第62話

 そんなことを考えていると「エっ君エっ君」と後ろから声がした。振り向くとマコトはベッドの上に戻っていて、手招きをしている。


「どうした?」


「今日は遅くなったし、委員会で疲れてるでしょ?そんなエっ君に僕が特別にマッサージをしてあげる」


「いやそんなに疲れてないんだけど。運動したわけでもないし…」


「いいのいいの。僕がやってあげるって言ってるんだから、素直に聞いてればいいの。それに懐かしいでしょ?昔はよくやってあげたじゃん」


 確かに昔はマコトからよくマッサージしてもらっていた。やってもらうだけではなく、俺もお返しとしてやってあげたりもした。年齢が上がるにつれ体も育ち、マッサージとは言え体に触れるのが照れくさくなってきた俺は少しずつ遠慮するようになった。それからもマコトは何度か「やってあげる」と言ってくれたが、最近では久しぶりに聞いた。

 たいして疲れてはいないが、懐かしさもあってマコトの親切を受け取ることにした。マコトの指示に従ってベッドでうつ伏せになる。マコトはその上にまたがるように膝立ちをしている。体重はかかってないが完全に離れているわけではない。高校生になっても未だに少し照れくさい。


「お客さん、今日はどの辺にしますか?」


「そうですね…肩とか首回りを重点的にお願いします」


「わかりました。では始めていきますね」


 さすがに俺のことをよく知っているだけあって、力加減は絶妙だった。その感触に心地よさと懐かしさを感じる。


「どう?気持ちいい?」


 上から聞こえた穏やかな声は更なる安らぎを与えてくれる。返事をしようにも気持ちが良すぎて「んー…」と変な声しか出なかったが、聞き返されることはなかったので多分伝わったのだろう。マコトも集中しているのか口数は減り、ひたすら俺の肩回りをほぐし続けた。

 静かな空間では小さな音でもよく聞こえる。ベッドの軋む音とマコトが力んだ時に漏れる色っぽい声だけ聞かれたら変な誤解が生まれるかもしれない。そう考えてしまうのは俺が邪な想像をしてしまったからであって、悟られないように枕に顔を埋めた。

 視界を塞いで十分程経ち、マコトの手の力が弱まった。優しく撫でるような感触はマッサージの締めを意味しているのだろう。


「ごめんね。エっ君」 


「何の話?」


 急なマコトの謝罪に心当たりはない。起き上がって聞こうとするも腰の辺りに重みを感じて体勢は変えられない。気づくのが遅れたがマッサージの途中から俺の上に座っていたようだ。乗られているとは言え決して重くはなく、マコトも1人の華奢な女の子ということを体で実感した。


「夏休みの最後のあの日……。僕、酷いこと言ったよね…。後から冷静になって考えてみると、自分でもめちゃくちゃなこと言ってるなって思って…あれからずっと心残りで…本当は早く謝りたかったんだ…」


 あの日のことをマコトも気にしているとは思っていたが、その胸の内はいつものマコトらしくない。

 俺自身、酷いことを言われたという感覚はなく、逆に酷いことを言ってしまったという思いはあった。

 俺たちはお互いを知りすぎているからこそ、似たような気遣いをしていたのかもしれない。


「ごめんね…本当に…」


「別に酷いこと言われたと思ってないし、謝ることでもないだろ。むしろ俺の方こそ…」


「僕…何も言わないほうがいいのかなぁ…。エっ君の為と思って色々言ったけど…やっぱり迷惑だよね…」


 その声は耳元で聞こえた。俺に聞いているのか、1人で呟いているのか。

 マコトが俺の前で、俺のことで弱気になることなど滅多にないので調子が狂ってしまう。

 肩にあったマコトの手は首元を沿うように絡められ、背中全面にマコトの体重と体温を感じる。


「迷惑なわけないだろ」


「…本当?怒ってない?」


「怒ってないよ」


「…嫌いになってない?」


「なるわけないだろ」


「…じゃあ、これからも何かあったら僕に話してくれる?…これからも僕のこと信じてくれる?」


 突き放さないにしても、夏休みに踏み出した歩みを進めるのなら甘えることをやめるべきだ。その枝分かれとなる分岐点はこの瞬間だったのだろう。


「…ああ、これからも頼りにしてるよ。俺とマコトの仲だろ?」


 夏休みの出来事でマコトとの関係が壊れてしまうことを恐れた俺にそんな勇気はなかった。それだけではなく、俺のことに関して珍しく消極的な発言をしたマコトに寂しさも感じていたのだろうか。


「よかったぁ。そうだよね…僕とエっ君は特別だもんね」

 

 これでよかったのだ、そう心の中で呟いて俺は目を閉じた。どこか引っ掛かりはあるものの、これで前のようにマコトと話せるのだから。

 急に背中の重みが増したように感じるのは、心の中で抱えていたものが無くなったことによって全身の力が抜けたからか。マコトもあの日から気にしていたのだろう。

 ただ一点だけ、力は込められたまま。

 絡みついたマコトの腕は首元を緩く、緩く、締め付け、決して俺を離そうとはしなかった。

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