抱擁記念日
OKAKI
抱擁記念日
ずっと前から決めていた。この日この時間あの場所で、君にとても大切な話をしようと。
ちゃんと彼女に会うのは3ヶ月ぶりになる。
入社3年目、新規プロジェクトのメンバーに抜擢されたのは嬉しかったけど、あまりの忙しさに目が回る。プロジェクトメンバーに抜擢されたことを報告した時、自分のことのように喜んでくれた彼女の顔を思い出す。だけど、ここ数週間はまともに声すら聞けていない。
特に忙しかったこの1週間、寝る間も惜しんで準備したプロジェクトが、ようやく走り出した。これでしばらくはゆっくりできる。何より、今日という日に間に合ってくれて助かった。
「急だけど、今日会えない?」
昼休み。彼女にメッセージを送るとすぐに返信が来た。返信内容は、質問の返事ではなく俺の体調を気遣うものだった。俺が忙しいのを分かっていた彼女は、メッセージすらあまり送って来なかった。連絡できない間も、ずっと俺の体調を気にしてくれていたみたいだ。彼女の気遣いと優しさに、心が温かくなる。
俺はプロジェクトが無事に走り出したこと、忙しかったけど体は大丈夫とメッセージを送り「話したいことがあるんだけど、今日会えない?」と続けて送った。さっきまですぐに来ていた返信がなかなか来ない。少し不安に思いながら待っていると、昼休みが終わる直前にOKの返事が来た。
午後からの雑務をこなし、労おうと飲みに誘ってくれた上司に頭を下げて、家路を急ぐ。
彼女との待ち合わせの時間まで、まだ1時間ある。帰宅した俺は、シャワーを浴び着替え始める。
彼女が会社から直で来るなら俺もスーツの方がいいだろう。だけど、今日が何の日か覚えているなら、彼女も着替えてくるはずだ。そう考え、俺は白シャツとジーンズのラフな服装を選択した。
待ち合わせの場所は、学生時代からよく使っていた橋の上。彼女はこの橋の上から見る夕方の景色が特に気に入っていた。
大学で出会って7年。付き合い初めて5年。就職して3年。大事なプロジェクトも任されるまでになった。そろそろいい頃合いだろう。
5年前の今日、俺はあの橋の上で告白した。彼女は少し驚いて、そしてすごく嬉しそうに笑ってOKしてくれた。
彼女は、今日がその日だと覚えているかな?
まあ、別に忘れていても構わない。今日はきっと、2人にとって忘れられない記念日になるはずだから。
約束の時間までまだ10分もあるのに、待ち合わせの橋の上に見覚えのあるワンピース姿の女性を見付けた。
彼女だ。
いつも時間ぴったりに来る彼女がいるのが珍しくて少し驚いたけれど、彼女も今日が何の日か覚えていてくれたのだと思った。
5年前のこの日この場所で、俺は彼女に告白した。その時彼女が着ていたのは、まさにあのワンピース。
嬉しさで自然と歩調が速くなりかけ、ふと足を止める。
彼女を少し驚かせてやろう。
俺は前々から考えていたけど、今日の話は彼女には予想外のことだろう。きっと5年前のあの日よりも驚いて、そして喜んでくれるに違いない。
俺は子供のような悪戯心とわくわくする気持ちを抑え、気付かれないように彼女にそっと近づく。
しばらく会わないうちに髪が伸びていた。いつもはまとめている長い髪が、風になびいて揺れている。
後ろからそっと抱きしめようと腕を伸ばすのと同時に、気配に気付いた彼女が振り返る。俺は予定を変更し、彼女を前から抱きしめた。
突然の抱擁に驚いたのか、彼女の体がびくりと震えた。俺は安心させるように「俺だよ」と耳元で囁く。抱きしめる彼女の体は、まだ緊張しているように強張っている。
俺は安心させるように、背中に回した腕に力を込め「待たせてごめん」と囁いた。
久しぶりに抱く彼女の体が、何だか細い気がする。抱き合った時にいつも感じる胸の弾力が、今日はあまり感じない。随分痩せたようで、少し心配になる。
それにシャンプーを変えたのか、鼻をくすぐる匂いがいつもと違う。この匂いも悪くないけど、前の方が良かったな。
しばらく抱き合った後、俺はおかしなことに気が付いた。
彼女からの反応が全くない。
久しぶりに抱く彼女を堪能しつつ何らかのリアクションを待っているのに、彼女は返事をするどころか微動だにしない。いや、違う。微かに震えているように小刻みに動いてる。その上、重なり合う胸元から感じる彼女の鼓動は、早鐘のように鳴っている。
俺が彼女の様子を見ようとそっと体を離そうとした時、彼女の声が聞こえた。
「話たいことって、それ?」
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