第9話
9月4日 朝
結局美冬は泊まっていった。前田が家に戻っておらず、所在が分からないので、美冬はアパートに戻らないほうがいい…と田中自身が勧めたのだ。
言った後、美冬がどう思うかな、と今更ながらに不安になった。木菟を泊めていることで、自分の中での「異性を泊める」ということのハードルが下がっていたらしい。反省したが、美冬は特に嫌がりもしなかった。いろいろ荷物を持っていたところを見ると、最初からそのつもりで来たのかもしれなかった。
翌朝、朝食をとっていると、美冬の携帯に、オーナーから、至急店に来てほしいと連絡があった。最初、断ろうとしたが、なんでも、警察が来ているという。田中が一緒にいると分かると、オーナーは、田中にも来てほしいと訴えた。それで、田中と美冬は店に向かうことにした。もちろん木菟も一緒だ。
店に着くと、オーナー、スタッフのほかに、見慣れない男が2人来ていた。刑事だという2人は、挨拶もそこそこに、本題を切り出した。
「ここの共同出資者の前田さん、ご存じですか。」
「ええ、もちろん。何度かお客様として来ていただいたので…。」
「昨日、ご自宅で小火がありました。」
「小火、ですか…。」
田中と、木菟が目を見合わせる。当然、木菟は田中以外の人間には見えない。
が、2人だけは理解していた。
(前田の家で火災…<死に戻り>の前と同じだ。)
今回は、美冬は田中のマンションにいた。謝罪にすら行っていないし、彼女に疑いがかかる可能性は万が一にもない。
「それで先ほどオーナーから、昨夜榊さんが前田さんの家に謝罪に行ったはずだ、とお伺いしたので、その時の様子をお伺いしようと思いまして。」
予想だにしない刑事の言葉に、慌てて田中が答える。
「いえ、実は、代わりに自分がお宅に伺ったんです。そのときは何も…。」
刑事のひとりが、ちらりとオーナーを見る。
田中が目を向けると、オーナーはきまり悪そうに目をそらした。田中は刑事たちに説明した。
「接客についてお叱りを受けていたのは榊ですが、責任者は自分ですから。自分が謝りに行くのが筋かと思いまして…。榊については、先日自分の判断で、解雇にしていましたし。そういった状況説明も含めて。また、自分自身も店長を退く決断をしたもので、ごひいきにしていただいたご挨拶もかねまして…。」
「そうですか。」
刑事たちも、オーナーと田中の話の齟齬についてはそれで納得したようだった。質問の相手を、田中に切り替える。
「それで、田中さんが前田さんの家に行かれたのは…。」
「夜7時頃です。いつもお店にいらっしゃるときはそのくらいの時間だったものですから。しかし、そのときは留守で、お会いできませんでしたが…。」
「なるほど、そうなんですね。」
聞くと、刑事たちはさして興味もなさそうに相槌をうった。そして、現場の状況を教えてくれた。
「どうやらご自宅で深酒して、煙草の不始末で火がついたようなんですよね…多いんですよね、寝煙草。」
「そういえば、少し、においがしたかもしれません…そのときに気づいていれば…。ちなみに、小火が起きたのは…。」
「昨夜の9時頃です。田中さんが訪れられた、2時間くらい後になりますね。」
田中の問いに、もう1人の刑事が、手帳を見ながら教えてくれた。
「近所の人が早く気づいて消防車を呼んでくれたおかげで、小火で済みましたし…。奥様も、何度も注意はされていたようなんですが。ちょうど夜勤でいらっしゃらなくて。」
田中は頷く。田中と刑事2人の会話に、美冬が恐る恐る口をはさんだ。
「あの、前田さんの容体は…」
「今病院で、集中治療室にいます。かなり煙を吸っていますので…正直、なんとも言えません。」
「そう、ですか…。」
田中は、美冬の方を向き直った。
今回は状況的に、美冬が疑われる可能性はかなり低そうだ。それでも、なるべくこれ以上、美冬と刑事に話をさせたくない…ちょっとした話の流れで、美冬に前田殺害の動機がある、などと言われて痛くもない腹を探られるのはごめんだった。田中は無理やり、会話を遮る。
「美冬さんも、心配ですよね。前田さんにも、いろいろお世話になりましたし。落ち着いたら一緒にお見舞いに行きましょう。」
田中は儀礼的に病院名を聞き、オーナーに挨拶をしてから、美冬とともに、店を後にした。
◆◆◆
店を出た後、何となく美冬も一緒に、田中の家に帰る雰囲気になった。この状況で、自分の家に帰って、一人で過ごす気になれないのだろう。揉めていた相手だからこそ、内心穏やかではないに違いない。木菟は止めたかったが、どうせ無駄だろうと思い、何も言わなかった。
家に着くと、美冬が静かに呟いた。
「それにしてもびっくりしましたね…小火なんて。」
「そうですね。俺もびっくりしましたよ。たまたまその日行った場所で、その後小火になるなんて…なかなかないですからね。」
「前田さん、大丈夫でしょうか…。」
「わかりません。天に祈るしかないですね。」
たまたまその日行った場所が、その後小火になった。田中はそう言ったし、警察も、田中を疑うつもりはまったくないらしい。現場検証の結果、事件性はなく、寝たばこの不始末による事故ということで決着がついているのだろう。
だが、木菟は、この状況に違和感を感じていた。
(死に戻り前の9月3日も、前田は火災にあっている…偶然か?)
