第13話

9月7日


 おかしいと思っていた。

 なぜこんな、さえないおっさんに、<死に戻り>などという特権が与えられるのか。

 なぜ見習いの自分が、その監視などという重要な仕事を与えられるのか。思えば最初から、すべてに違和感があった。

 

 地獄の前室に戻ると、ちょうど<管理人>と出くわした。まるで木菟がやってくるのを、見透かしていたかのようだった。

「…言ったでしょう。彼は<条件を満たしている>と」

 <条件を満たしている>というのは、<死に戻り>を許して、地獄の管理人たる彼の利益にかなう、ということに他ならない。

「木菟も知っての通り、地獄も最近は不況でしてね…人類が倫理的に進歩したのは素晴らしいことですが、管理人としてはもう少し、にぎわいの欲しいところで。彼は人殺しですから…」


 彼のように、何人もの罪人を地獄送りにしてくれる逸材を、みすみす逃す手はないでしょう?


 と、<管理人>は不敵に笑った。


「10日間くらいの<死に戻り>は許してやってもいいと思いませんか?」

「ひっ…人の親父を、人殺しって、言うな!」

「おや、記憶が戻ったのですか。貴方をつければ相乗効果で、地獄送りもはかどるだろうと思ったけれど。」

 何せ、貴方の親父は貴方のために、殺人を犯しているのですから。

「彼は、自分の親しい人のためならば、平気で他人の命を奪う、そういう人間なんですよ…。」

「そ、そんなことない!」

「実際、前田のことも殺そうとしたでしょう。榊美冬のために。あれは不発に終わってしまいましたが…」

 

 <管理人>との会話の中で、木菟は思い出した。

 

「おや、思い出しましたか?自分の未練の在り処を」

「それは、お前が…」

 天国に旅立とうとしていた木菟に。

 

 …君の父親が君のために、君のお友達を殺しましたよ。


 父が、木菟の唯一の理解者だった父が、自分のために、人殺しになったと言ったから。

 

 大好きな父が、あの温厚な父が、自分のために、人殺しになってしまった。

 それが、木菟の未練だった。

 

 未練の在り処を思い出し、絶望の表情を浮かべる木菟に、<管理人>はにっこりと微笑む。


「いらっしゃい、木菟。つらいでしょう。すべて忘れて死神になればいいではありませんか。」

「いやだ…死神になんて、なりたくない。」

「それに、お前の父親。もう死体の数を変えないためには、死ぬしかないのだから…そうだ、あれも死んだら、死神になるんじゃないですか?貴方を救えなかった未練から。有能な死神になるでしょうね…。」

「まさか…お前は…それで。」


 その瞬間、木菟は理解した。<管理人>の真の目的を。

 <管理人>はああ言ったが、本来人の良い田中に10日ばかり<死に戻り>をさせたところで、何人もの人間を次々に殺害して地獄の経済を潤す、ということは考えづらい。そもそもすべての人間が地獄に落ちるわけではなく、地獄に落ちるにも条件があるのだ。

 真の目的は…田中を死神にすること。人生への未練はない、と言い放った田中に、人生への未練を抱かせ、死神に堕とし、いつか地獄に落とすため。

 思えば、木菟のときと同じだった。天国に行く直前の木菟に、人生への未練を搔き起こさせ、死神見習いへと堕落させたのは、誰だったか?


 他でもない、この男だった。


「親子2人で、死神になって、永遠に過ごせばいい…地獄でね。いい案ではないですか?」

 <管理人>は、木菟の呟きを否定せず、そう言って笑った。木菟は、思わず掴みかかった。

「いい案…なわけないだろう!」

「おや、何が気に入らないのですか?死に別れた大好きなお父さんと、また一緒に暮らせるのですよ?」

 襟首をつかむ木菟の手を造作なく外し、<管理人>は問いかける。 

 …何が気に入らないのだろう。いやなことは忘れて、親父と2人で、永遠に。

 木菟は自問自答した。そして、分かった。


「親父が死んでるところだよ!」


 親父には、死んでほしくない。生きていて欲しかった。

 たとえ人殺しだとしても、生きて、幸せになってほしい。地獄の使い走りなんかになるのは、自分だけでいい。自分は親父を苦しめた、親不孝な娘なのだから。


「ちっ…!」


 <管理人>をどれだけ罵倒しても、掟は変わらない。

 親父を死なせないためには、誰かが代わりに死ななければならない。木菟は、現世へと飛んだ。


◆◆◆


9月8日


 美冬は、部屋を整理していた。ここの大家は居酒屋のオーナーの古見なので、居酒屋を辞めたからには近いうちに引っ越さなければならない。今までは、新しい住居を探すことも、就職先を探すこともなんだか億劫で、前田に因縁をつけられても黙って耐えていた。

