第7話

奇妙な光景だ、と木菟は思った。田中の家の食卓に、田中と美冬が向かい合って座っている。

 木菟はダイニングの反対側、田中の寝室側から2人を観察した。

 2人はしばらく黙ったまま、何も言わなかった。


(なんかしゃべれっつーの。)


 ずっと黙りこくったままの2人を眺めているのに飽きた木菟は、所在なく、田中の寝室をふらふらした。このマンション内の他の空間同様、寝室も綺麗に片付いている。そもそも一人で住むには広いんじゃないかと、来た当日に思ったことがまた脳裏をよぎった。家族などがいたのだろうか。そのあたりの事情については、<管理人>からも詳しくは聞いていない。本当に最低限の情報、9月8日の火事についての記事2つしか渡されていないのだ。今度本人に聞いてみるか、と木菟は思い直した。

 すでにここで何泊かしているが、あまり部屋のこちら側には来たことがなかった。料理人らしく、何冊かカラフルなレシピ本が目を引く。ふとベッドの横の書き物机に目を走らせると、机の上、古い雑誌の切り抜きに目が留まった。


 (例の女子高生焼死事件…?)


 部屋の向こう側では、田中が朝食を作ったようだ。食べるか、とでも問いたげにトーストの皿を持ち上げて見せたが、木菟は断然和食派だ。美冬もいるし、今日は特に食べなくてもいいか、と思い首を横に振った。

 遠くからしばらく見ていても、特に美冬が激昂するなどの様子はなかった。むしろ礼などを述べているようだ。とりあえずそちらは田中に任せて、木菟は切り抜きの方に注意を向けた。


 見ると、女子高生焼死事件についての記事だった。


(死に戻り前、美冬が疑いをかけられたっていう…田中の事件と、前田の事件に次ぐ、第三の事件か…)

 昨日、田中の間で、話題になっていた件だ。第三の事件と言っても、時系列としては昨年11月まで遡る。

 記事は週刊誌のもので、「少女たちの心の闇ーなぜ彼女らは焼け死ななければならなかったのか」という見出しとともに、大げさな文体で、推測も織り交ぜて書いたもののようだった。不謹慎だなと思いつつも、興味をそそられ、記事に目を落とす。

 記事の内容じたいは、昨年11月に高校2年生の女生徒の焼死事件が起きたこと、おそらく自殺とみられるが、遺書などが見つかっておらず、遺族が再調査を要求したこと…などが書かれており、田中から聞いた内容とほぼ変わりなかった。ただ一つ、木菟の知らない情報が目に留まった。

(その1か月前、10月にも焼身自殺があったのか…)

 同じ学校ではないが、同じ市内にある高校で、昨年10月にも生徒の自殺があったという。

 11月の事件と、10月の事件の被害者は同じ中学校出身で、亡くなった生徒同士は親友同士だった。何か関連性があるのでは…という推測で、記事は終わっていた。

(昨年の秋、といえば、美冬が教育実習に行って、教員をあきらめたのもその頃か…。)

 自分の持っている限られた情報が、どんどんつながって意味を持ってくるような感覚にとらわれ、木菟はかぶりをふった。

 美冬はもともと教員志望だったが、大学卒業後教員にならず、居酒屋で働いていた。彼女が教員をあきらめることになったきっかけが教育実習だった…とは、田中に聞いた情報だ。大学4年の秋になって教育実習、とはちょっと遅い気もするが、教育大でもない普通の大学で教職課程を取っているだけなら、よくあることなのかもしれない。

(なんぼなんでも、そんなことまで関係あるわけないし…教育実習きっかけで、教師になるのをあきらめる人間なんて、いくらでもいるだろ。)

 木菟は思い直したが、それでもただ一つ、気になることがあった。

(どうして田中がこの切り抜きを持っているんだ?)

 ほぼ1年も前の事件の、しかも週刊誌の切り抜きが、どうして田中の机に置いてあるのか。部屋を見渡しても、新聞もとっていないようだし、雑誌なども置いていない。何冊かレシピ本が立てかけてあるくらいだ。

 しかもよく見ると、雑誌そのものを切り抜いたわけではなく、いったんそのページをコピーしたものの切り抜きのようだ。ということは、わざわざその雑誌のコピーを図書館などで入手した、ということになる。

(美冬が関係しているかも、と思って、調べたのか?でも…)

 なんだか不自然だ。

 ふと田中の方を見ると、田中と目があった。美冬と会話しながら、じっとこちらを見ていたようだ。

 木菟と目が合うと、田中は、ふいと目をそらした。感情が読めない。

(ちょっと調べてみるか)

 死神仲間に聞けば、いろいろ調べられるかもしれない。


◆◆◆


 とりあえず、前田の家には田中が行くということで美冬との話し合いが決着し、ふと木菟の方を見ると、田中が書き物机に置いた雑誌記事を見ていた。視線を感じたのか、木菟がふと顔を上げ、こちらを見た。

