~side 真弓エリカ~

「2人きりでカラオケ……」


 途中、思わぬ邪魔が入ったけれど、これはもうデートでしょ。


 開いたノートの上で片肘をついて、窓の外を眺めながら物思いにふける。

 授業の予習をしようと、机と向かい合って早1時間。まったく勉強に手がついていなかった。


「『エリカならできる』か……」


 この言葉に、そして彼自身に、何度助けられただろう。本人は気にしてないみたいだけど、今の私があるのは間違いなく彼のおかげだ。そう、あの時も―――






 私は昔から真面目だった。親や先生に言われたことは必ず守ったし、勉学や運動、その他にも何かをするにあたっては全力で取り組んだ。所謂、優等生のような振る舞いだった。だが、必ずしも真面目な行いをしている人が結果を出せるわけではない。私がそうであったように。


 小学校の頃から勉強が得意ではなかったが、あまり深く考えたことがなかった。自覚もなかった。授業も真面目に受けていたし、宿題も毎回しっかりやっていたので大丈夫、そう思っていた。だけどその思いは中学校ですぐに打ち砕かれることになった。

 中学に入ってから最初のテスト、私の順位は下から数えたほうが早かった。テストというのが、より自分のステータスを示すもので、周りとの差が如実に表れるものとだと、その時理解した。十分に備えたつもりがこの結果だったので、私はさらに自分を追い詰めるようになった。


 もっとやらないと、もっと追い込まないと。


 そして迎えた次のテスト、結果は前回より少しだけ順位が上がっただけだった。


 今回は駄目だった、次はもっともっともっともっともっと……。


 だけど、その次も、その次も、結果は出ず、順位が下がることもあった。その頃の私は、相当追い込まれていた。普段の真面目な態度を知っている生徒からの「真面目なのに…」「可哀そう」といった同情の声、親の落胆する姿。受け止めきれずに押しつぶされてしまいそうだった。


 いっそのこと、全部やめてしまおうか……。


 諦めかけたその時、彼が声をかけてきた。


『どうした?何かあったのか?』


 私が余程深刻な顔をしていたからか、随分と心配している。


『……大丈夫よ。大したことじゃないわ』


『……大丈夫そうには見えないけど』


『気にしないで』


『でも……』


『しつこいわね!』


 抑えていた感情が溢れ出したかのように、声を張り上げる。彼も驚いていた。だけど、1度溢れ出した感情はなかなか止まらない。


『あなたにはわからないわよ!私の気持ちは!あなたみたいになんでもできるような人に!』


 彼は大抵のことは器用にこなす。その裏に努力があるのは知っているのに、言葉を抑えることができなかった。


『私だって頑張ってるのよ!でも…どれだけやっても結果は出ない……。わかってるわよ!私は頭が悪いんだって!でも…じゃあどうすればいいのよ!いくら頑張っても報われないのに……、どうすればいいのよ……、わかんないよ……』


 ああ、もうどうにでもなれ。溜めこんでいたものを吐き出す。突然泣き喚きながら、訳の分からないことを言い出す女なんて。小学校からの付き合いの彼にも嫌われたかな。

 それなのに彼は離れるどころか近づいてきて背中にポンと手を当ててくれた。

 

 『色々抱えてたんだな。とりあえず気のすむまで泣いて、そしたら話を聞かせてくれ』


 ハンカチはないからティッシュでいいか、と差し出すその手は暖かい。

 一通り泣きじゃくった後、落ち着いてきたので私の悩みを話すことにした。勉強に躓いていること、その為に自分がどれほど頑張っているのかということ、それでも結果は振るわないこと。溜め込んでいた分、少し楽になった。


『そっか、頑張ってたんだな』


『うん、でも、やっぱり私、頭悪いから……』


『頭が悪いってよりも、やり方が悪いこともあるんじゃないか?』


『そんなことあるの?』


『ああ、要領の良し悪しもあるし、やればいいってもんでもない。自分に合う合わないもある』


『でも…どうやればいいのかなんてわかんないわ』


『俺も協力するからさ。大丈夫。エリカならできる』


 『できる』と背中を押してもらえて、消えかけていた火が再び灯った。どうせ自分だけで勉強しても変わらないので、藁にも縋る思いで彼と勉強をするようになった。それをきっかけにこれまでのやり方を見直すようになった。

 まずは時間について。ぶっ続けでやるより休憩を交えて集中力を保ちながら行うこと。また、夜はしっかり睡眠をとること。睡眠時に記憶は整理されるため、夜通しやるのではなく、朝早めに起きてやること。それらのアドバイスを下に実践してみる。

 勉強の仕方についても教えてもらった。そこでわかったのが、私はわからない問題に対して時間かけすぎてしまい非効率だということ、基礎はできていても応用になると駄目になるということだ。

 どうしてもわからない問題については割り切ってあと回しにするか、自分だけで理解できないなら聞くようにしてみる。応用については全部別パターンという認識だったので考え方から変えて解くようにした。

 他にも、テストならではの解き方や時間の使い方、点数の取り方についてや、先生ごとの出題傾向なんかも教えてくれた。

 そして何より収穫になったのが他の人と勉強する行為そのものの効果だ。わからないことも一緒に勉強していれば聞き合える環境。自分とは違う考え方を取り入れることができるのでスムーズに、また、より深く理解することができる。

 頭が悪い癖にプライドが高く、人に頼るという発想がなかった自分が、どれほど視野が狭かったのかと気づかされながらも、必死に力を尽くした。


 今回こそは!今回も…。期待と不安が入り混じる中でテストに臨む。そして、結果は―――

 上位20位以内だった。今まで下から数えたほうが早かった私にとって大きな進歩だ。

 結果を見た瞬間に目の奥でこみ上げてくるものがあったが、ぐっとこらえてあの人のもとへ駆け出す。会うや否や、整理のついていない言葉で伝える。彼は優しく笑いながら言った。


『言っただろ?エリカならできるって』


 その笑顔を見て私は思う。


 ああ、私はこの人のことを―――


 その後も一緒に勉強するようになり、他の5人とも教えあうようになった。成績はどんどん上がっていき、2年の最後には一桁になっていた。そのおかげで自信を持つようになり、勉強だけでなく部活や人間関係も上手くいくようになった。


 一緒に勉強してみて改めて彼の凄さを実感した。どんなこともある程度できることや分析力など、色々あるけれど何より凄いのは、その伝え方だと思う。寄り添って、工夫しながら結果につなげる、その伝え方。

 「できる」と人に言うのは簡単で無責任だ。けれど彼は責任をもってその言葉を使う。


 あの時から、彼に「できる」と言われると何でもできるような――――――






 今現在、私には悩み事がある。思春期だと誰しも悩む恋愛について。

 この悩みだけは、いつものように彼に相談するわけにはいかない。を前に話をするなんてできるはずがない。こればっかりは自分の力でなんとかしないと。


「エリカならできる……。うん、私ならできるわ」


 決意を胸に秘め、ペンを手に取ってようやく勉強を始める。


「エツジ君、必ず好きと言わせてやるんだから」

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