を翻していた彼女に、『君の子供はマフィアに目をつけられる可能性がある』と言えただろうか。君の考えは馬鹿げていると、切り捨てられるだろうか。
ハロルドの脳裏に浮かぶ、姉と姪の姿。国旗が掛かった棺桶に縋る母親がすすり泣く声が聞こえる。それだけではない。
『ハロルド?』
「ああ、すまない。すぐにそちらにいくよ」
コートを持って、書きかけの書類と、上司への連絡を取り付けてから事務次官のスーリヤに声をかけて出て行く。
「あん、待ってハロルド?」
フランス訛りのスーリヤは、セクシーな言い回しで頼んでいた調べ物を手渡してくる。それを受け取り、礼を言いながらエレベーターに乗り込んだ。
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