 その方が楽だと、本気で思っていたのだ。環境を変えるより、少し難があっても今の環境に留まる方が消耗が少ない。ずっと抱いていた「教師になる」という夢を諦めてから、美冬は迷走していた。理不尽にいびられても、我慢して、ここにいるしかないんだ。そんなふうに考えてしまうくらいエネルギーを失っていたんだな、と今なら思える。今なら、新しいことにも挑戦できる。そんな気がしていた。


(俺はいい先生になると思うけど。)


 美冬は、田中の言葉を反芻していた。教師になる、という夢を改めて追ってはどうか、という田中の言葉。だが、まだ心に迷いがあった。整理していた書類入れから、一通の手紙を取り出す。

 それは、遺書…に近い走り書きだった。自殺した、一人の少女の。



 その手紙は、何度も読んだ。内容を暗記してしまうくらいに。

 それでももう一度読み返していた美冬が、ふと顔を上げると、そこに、少女が立っていた。顔に痛々しい刺青をし、背中に翼が生えている。白地に黒い斑がところどころにある羽根は、鋭い目とあいまって、なんだかみみずくみたいだな、とぼんやりと思う。


 「千羽、ちゃん?」


 少女は、こくり、とうなずく。約1年前、昨年10月に亡くなったはずの、田中店長の娘だった。

 教育実習での受け持ちクラスにいた、一風変わった少女。奇怪な刺青を施し、背中から羽根を生やしてはいるけれど…間違いなかった。クラス全体から疎まれ、陰口を言われていることに、美冬が気づけなかった少女。そして、自殺するのを、美冬が止められなかった…その少女だった。

 美冬はぽかんとしていたが、しばらくして、何かに納得したように大きくうなずいた。

「そうかぁ…。なんとなく、店長のそばにいる気がしてたんだ。千羽ちゃんが。やっぱりそばで見守っていたんだね。」

 千羽は答えなかった。表情のない瞳で、美冬のことをじっと観察していた。

 そして、永遠とも思える長い沈黙の後、ぼそっと言った。


「死んでほしいんだけど。」


「え?」

 思いがけない、厳しい言葉に、美冬はあっけにとられた。


 千羽は、ぽつりぽつりと、説明した。


 …本当はあなたが死ぬはずだった。あなたが自殺しようとした。

 親父はそれに巻き込まれて、代わりに死んだ。

 今、親父が死なないように、全部をやり直しているところだから。

 でも、だれか死ななきゃいけないから。それは掟で、変えられないから。


「だから、親父じゃなくて、美冬先生に死んでほしい。」


 最初はそのはずだったんだから。親父は死ぬはずじゃなかったんだから。

 

 千羽は、そんな無茶苦茶なことを、淡々と言い切った。

 相変わらず、率直で、飾りのない言葉だった。だから人の感情を波立たせ、疎まれることも多いが、美冬は不思議とこの少女が嫌いではなかった。

 美冬は少し首をかしげ、それから、微笑んだ。


「断るわ。」


 美冬の言葉にも、千羽は表情を変えなかった。ふうん、と言わんばかりに、少し眉を上げたくらいだ。


「親父のことが好きじゃないの?美冬先生は…。」

「確かにお父さんのことは、好きよ。ものすごく尊敬してるし。でも…。」

「でも?」

「私は、死にたくないから。」

 美冬は少し間を置いて、続ける。

「私は貴方のお父さんにも、死んで欲しくない。だって、2人で生きていきたいから」

 千羽は、少しいらいらしながら、答えた。

「だから…そのためには、親父が誰か別人を殺さなきゃならなくなるんだってば。そんなこと、あの親父ができるわけがないだろうが。」

「それは…できないでしょうね、店長には。自分が生き残るために他人を殺すなんて。優しい人だから。」

 美冬はにこり、と微笑む。

「だから、別の方法を考えましょう。」

 

それまでなるべく感情を抑えて美冬の言葉に耳を傾けていた千羽が、耐えきれず、はぁ、とため息をついた。聞き分けのない子供に対する母親のようだ、と美冬は思った。目を泳がせた千羽の視線が、一点で止まる。

 美冬の手に握られている、白い便箋に。


「それは…?」

「これか…千羽ちゃんに見せるものじゃないんだけどね」

 私が救えなかったのは、千羽ちゃんだけじゃなかったの。ほかにもいたのよ、もう1人。自分に火をつけて、自分のことを殺してしまった子が。


 千羽は、便箋をひったくった。そして、読み始める。


 それは、千羽の自殺の原因を作った、女子高生の遺書だった。


◆◆◆


 最初は、自分よりも偏差値の高い高校に行った千羽へのやっかみだった。

 冗談半分で、噂を流したら、背ひれ尾ひれがついて、エスカレートしてしまった。


 …そんな言い訳めいた懺悔から、その遺書は始まっていた。


 裸の写真も、みんなに共有するつもりはなかった。たまたまこんな写真があったんだよね、と言って、別の友達と見ていて、そのときラインに間違って送信してしまって…それがあれよあれよと広まって。