 少し戸惑ったような表情を浮かべていいる。なぜこんなものがここにあるのか、と問いたげな表情だ。田中はあえて目線を外した。

(木菟は調べるだろうか。)

 木菟の性格上、きっと気になるはずだ。<死に戻り>前、田中の死によって、美冬と関連づけられた焼死事件は、前田の事件だけではなかった。

 昨年11月の女子高生焼死事件。これもまた、美冬との関連が疑われたのだった。木菟が持っていた<死に戻り>前の9月9日の朝刊には、そう書いてあった。同じ市内で起こった放火殺人(の可能性がある事件)だから、というだけではない。疑惑がかけられるからには、浅からぬ因縁があるのだ。

(これがきっかけになって、いい方向に向かうといいんだけど。)

 過去のことを調べることが、木菟にとって良い影響を与えるか、どうか。

(俺が救いたいのは、美冬さんだけじゃないんだよなぁ…。)

 これは賭けだった。でも、残された日数は、どんどん少なくなっていく。何もしないわけにはいかなかった。


◆◆◆


 時は少し遡る。あの不思議な空間で、田中が木菟を名乗る少女と出会ったあとのこと。


 木菟が早々に場を離脱した(ふん、と言って文字通り「消えた」)後、田中は男に問いかけた。


「彼女は何なんですか?今、死神見習いと言ってましたが…。」

「死神見習いは死神見習いですよ。羽根が生えていたでしょう。」

 いわく、天使のなりぞこないである、と。

 その男ー<管理人>と呼ばれる男は、田中に説明した。


 彼女もここに来る前は人間で、田中と同じように死んでここに来た。

 彼女は天使となって天国に行くはずだったが、行けなかった。なぜならこの世に強い未練があるから。現世に強い未練のある者は天使になれず、しばらくは死神見習いとして、この空間に留まる。

 そしてしばらくたっても未練がたちきれない場合には、正式に死神になるのだ、と。


「死神になったら、どうなるのですか。」

「どうもなりませんよ。魂が擦りきれるまで、地獄の使い走りです。そして、その後は…。」

 当然ですが、地獄に落ちます。

 田中の疑問に、男は軽い調子で答えた。

「ただ地獄に落ちるよりつらいかもしれませんね、ある意味では。しかしこれも定め。覆すことはできません。」

「彼女が正式な死神になるのは…。」

「そんなに木菟のことが気になりますか?」

 なおも問いを重ねる田中に、面白がるような口調で、男が尋ねる。

「それは…そうでしょう。あんな年端もいかない子が、死神なんて。」

 ごまかすように肩をすくめたが、このとき田中はすでに決意を固めていた。

 この<死に戻り>で、美冬を助けたい。彼女が酷い火傷の痛みを味わい、かつ殺人犯になる運命を、なんとか変えたい。

 そして、木菟。できれば、彼女のこともー…。

 田中の決意を知ってか知らずか、男は告げた。木菟が、正式な死神になる…その後、後戻りができなくなる、そのタイミングを。


 あの翼が、すべて灰黒に染まったら。


 男は、そう言っていた。

 男の答えを反芻しながら、田中は、部屋の向こうにいる少女の翼をそっと窺い見る。

 天使の翼は純白であり、死神の翼は漆黒である。彼女の翼がすべて黒く染まったときが、死神見習いから死神になる…二度と天使に戻れなくなる境界であると、男は言った。


(もうほとんど黒じゃないか…。)

 その翼は、灰黒の地に白斑。

 天使の白い翼が黒に染まったというより、黒い翼に点々と白絵具をつけたといった方が近い。


(この子が死神になるのは時間の問題ってことか…)


田中は美冬にも、木菟にも気づかれないよう、そっとため息をついた。


◆◆◆


 死神の羽根は便利なもので、一羽搏きで地獄に戻ることができる。

 木菟は、地獄の前室で、馴染みの死神を見つけ、捕まえた。

「燕さん!」

「あらぁ木菟ちゃん、管理人さんに言われて現世におつかいじゃなかったかしら?油売ってると怒られるわよ~」

 燕は木菟より少し年上で、すでに完全に死神になっているが、後輩の木菟にいろいろ教えて面倒を見てくれた、姉貴分の死神だ。

「燕さんに、調べてほしいことがあって…」

「あら、何か調べもの?わたし今手すきだから協力するわよ~。調べもの、嫌いじゃないし。探偵になったみたいで、面白いじゃない~」

「昨年11月に現世で起きた、女子高生焼死事件について。それから…」


 …その親友が焼け死んだ、10月の女子高生焼身自殺について。


 調べなければならない。でも、なんだかいやな胸騒ぎがした。

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