第10話
9月5日
夜明けごろ、木菟は田中の家に戻ってきた。燕の調査に進展はないかと思って地獄の前室に戻ったのだが、さすがの燕も、一晩では調べきれなかったらしい。もう1日欲しいと言われて、戻ってきたのだった。
そして、当たり前のように、田中と一緒に朝ご飯を食べている美冬を見て、ちっと舌打ちし、うんざりした口調で言う。
「この女、まだいるのかよ…前田は死んだようなもんだし、もう自分の家に戻っても大丈夫だろ。」
(そういうことを言うな。あと前田さんは死んでないから。そこ、繊細なとこだから!)
「ていうか、最初から何泊か泊まるつもりで来たんじゃねぇの?」
(こら。)
田中が目で制してきたが、どうせ聞こえないんだからいいじゃん、と木菟は開き直った。
当然、木菟の悪態など知る由もない美冬は、さらに驚くべき発言をした。
「店長、少し出かけませんか?」
「出かけるって、どこへ?」
田中の質問に、美冬は少しはにかんで答えた。
「いえ、あの…店長この前、旅行でもしたいって言ってたので…せっかくだから…。」
「はぁ?何言ってんだこの女は!こっちにゃ、もう時間がないんだよ!」
木菟はつい怒鳴った。どれだけ怒鳴っても残念ながら美冬には聞こえない。聞こえるようにできる方法もあるが、今はそのときではない…と、木菟は冷静に自分を抑えた。
今日は9月5日、10日間の<死に戻り>も折り返し地点を迎えている。
(今のところ、美冬の自殺に巻き込まれて死ぬ可能性は、かなり下がったとは言えるが…。)
もう一つ、別の問題が残っている。
死者の数。
死者の数を減らしてはならない。それが、<管理人>が提示した<死に戻り>の条件だった。美冬が死なないとしたら、そして他の誰も死なないとしたら、<死に戻り>の前同様、田中が死ななければならない。
(適当に、誰か殺せばいいだろ…たとえば、前田とか。)
前田は今のところ、生きてはいる。病院も分かっているし、意識不明の重体なのだから、生命を奪うのはたやすいことだろう。木菟が代わりに殺してきてあげたいくらいだが、これは田中が手を下さなければ意味がない。そして、人の良い田中のことだから、自分が生き延びるために他人を殺す、などということは承服しないに違いない。それがたとえ、前田であったとしても。
(じゃあ俺が死ぬ、ってか…人の気も知らないでよ。)
木菟は認めた。自分は、この男に生きていて欲しい。なのに田中自身は、「生きたい」と言わない。誰かを助けたい、誰かを殺したくないと、他人を優先するばかりで、「自分が生きたい」という欲求が驚くほど薄い。それが木菟にとっては、もどかしかった。
「一泊二日くらいで…どうでしょうか。お互い、店ももう、ありませんし…。」
「旅行かぁ…。」
木菟の葛藤をよそに、田中は呑気に思案している。
「じゃあ、行きたいところがあるんだけど、いいかい?」
嬉しそうな様子の田中。木菟は絶句した。
「…まさか…まじか。お前、旅行なんかしてる場合かよ…。」
(いいじゃん、最後くらいさ…。)
「最後って…その発言が問題なんだよ。」
木菟にだけ小声で囁く田中に、木菟は、大きくため息をついた。
◆◆◆
「まぁ、近場だけどさ。いい温泉もあるし」
駅前でレンタカーを借りた。田中の運転で、助手席に美冬。木菟はぶうぶう言いながらも後部座席に座った。
田中は「2時間くらいのドライブだから」と言うと、市外に出た。少し走ると海岸線が見える。市内を流れる川と同じ名前の湾のはずだ。木菟は他に見るものもないので、黙って青い海岸線を眺めた。
「寄り道していいかな。」
ドライブの途中、埠頭のようなところに出た。だたっぴろい、何もない空間。潮風が美冬の髪をさらう。
「…いい眺めですね。」
「何もないじゃんかよ。」
潮風を浴びている美冬の隣で、木菟は文句を言った。
確かに景色はいい。野原に、海岸線。だが、何もない。
「何もないところに来たってしょうもないじゃんかよー。わざわざ旅行に来て、海見て野原見てどうするんだよ!風強いだけじゃん!」
木菟が訴えても、田中はくすっと笑うだけで、何も答えない。
(おっさんが考える旅行なんて退屈なもんだな…そうだ、地獄に戻って燕さんに会おう。そろそろ何か分かったかもしれない。)
「ちょっと外すけど、田中、お前変なことすんなよ!」
木菟はまた羽搏いて、地獄に戻った。
◆◆◆
「木菟ちゃん、ちょうどよかった~。頼まれてた仕事、終わったわよ~。」
「ありがとうございます。さすが燕さん、仕事が早い。」
「でもちょっと~、木菟ちゃんは見ない方がいいかもしれないわね。」
燕から資料を受け取りながら、木菟は首をかしげた。
「いや、あたしもほぼ1年死神やってるんで…焼死死体写真くらいじゃ驚かないですけど…。」
「そうじゃなくて~、ま、いっか。」
燕はふああ、と眠たげに伸びをした。結構無理をして調べてくれたようだ。
「わたしはね、あなたが見て判断すればいいことだと思うわ。もう子どもじゃないんだし…。」
あなたが見て、知って、そこから何を感じ取るかは、あなたの自由。
そこからあなたの責任が始まるのよ。
意味深な先輩の言葉に深い胸騒ぎを覚えながら、木菟は資料を受け取った。
退屈な旅行とはいえ、監視対象からあまり長い時間目を離すのも考えものだろう。しかも、昨夜もなんだかんだいって目を離してしまったし。
