第14話
9月9日
0時を回った。
今日が<死に戻り>の最終日だ。田中は、ひっそりと閉店後の店に佇んでいた。
(これでいい。やっぱり、死ぬのは、俺でいい…いや、俺がいいんだ。)
自分が殺したわけではないと、言い張ることもできた。昨年の11月、千羽をいじめていた主犯格の少女が、焼身自殺をしたときのこと。
あの子は自分で、自分のしたことを悔いて、それで千羽と同じように、自分に火をつけて自殺したのだ、と。
自分の娘を自殺に追いやった犯人に対し、葬儀の場でつい、「人殺し」と口走った。最愛の娘を失った直後で錯乱していた田中が、彼女を罵倒したとしても、誰も田中を責めはしないだろう。しかし、田中は許せなかった。彼女を死に追いやった、自分自身の言葉が。
結局それは、彼女が娘にしたことと、何が違うのだろうか。田中は自問自答した。そして、自分を責めた。
千羽を失った衝撃に加え、自分の言葉でいじめの加害者を死に追いやってしまったこと。それが「クズのような人生」のすべてで、それゆえ田中は、自分の命が失われることに何の感慨もなかった。
この<死に戻り>を経験するまでは。
「今日が期限ですね。…代わりの死体は準備できましたか。」
いつの間にか目の前に、男がいた。木菟が<管理人>と呼んでいる男だ。以前、地獄の前室と呼ばれる空間で出会ったときと同じ、気づけばそこにいた。だが、今度は田中は驚かなかった。
「いいえ…。」
「では、どうするのですか。」
「俺が…俺が死にます…。」
田中は、足元に視線を投げた。灯油の入ったポリタンク。ポケットにはライターも用意してきている。
「この店に迷惑をかけるのは、しのびないのですが…同じ建物の他の階も店舗で、この時間火をつけても他の人を巻き込む恐れはありませんし…なるべく<死に戻り>前と状況を変えない方がいいと思うので…。」
田中は説明したが、何だか言い訳みたいだな、と思って、途中でやめた。
結局は思い出深いこの店で生涯を終えたいという、エゴに過ぎないのかもしれない。田中は、灯油をまこうと身をかがめた。
「ちょっと、まってくれ…。」
<管理人>が興味深げに眉を上げる。
ひとりの少女が現れた。
「千羽…。」
「おや、木菟。ずっと彼についていないとダメじゃないですか。どこに行っていたんですか?」
白々しい<管理人>の質問を無視し、木菟は田中の前に立った。
「お前は、生きたくないのか。」
「千羽…。」
「お前は、生きたいのか、死にたいのか、どっちなんだ!」
木菟の剣幕に、田中はしどろもどろになりながら、答える。
「俺は、ひどいことをしたんだ…お前のことだって守れなかったし…俺には生きる資格が、ないんだ…。」
「資格の話はしてないだろ!」
ぴしゃり、と木菟は怒鳴った。
「だいたい、生きる資格ってなんだよ。誰が決めるんだ。お前に生きる資格があるとか、ないとか。」
「千羽…。」
「お前が生きていくのに誰かの許しが必要なんだったら、あたしが許してやる!お前は生きろよ!…お前に生きて欲しいんだよ、あたしは!」
「でも…。」
田中はなおも、うつ向く。
「お前のいない世界は、寂しすぎるよ…。」
ぽつり、と放った一言。
木菟は大きくかぶりを振った。
「でも!お前が死んだら、美冬先生はどうするんだよ。」
田中がようやく、顔を上げた。
「あたしのことはいい。美冬先生のことも…まぁ、いい。お前自身は、生きたいのか、生きたくないのか、どっちなんだ!」
木菟の問いに、田中は震えた。
そして、ぽつりと、答えた。
「生きたい…。」
…取り返しのつかない過ちを、いくつも犯した。
大切なものを、いくつも失った。何の価値も見いだせない、クズみたいな人生だ。
それでも、まだここから、生きていきたい。初めてそう思えた。
「…言ったな…ようやく言ったな!」
じゃあ、生きろよ!
