その声は、俺のすぐ隣からではなく、俺の前から。

「えっ?えっ?何で?」

 顔を上げ前を見ると、そこに抱きしめているはずの彼女がいた。

 髪を低い位置でまとめ上げ、薄い青色のシャツに白いパンツスタイル。僕の知ってる、彼女の仕事スタイルだ。一方、同じ青でもこのストライプ柄のワンピースは、カジュアルでプライベートの時のスタイル。

 俺はゆっくりと体を離し、腕の中の彼女を見る。

 どこか焦点の合わない大きな目には、涙と戸惑いと恐れを含んだ色が浮かび、ピンクのルージュが塗られた唇から覗く白い歯は、カチカチと小さく音を立てている。そして、蒼白になった細面の顔は


「えっ!?…う、わぁーーー!!!」


 俺の全く知らない顔だった。


「いっ……いやーーー!!」

 思わず叫んで後ずさった俺の声でそれまでの硬直が溶けたらしい見知らぬ女性が、俺より大きな声で叫ぶ。

「ちっ、ちかん!ちかんです!!この人!!!」

「ちっ、違います!誤解で…」

 必死に弁解しようとする俺の言葉に見知らぬ女性は聞く耳を持ってくれず、さらに大きな声を上げる。女性の叫びにだんだんと人が集まってきた。

 集まる人々に反して、彼女は冷たい視線を俺に向けたまま踵を返す。

「ま、待って…」

 立ち去ろうとする彼女を引き止めるため追いかけようとするが、逃げようとしていると勘違いした男2人に腕を押さえられ、追いかけることが出来ない。

「待って!話しが!話しを…」

「話しなら警察でしろ!」

 俺を押さえながら男が言う。彼女はさらに離れて行く。


 今日は特別な日で、大事な日で、それで…


 何でこんなことになったのかよく分からない。俺は彼女に伝えたいことがあって、話したいことがあって…

 俺は遠のく彼女に向かって、声の限りに叫んだ。


「俺と結婚してください!!!」


 辺りがしんと鎮まり返る。

 俺の腕を掴む男達も、泣きじゃくっていた女性も、スマホを耳にあてていた女も、スマホを俺に向けていた男も、立ち去ろうとしていた彼女も振り返り、皆同じようにあっけにとられた顔でぽっかりと口を開け、俺を見る。


「「「はあー!?」」」


 合わせたわけでもないのに、その声はその場にいた人々に唱和された。

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