田中の死に戻り前の9月3日は、前田が火災で死んだ日だ。そしてその時はおそらく、自分で前田の家を訪れた榊美冬が、彼を焼殺した…少なくとも木菟は、そう睨んでいる。
(でも今回は、美冬は犯人ではない。)
田中が部屋を出たあと、ずっと美冬は田中の部屋にいた。田中と木菟が家に帰ってきたのは夜8時前だったが、そのとき美冬は田中の部屋にいたし、そのあと一度も田中の部屋から出なかった。それは木菟自身が見ていたので、間違いはない。美冬が前田の家に火をつけた可能性は、かなり低かった。
(だとすると、やっぱり<死に戻り>の前も、美冬は犯人じゃなかった…?)
田中が主張するように、<死に戻り>前も、美冬が前田を殺したわけではないとしたら。だとしたら、つじつまは合う。<死に戻り>では、田中が干渉した部分以外は、基本的に巻き戻す前と同じ出来事が繰り返される。<死に戻り>前から前田の件が単なる事故だったとすれば、美冬が会いに行こうが行くまいが、昨夜また前田が火事に遭ったことには何のおかしい点もない。
(でも、<死に戻り>前は、前田は死んだはずだよな…今回は死ななかった…偶然か?)
まったく同じ状況が再現されたわけではない。木菟は首をひねる。
「寝煙草、危ないですよね…そういえば田中さんは、煙草吸われましたっけ。」
「前は吸ってましたけどね…今は吸っていません。煙草は料理人の大敵ですよ。」
何気ない田中と美冬の会話から、木菟は自分の違和感の正体に気づいた。
(そういえば、あのにおい…。)
昨夜戻ってきたとき、彼からは煙草のにおいがした。
本当に前田が留守だったとしたら、田中は母屋の中に足を踏み入れていない。庭を横切り、母屋の玄関先でもう一度チャイムを鳴らしたはずだ。いくら前田がヘビースモーカーとはいえ、それだけで煙草のにおいが移るだろうか?
そして小火の原因は、寝煙草。これは、まったく関係がないのだろうか?
木菟はふっと立ち止まる。
(まただ…。)
違和感。田中の寝室で雑誌の切り抜きを見つけたときと同じような感覚に、木菟は囚われていた。
すべての情報が、関連性をもっているような。木菟の見えないところで、細い糸がからまりあって、一つのストーリーをなしているような。そして、それらの糸はすべて、この男…田中へとつながっている。
(…何か隠してるのか?)
「木菟?」
木菟が急に立ち止まったのに気づき、田中が振り向いた。木菟を見ることのできない美冬が、怪訝そうに首をかしげる。
「ちょっと急用ができた…。」
「え?」
「地獄に戻る…すぐ帰ってくるから、見てない間に、変なことすんなよな。」
きょとんとした顔の田中を置いて、木菟は羽搏いた。
◆◆◆
「なにかさっき、言いました?」
「いえ…。」
家に戻ると、美冬が尋ねてきた。
さっきとは、帰り道で木菟に話しかけたときのことだろう。木菟がものすごい形相でこちらを睨んできたので、つい美冬の前ということも忘れて、話しかけてしまった。
本人は、いきなり地獄に戻ると言って、飛んでいってしまったけれど。
「なんだか昨日から、店長、たまに見えない誰かに話しかけてるみたいで…誰もいないところに向かって、頷いたり、とか」
気をつけていたつもりだが、さすがに美冬は鋭かった。田中は内心舌を巻いた。
「そんな変なことしてた?俺…。」
「それで私、
予想外の名前が出て、田中はどきりとした。田中の反応を見て、美冬は慌てて謝る。
「あ、変なこと言って、ごめんなさい」
「いや、いいんだよ…美冬さん。かえってありがとう。」
本当に、何の取り柄もない中年男を店長店長とよく慕ってくれる。前田から守ってやることもできず、死に戻っての2度めのチャンスにもかかわらず、ただ解雇という形でしか問題を解決できなかっただめ店長の俺を、責めることなく、信頼してくれている。それだけで十分だ…と田中は思った。
自分の人生にとって美冬は、最後に残されたわずかなともしび、そんな存在だったのだ。
だからこそ、今度こそ…自殺など、絶対にさせるわけにはいかない。けが一つさせず、9月9日まで守り切る…田中は決意を新たにした。
そんな田中の決意をよそに、美冬は話し続ける。
「わたし、本当にだめ人間なんです…さっきお店でも…前田さんの容体を聞いたときに…。」
続きが予想できるような気がした。美冬は肩を細かく震わせている。
「…前田さんがし、死んじゃえば、いいのにって…思っている自分がいて…わたし、最低…。」
嗚咽する美冬を、田中はそっと抱きしめた。
「そんなことない。美冬さんのおかげで、どれだけ俺が救われているか、知らないだろう。」
震える美冬を、田中はしばらく抱きしめていた。
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