第11話
9月6日
一泊旅行から戻ったあと、美冬をいったん家に帰した。
前田は相変わらず意識を失ったままだ。オーナーから田中、美冬への連絡も途絶えている。今のところ、すぐに追い出されることはなさそうだが、そのうちアパートを出たい、と言っていた。田中もそれがいい、と背中を押した。
教師の夢を改めて目指すかどうかは別として、美冬はもう前田にも古見オーナーにも関わらない方がいい。自分が死んだとしても、美冬にだけは前向きに生きてもらいたいし、幸せになってほしい。その思いは変わらない。
美冬がいなくなると、部屋がぐっと広く、静かになったように感じる。もとに戻っただけなのに、より一層の淋しさを噛み締めた。
いや、正確には、もとに戻ったわけではない。もう1人の居候・木菟の存在を忘れてはならない。
旅行から帰ってくると、木菟は既に田中の家に戻っていた。美冬の手前黙っているのかと思いきや、美冬を帰したあとも、ほとんど話しかけてこない。
(置いていったから、拗ねてるのかな。)
田中の位置を捕捉する能力があるのかと勝手に思っていたが、それは田中の勝手な憶測だった。田中と美冬が埠頭を離れたことで位置を見失い、先に田中の部屋に戻って待っていたのかもしれない。
(何か好物をつくって、機嫌をとるか。)
田中が木菟の顔色をそっと伺うと、目が合った。
今度は、目をそらされなかった。
「話があるんだけど」
木菟が神妙な面持ちで、切り出した。
◆◆◆
木菟は前田の前に、いくつかの資料を広げた。
「<死に戻り>前、お前が死んだあと、美冬がどうなるはずだったか覚えているか?」
「大けがをしたよね。それから、俺を殺害した容疑だけでなく、他の事件の疑いまでかけられた。」
「そうだ。一つは前田の事件。おそらく死に戻る前、前田を殺害したのは美冬だろう。求めに応じて謝罪に行って、そこでトラブルがあった。それで殺害した。」
「証拠はないけどね」
田中が口を挟んだ。木菟は無視して、先を続ける。
「まぁそれは、どっちでもいいんだ。肝心なのは、もう一つの事件の方だ。」
「もう一つの事件?ああ…。」
「11月に起きた女子高生焼死事件。同じ市内で、世間をにぎわせた焼死事件として、半ば強引に美冬と被害者の接点がこじつけられ、美冬に疑いがかかった。でも、おかしいんだよなぁ。」
木菟は話を続けた。
「前田の件は、動機がはっきりしている。あたしもこの目で見たからな。確かに美冬は、前田やオーナーに逆らえない立場で、かなり追い詰められていた。かなりひどいことも言われていたし、美冬と前田が2人きりになって、美冬が…まぁ、かっとなって殺してしまった、というのは納得がいく。どう考えても美冬に、女子高生を殺害する動機がない。動機もないのに人を殺すような人間じゃない。」
「まぁ、同じ市内で起きたっていうだけの、かなり強引なこじつけだったからなぁ。誰が書いたともしれないネット記事でしょ。面白半分なんじゃないの。」
田中の言葉に、木菟は頷く。
「でも、疑問に思った。11月の女子高生焼死事件の真相について。本当に自殺なのか。もし殺人だとしたら、誰が殺したのか。調べてみたら…その前月、10月にもう1人、女子高生が死んでいることが分かった。」
木菟が1枚の写真を取り出す。田中の目が、そちらに吸い寄せられ、釘づけになった。木菟は、田中の反応を、慎重に観察した。
驚きはない。
おそらくすべて分かっていたのだろうと、木菟は思う。
「こちらは状況的に、自殺で間違いない。遺書が見つかっている。遺書の内容は報道されていないが、学校でのいじめが引き金になって、鬱状態になって、自殺したんだ。こいつの名前は…田中千羽。」
写真には、短髪で、目つきの鋭い女子生徒が映っている。カメラをにらみつけているようだ。
「知ってるのか」
木菟の問いかけに、ゆっくりと、田中が顔を上げた。表情が読めなかった。
「田中なんてよくある苗字だもんな。関係ないよな…関係ないって言ってくれよ、田中」
懇願する木菟。田中も、木菟も、分かっている。
写真の少女は、木菟にそっくりだった。
そっくりなどというものではない。顔の刺青と、翼がなければ…木菟そのものだった。
「関係あるよ」
田中は、ぽつりという。