木菟はとりあえず現世に戻ることにした。とはいえもう、退屈な旅行に付き合う気にもなれない。田中の家に直接戻って、今夜は一人で資料を読もう…そう決めて、木菟は翼をはためかせた。
◆◆◆
「きれいですね…こんなスポットがあったなんて。」
「そうでしょう?知る人ぞ知る、夕日の綺麗な浜なんですよ…。」
田中と美冬は埠頭に佇み、海岸線に沈む夕日を眺めていた。
せっかくきれいな夕日を見せようと思ったのに、木菟は途中でどこかへ消えてしまった。だが、田中を見張るのが仕事だと言っている以上、そのうち戻ってくるだろう。
「夏には野外フェスがあるんですよ。毎年、楽しみにしてたから。今年は行かなかったけど。」
「そうか…好きでしたもんね…。」
「俺も毎年来てたからね。」
2人はしばらく黙った。しばらくの沈黙ののち、美冬が口火を切った。
「私、思うんです。店長に生きていて欲しいって。」
唐突な美冬の言葉に、田中は笑った。
「生きているでしょ?どうしたの、急に」
「でも店長、千羽ちゃんの事件の後、なんだか人が変わったみたいで…元気がない、っていうか、投げやりっていうか…。」
また、千羽の名前が出た。田中は静かに答える。
「まぁ、一人娘に死なれたからね。それはそうでしょう。」
「私怖いんです…千羽ちゃんが、店長を連れていっちゃうんじゃないかって。昨日も、一昨日も、千羽ちゃんがそばにいるような気がして…。」
「気のせいだよ。」
必死に主張する美冬を、田中は宥めた。そばにいるといえば、ずっと木菟が2人を見張っていた。勘の鋭い美冬のことだから、何か感じるものがあったのかもしれない。それで、千羽の事件と結びつけたのだろう。
「とにかく、私は…店長に、生きていて欲しいです…。」
美冬の言葉に、田中はあいまいに頷いた。
確かに千羽の事件の後、自分は生きることへの欲求を失っていた。その後にあったことも…罪悪感が尾を引いて、人生に投げやりになっていたかもしれない。
でも、ここ数日間、木菟や、美冬と一緒に過ごし、彼女たちのために料理を作って食べる。そんなことに、些細な幸せを感じている自分がいた。小さいが、しかし、確かな幸せ。田中がここしばらく忘れていた感情だった。
木菟はともかく、美冬を助けることができた。それで十分満足するべきなのに、さらに欲を出している自分がいる。
(美冬さんは、自分に、生きていて欲しいと言ってくれた。)
だから、まだ、生きていたい。
そしてできれば、美冬と一緒に、生きていきたい。そう思ってしまう自分は、単純だろうか。
しかし、自分は一度死んだ人間だ。自分が生きていたいと願うことは、すなわち、他人の死を願うことを意味する。
(もうこれ以上、俺の周りで、人を死なせるわけにはいかない。)
田中は、邪念を振り払うように、頭を振った。
◆◆◆
夕日が沈むのを見届けてから、田中と美冬は、海の近くの温泉宿へと向かった。
(木菟は合流できるんだろうか…まぁいいか、死神見習いなんだし…。)
田中は少し不安になったが、きっと不思議な力を持っていて、田中の位置くらい簡単に捕捉できるに違いない、と思い直した。何度か、翼をばたばたさせて消える、という術(?)を見たことがある。
夕食の主菜はしゃぶしゃぶだったが、前菜も凝っている。チキンレバーのムースだ。鶏レバーと、牛乳、白ワイン、バター…少しカレー粉も入っているかもしれない。
「美味しいね…うちの店でも出したいな。」
舌鼓を打ちながら、つい呟いてしまう。そして次の瞬間、もう店は辞めたのだということを思い出した。 それを聞いた美冬が、真剣な面持ちで言う。
「…店長、前から思っていたのですが、ご自分のお店を持てばいいんじゃないでしょうか。」
「自分の店?」
「前は居酒屋でしたけど…小料理屋みたいな感じで、小さい店だったら。だって前は店長、よく言ってたじゃないですか。自分のお店を持ちたいなって。」
「うーん、考えてみたことはあるけど。」
自分の店を持つ、という選択肢は、だいぶ昔に、考えてみたことはあった。それからいろいろなことがあって、考えるのをやめてしまったけれど。
「だから、本当はそれが店長の夢だったんじゃないかって…店長の料理は本当においしいから、きっと流行りますよ。私、店長のお店で働きたいです!」
「ありがとう。」
田中は、想像してみた。美冬と2人で、小さな小料理屋を切り盛りする。
(何を虫のいいことを。夢というより、夢幻だ…。)
あまりに都合の良い妄想に、くらくらする。そもそもこのままでは、自分の命はあと4日と少しなのに。幸せな光景を想像すればするほど、欲が出て、死ぬことが辛くなる。
(そもそも俺に、生き延びる価値なんかないんだ。)
田中は話を変えた。
「夢と言えば…美冬さんの夢はいいのかい?教師になるのが夢じゃなかったの?」
田中の言葉に、美冬ははっとしたように箸を止めた。
「私は…私なんか、教師にはなれません…。」
「そうかな…俺はいい先生になると思うけど。」
美冬は美冬で、過去に囚われているのだろう、と思う。他人事だから思えるのかもしれないが、そんなことは忘れて、自分の夢をかなえて、幸せになってほしいと、田中は切に願った。
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