木菟は田中に背を向け、<管理人>と対峙した。まるで背後に、田中を守ろうとするように。
◆◆◆
「親子の感動的な会話に水を差して申し訳ないのですが、掟はどうするのです?死者の数を変えてはならないと、貴方は分かっているはずですが…。」
木菟が対峙した<管理人>は、薄い笑いを浮かべていた。木菟はぶるり、と武者ぶるいした。実力行使では到底かなう相手ではない。これからなんとか、口だけでこの男を打倒しなければならない。木菟は慎重に切り返す。
「それを言うなら、『地獄に落ちる』死者の数を変えない、だろ。」
「もちろん『天国に行く』死者の数も変えてはいけませんよ。」
<管理人>が素早く応酬する。
「変わらないよ、どっちも。田中が死ななくても。」
木菟の言葉に、<管理人>が、ふむ、と首をかしげる。
「そもそも、田中は、地獄に落ちるはずじゃなかっただろ。」
「…えっ?」
今度は田中が驚愕する番だった。
人が、地獄に落ちる条件。一つは、人生に未練を抱いて死神となり、魂が擦り切れるまで働くこと。もう一つは、現世で人を直接殺めていること。この二つの条件のどちらかに該当した場合、人は地獄に落ちる。
そもそも多くの人間は、現世で人を殺さない。だからこそ<管理人>は、天国に行けるはずの人間の未練をことさら煽り立てるような真似をして、人を死神に堕としては、地獄送りにしていた。木菟にしたってそうだし、田中の<死に戻り>を提案したのもそのためだ。だが、それについて正面から糾弾したところで、田中を救うことはできないだろう。木菟は唇を舐めた。
「田中は現世で誰も殺してない。最初から地獄に行かなくてよかったはずだ…。」
「でも…あれ?」
田中は困惑したように<管理人>の表情を窺う。確かに、<管理人>から直接、地獄行きだと言われたことはなかったことに気づいたのだろう。単純に、田中が、自責の念から、自分は地獄に落ちるのだろうと思い込んでいただけだ。
「しかし彼は、貴方のお友達を殺しましたよね?」
木菟との会話を楽しんでいるかのような風情で、<管理人>が確認した。
「彼女は、田中が直接殺したんじゃない。あんたは分かってると思うが…。」
木菟は、美冬から預かってあった女子高生の遺書を<管理人>に渡した。
「確かに田中は《殺してやりたい》とは言っているが、実際に手を下したわけじゃない。<直接殺めた>わけじゃないから、地獄に落ちる条件に当てはまらないだろ。」
「ふむ…しかし、<死に戻り>後に、前田氏を殺していますよね。」
「<死に戻り>後のことは関係ないだろ。ごっちゃにしないでくれ…まぁ確かに<死に戻り>後に前田の煙草の位置を変えたのは田中だが、前田は今んとこ死んでないだろ。そこは繊細なところだからな。」
木菟は真面目くさって言う。
「ちなみに、<死に戻り>前に前田を殺したのは、たぶん美冬だ。もしくは勝手に寝煙草で死んだか…どちらにせよ、田中には関係ねぇ。これは、合わせるべき死体の数に含まれない、っていうのは、いいよな。ということは…。」
「田中氏が生き延びても、『地獄に落ちる』死体の数は減っていない、と。」
「そうだ。最初から田中は、地獄に落ちるはずじゃなかったんだからな。地獄に落ちる死者の数は、<死に戻り>前も後も、ゼロだ。変わっていない」
木菟が語り終えた。一方で、田中は顔を曇らせる。
「でもあの子は、俺が殺したようなもんだよ…。」
「お前は黙ってろ!本当に生きたいのか!」
そんな2人のやりとりを見て、<管理人>はくつくつと笑った。
「まぁ、田中氏がどんなに落ち込んでいたとしても、実際に殺めていないのであれば、木菟の言っていることの方が筋は通っていますね。でも、天国の方にはどう説明するのですか?」
「確かに…俺が地獄に落ちないとして、天国に行くはずだったのを、<死に戻り>で天国へ行かなくなったら、そっちの数が合わなくなっちゃうよ。地獄、天国って分けたとしても、1人死んだところを死ななくするんだから、結局は…。」
首をかしげる田中に、木菟は呆れてため息をついた。
「お前はどっちの味方なんだよ。」
「でも木菟、彼の言う通りです。天国に行く死者の数も変えてはいけないのですから…。」
「いや、変わらないよ。」
「ほう、では他に誰かいるのですか?天国に行く人が…。」
木菟は、翼を開く。純白の羽を、管理人に示した。
「親父の<死に戻り>によって、親父が人を殺していないことを確認できた。これで親父が…幸せに暮らしてくれれば、あたしは…。だから…。」
あたしが親父の代わりに、天国に行く。
きっぱりと、木菟は言った。
それが、木菟が一晩考えて出した結論だった。
「ま、待ってくれ、それだと、千羽が死んじゃうだろ…。」
急に狼狽する田中を、木菟はどやした。
「あたしは最初っから死んでるの!地獄に落ちるより、天国に行く方がいいに決まってるだろ!だからこれは…これでいいんだよ」
もうこれ以上足を引っ張るなよ、と釘を刺し、木菟は結論を述べた。
「逆に親父が死んでしまうと、<死に戻り>で天国に行く死体の数が、増えちゃうだろ」
「なるほど…増える方ならいいではないか。」
いたずらっぽく言う<管理人>に、木菟は微笑んだ。
「管理人、掟は分かってるだろ。死体の数を変えてはいけないんだぜ」
◆◆◆
田中たちが家に帰るのを見送って、地獄の前室に戻ってきた<管理人>を、燕が出迎えた。
「あらぁ、木菟ちゃんは?」
「現世に置いてきましたよ。9月9日の朝方までは、田中氏の<死に戻り>を見張らなければなりませんからね。」
「うふふ、<管理人>は木菟ちゃんに甘いんですね。」
そもそも<死に戻り>前、木菟ちゃんは死神になって地獄に落ちる予定だったんだから、木菟ちゃんが天国に行っちゃったら地獄に落ちる死者の数は減ってしまうでしょう?
燕が木菟の論理のほつれを指摘すると、<管理人>は大仰に肩をすくめた。
「おや、言われてみればそうですね。気がつきませんでしたよ…まぁ、死神見習いは『地獄に落ちる』と確定した存在ではありませんからね…今回は大目にみましょうか。」
「またまた、<管理人>ったら。私を使ってさんざんヒントを出させたくせに。」
「でも、なかなか面白いではないですか。自分が天国に行くから、死者のカウントが合うなんて…本当に大胆で、彼女らしい答えだと思いますよ。」
<管理人>と燕は、目を見合わせてくつくつと笑った。
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