「彼女は、俺の娘だ。千羽は、去年の10月に、自殺した」
◆◆◆
妻の千雪が癌で亡くなってから、千羽は、田中にとって唯一の希望だった。
生きる意味そのものだったと言ってもいい。
千雪は、千羽が幼いころに亡くなった。その後は、父一人娘一人で生活をしてきた。
中学生になって、千羽は口が悪くなった。必要以上に乱暴な、まるで少年のような話し方をした。が、心根は千雪に似て優しかった。文句を言いながらも、絶対に買い食いや外食はしないで、家で田中の作った料理を食べた。ダイニングに置いた食卓で、田中と差し向いになって。
美味しい、と素直に言ってくれることは少なかったが、田中は千羽の好きな献立をよく分かっていた。焼き鮭に、ぶりの照り焼き。野菜は嫌いだが、刻んでスープにすれば食べてくれる。肉より魚が好きだった。普通の子供が好む濃い味や揚げ物を好まず、あっさりとした素朴な味付けを好んだ。
我が子ながら、変わった子だと思った。だが、田中にとっては、唯一の宝物だった。
音楽が好きで、特にロックが好きだった。市外の埠頭で行われる真夏のロックフェスは毎年楽しみにしていて、近くの宿を何か月も前から予約して、親子2人で通っていた。田中はロックは分からなかったが、千雪が好きだったので、千羽はそれを覚えたのだと思う。千雪が生きていたころ、千羽は幼すぎて、一緒にロックを聴くことはなかった。でも、遺品のCDがたっぷり残っていた。千羽が中学生になってから、一人で千雪の遺品を漁って、ロックを聴いていたのを知っている。
我が子ながら、変わった子だと思った。だが、田中にとっては、唯一の宝物だった。
…だから、警察から連絡を受けたとき、何かの間違いだと思った。
千羽は一人で死んでしまった。自分で自分に火をつけたという。遺書があった。
変わり者で、友達の少ない千羽には、1人だけ友達がいた。中学からの友達で、進学した高校は違ったが、何かで連絡を取り合っていたようだ。
それが、どこでどう行き違ったのか、トラブルになった。
子供というのは残酷なことをする。その友達は、千羽が変人で、異常者で、危険な人間だ、ということを、千羽が進学した高校の生徒に触れて回った。最近はインターネット上のサイトやSNSで、いろいろな噂や陰口がすぐに広まる。母親がいない、ということも相まって、千羽は徐々に高校で孤立していったようだ。
確かに子供らしくないところがあった。肉より魚が好きで、ロックが好きで、風体のさえない父親と2人暮らし。口も悪くて、人付き合いだってうまくなかった。男みたいな言葉でしゃべるし、思ったことを率直に口に出してしまうから、他人によく誤解される。
それでも、田中にとっては、唯一の生きる希望だったのだ。
一番の引き金は、中学時代にふざけて撮り合った裸の写真を、クラス中に回覧されたことだった。
そんな写真を撮り合うくらい仲が良かったのだ。彼女たちが、千羽がただ1人心を許していた友達が、千羽を裏切り、そして千羽は命を絶った。
それからだ。
田中が、人生に執着を失ったのは。何もかもどうでもいいと思い始めたのは。
過去の暗い思い出に浸る田中を横目に、木菟は続けた。
「11月の焼死事件…この被害者は、10月に死んだ、『田中千羽』の中学時代の親友だった。つまり…。」
「分からなかったんだよ。」
「え?」
…千羽が死んだとき、遺書を読んだ。遺書の中で千羽は、田中に謝っていた。千羽が田中に謝るのは、初めてだった。
謝らなくていいから、生きていて欲しかった。高校なんか行かなくてもいい。千羽のことを誰も理解できない場所に千羽がいる必要はない。だが、千羽はこの世を去った。
自分で自分の体を焼いて。同級生たちに嘲笑われた体を、灰にしたくて。そんなくだらない理由で。…そう、田中にとっては、くだらない理由だった。でも、千羽は誇り高く、潔癖だった。そして、まっすぐだった。
「どうして千羽が、あんなに熱くて、つらくて、苦しい思いをしなきゃならなかったのか…俺には千羽しかいなかったのに。」
「それで…。」
「そうだよ。俺が殺した。千羽を殺した友達を殺したのは、俺だ。」
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