 それでも、千羽が死ぬと思わなかった。

 千羽はいつだって、自分よりも強かったし、芯のある子だったから、自分がちょっとからかったくらい、苦にもしないと、どこかで思っていた。何をしても、誇り高く、自分の信念を曲げない。クラスみんなに裸を見られたくらい、なんとも思わない、そういう子だと思っていた。だから、変な話、「安心して」標的にしていた。何だか甘えていた、とも言える。

 でもちがったんだ。千羽。ごめん。本当にごめん。もう謝っても、取り返しがつかないと分かっているけど。

 千羽が死んでしまって…それから、お葬式で千羽のお父さんに言われて、初めて気づいた。

 「人殺し」と。 

 大人に、そんなことを言われるのは初めてだった。大人があんなふうに泣いているのを見るのも。

 千羽のお父さんは、こうも言った。千羽を殺したあなたを同じように殺したいと。

 それで初めて、自分のしたことに気づいた。

 本当に、ごめん。死んでも許してもらえないと思うけど。ごめん。


 

 …遺書は、そんな謝罪で、締め括られていた。読み終えた千羽が、顔を上げる。

「何でこれを、美冬先生が持ってるんだ?」

「私の教育実習が終わるとき、年賀状をやりとりしたいと言ってくれた子には、住所を教えたから…そこに送ってきてくれたんだと思う。」

 美冬は静かな面持ちで、続けた。

「きっとお父さんお母さんや担任の先生のように距離の近い人には言えなかったんだと思う。自分がお友達を、自殺するほど苦しめてしまった、なんて。でも誰かに聞いてほしかったんだと思う。これが届いたのと、彼女が自殺してしまった、という知らせが届いたのが同時で…。」

「本当に、自殺だったのか…。」

 千羽のつぶやきに、美冬はうなずく。

「ただ、店長は優しいから…自分が彼女を追い詰めたように感じてしまうでしょうね。自分が『人殺し』と言ったせいで、死んでしまった、って。直接手を下したわけじゃなくても、自分が殺したも同然だって思うでしょう。」

 木菟は聞きながら、便箋をたたんで自分のポケットにしまった。

(別の方法、か…)

 親父に人殺しをさせないで、親父も、美冬も生き延びられる方法。

(調べるしか、ないか…)

 タイムリミットはあと1日。木菟は、翼を羽搏かせ、燕のもとへと向かった。


◆◆◆


「そろそろ来るころだと思ってたわ。あと1日ね、木菟ちゃん」

 燕はあの、奇妙な空間で、木菟を待っていた。木菟は周囲に<管理人>がいないことを確認してから、燕に切り出した。

「親父も、美冬先生も死なせたくないんです…知恵を貸してもらえませんか…」

 燕は、じっと木菟を見た。

「それは、貴方の課題だから、私が答えを教えてあげることはできないわ。」

「…!」

「でも、ヒントをあげるくらいならいいかしらね」

「お願いします!」

 勢いよく頭を下げる木菟に、燕はそっと囁いた。

「大人はね、自分に都合の悪い法律があると、『解釈』を変えるのよ」


 そもそも、<死者の数を変えない>っていう掟は、どういう意味かしらね。考えたこと、ある?

 

「どういう意味って、そのままじゃ…。」

「ふふっ、あとは自分で考えなさいな。」


 これは貴方の人生、貴方の課題なのだから。

 燕はそれだけ囁くと、消えた。


(<死者の数を変えない>掟の、解釈を変える…?)

 

 木菟は、めまぐるしく考え始めた。


◆◆◆


 死者の数を変えない。その掟について深く考えたことは、木菟にはなかった。

 普通に考えて、そのまま、死んだ人間の数を変えない、という意味だろう。でもあの時、地獄の<管理人>は言った。地獄にもにぎわいがほしい、と。だから田中の<死に戻り>を許した、と。

 結局彼の真の動機は別のところにあることが分かったものの、<管理人>の建前としては、それであるはずだった。

(地獄に送られる、死人の数を減らさないでほしい、ということか。)

 そもそも、地獄に送られるのはどんな存在だったか。まず一つは、魂の擦り切れた死神。もう一つは…「他人を殺めた人間」。

 木菟はじっと考えをめぐらせる。

(これは…いけるかもしれない。)

 木菟は、急いで現世へと向かった。

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