第12話

千羽が死んだ後、そして千羽を殺した友達を殺した後は、正直何もかもがどうでもよかった。

 人生も、仕事も。

 そもそも家にしたって、千羽と2人で住んでいたマンションは、田中一人には広すぎた。いつも向かい合って座った食卓。空っぽの椅子。田中の作った料理を食べては笑う、彼女のいない生活なんて意味がなかった。

 自分も死のうかと、何度も考えた。そんなとき、美冬と出会った。

 

 最初は、ただの職場のアルバイトだった。千羽のクラスに、美冬が教育実習生として赴くまでは。

 美冬は、千羽のことをよく理解してくれたと思う。バイト先の上司である田中の娘、というのもあったと思うが、クラスの輪に入れないでいる千羽に、何くれとなく話しかけたり、配慮してくれていたようだ。千羽も、美冬のことを家でよく話していた。いわく、「いい先生になりそうじゃん」と。なぜか上から目線だったが、でも、嬉しそうだった。気に入った人間のことを話すときの顔をしていた。

 でも結局、美冬が去ったその翌月、千羽は自殺してしまった。美冬は葬式で泣きながら頭を下げた。いじめに気づけなかった、千羽のことを救えなかった…と。

 田中には、美冬を責める気持ちはひとつもなかった。たかが2週間、しかも教育実習生が、クラスで起きているいじめに気づき、対処し、解決するなんて、できるわけがない。

 田中が誰より責めているのは、自分自身だった。


 どうして救えなかったのか。


 田中の胸にうつろにこだまするその問いを、美冬は、何分の一かでも共有してくれた。美冬までがその問いを背負う必要はないと思ったが、同時に、彼女の存在だけが、田中をこの世につなぎとめたのだった。


だから。

 <死に戻り>を提案されたとき、田中には2つ動機があった。


 一つは、千羽のこと。

 木菟を名乗る少女が、千羽の生まれ変わりか何かであることは、一目ですぐに分かった。


 だって、そっくりだったから。

 刺青がなければ。そして翼がなければ。死んだときそのままの姿だった。その千羽が、死神などというものになっていた。この世に強い未練を持っていて、記憶がすべてなくなったら、魂が擦り切れるまで地獄の使い走り。その意味するところは田中にはよくわからないが、千羽が死んでまで苦しんでいるなんて、それからこの後永遠に苦しみ続けるなんて、そんなことは耐えられなかった。

 それが、<死に戻り>の一つ目の動機だった。


 もう一つは、美冬のこと。美冬は前田に追い詰められ、自殺しようとしていた。一命を取り留めたのは幸いだったが、大けがをし、自分が犯してもいない罪の疑いまでかけられ、犯罪者として生きていく…それは、死んだほうがましなくらい、つらい人生だと田中には思えた。

 絶対にはそんな目に遭わせたくないと思った。

 美冬が、大切だったから。

 彼女だけが、千羽を失った悲しみを、理解し、分かちもってくれたから。


 だから。


 田中は、死に戻って、前田を殺す必要があった。


 彼が、すべての間違いの始まりだった。彼さえいなければ、美冬が自殺することもないし、焼死事件が関連づけられて女子高生の事件についてまで疑いをかけられることもなくなる。

 美冬の人生から、前田を取り除く。

 死者の数なんて、どうでもいい。そもそも、自分の生き死にはどうでもよかった。

 絶対に、彼女を救いたいと思った。それが二つ目の動機だ。


「じゃあ、前田を殺したのも…田中なのか」

 絶句する木菟に、田中は頷いた。

「前田さんの家に行ったとき、鍵がかかってなかったんだ。」

「結局、中に入ったのか…。」

「前田さんはもう酔いつぶれていたよ…。時間をおいてカーペットに燃え移るように、火のついたタバコをセットして帰ってきたんだ。」

 失敗する可能性もあったけれど、そのときはそのときだよ、と田中は微笑む。

「それで…田中が干渉したから、<死に戻り>前と結果が変わったのか…。」

 木菟は納得し、独り言ちた。前田の生死が<死に戻り>前と変わったのは、やはり田中が干渉したせいだったのだ。それにしても、害意を持って関わったのに、結局は前田を生きながらえさせる結果になったことは、田中らしいと言えなくもない。

「別にいいのさ、死ななくても。とにかく入院している間に、時間を稼いで…そのうちに美冬さんを引っ越させて、逃がせばいいんだから。」

 案の定美冬は近々引っ越すと言っていた。これでオーナーと前田の支配圏から逃れられれば、もう美冬は大丈夫だ。もしこのまま田中が死んだとしても、もう美冬は前田の支配下にはない。毅然と拒否して、彼とは一生関わらずに生きていけるだろう。

 残る気がかりは、1つだけ。

 田中は木菟に向き直り、懇願した。


「なぁ、千羽、頼む。死神なんて辞めてくれ。地獄に落ちるなんて、言わないでくれ。」

 田中は続ける。

「お前を殺した子は、お前と同じ苦しみを味わって死んだ。お父さんが殺したんだ…。」

 この事実を知って、未練がなくなれば。

 田中は祈った。

 さりげない会話の端々で、木菟の価値観は掴んでいたつもりだ。

 出会った初日に、「自分を殺した人間を、殺したいと思うか」と尋ねたとき、木菟は迷いなく復讐を肯定した。きっと人生に対する未練を抱いたのも、自分を裏切り、死に追いやった友達が、のうのうと生きていると思ったからに違いない。田中はそう予想して、彼女が死んだことを示す雑誌記事の切り抜きを木菟の目にさらしたりもした。木菟が記憶をほとんど失っていることを知り、好きな場所に連れていってみたりもした。結局、そうした努力はすべて水の泡と化したけれど。

 祈るように呟く田中に、木菟は、目を見開いて。

「…お前はバカか。」

「千羽…。」

「ふざけんな!バカ親父!」

 木菟は激しく羽搏いて、見えなくなった。

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