第4話 韻文表現技法概論②~余韻を残す技法

 前回は反復法と対句法の説明を行ったが、今回は文章に余韻を残し強調する技法を紹介していく。

 すなわち、倒置法、省略法、体言止めの三者である。

 これらの表現自体はよく見られるものであるが、では、余韻とは何なのか。

 この意味を辞書で引くと、以下のような意味を持つようである。


①音が鳴り終わった後、もしくは音が消えた後にも耳に残る響き。

②後に残る風情や味わい。言外の余情。


 文章における余韻の意味は無論、後者の方であるが、これらの技法の肝は読者の想像力や音感により文章の完成を図るという点である。

 言い換えれば、筆者はその完成図をどのように思い描き、どの部分を余白にするのかということを考える必要がある。

 今回はそうした余白の功罪について触れながら、各技法の利用について紹介していきたい。


①倒置法

 韻文における倒置法はあえて文の成分を入れ替えることで、後ろに残したものに余韻を与え、強調する技法である。


片足を 失くした友と 祈りけり 歪曲湾曲 二度と莫れと


 この短歌では、長崎は片足鳥居と初めて対した時の思いを素直に詠んだものであるが、その時の思いの中心は核兵器による破壊が二度と起きてくれるなという祈りであった。

 本来の語順は上の句と下の句を入れ替え、


湾曲も 歪曲も二度 ある莫れ 片足の無き 友との祈り


とするべきではあるものの、このままでは強烈に浮かんだ「祈りの中身」が薄れてしまう。

 やはり一度大枠を説明し、その後で感動の中心を述べた方が読み上げた後の印象は強いものとなる。

 ここで重要な要素となるのは、韻文であれば「読み上げる」ということであり、散文以上に音感による印象付けが重要になる。

 無論、散文に音感が全く不要かと言われればそうではないと考えているが、重要度は韻文に比べると一段下がる。


 では、これを散文に導入するという観点で考えた場合、最も重要となるのは場面の倒置である。

 この最も分かりやすい例が太宰治氏は「走れメロス」の冒頭である。

「メロスは激怒した」

 この一文から始まる名文は、一瞬で読者を物語へと引き込むと同時に、その後にくるメロスの人間性や事件の経緯いきさつを際立たせ、印象深いものにしている。

 これが、老爺の話を聞いてからこの一文を挿入したのでは、メロスの存在感も王の残虐性も地に堕ちてしまう。

 より効果的に用いるために反復法を利用しているのもまた見事である。

 冒頭のメロスの怒りを置いたままにしては、メロスが抱いた感情がぼけてしまうが、それをテンポよく避けているのが文豪たる所以かと思わせるほどである。


 拙著からも例を引くと、「辻杜先生の奴隷日記②~悪の枢軸」の第二話「冬の向日葵」にて、場面の倒置を行っている。

 しかし、こちらは導入の意味合いが強くなりすぎており、後に印象付けたかったものがぼけてしまっている。

 流石に全文を引用すると長くなるために、ここでは本来の展開と文章上の展開を列記する。


【本来の展開】

①舞台となる神社に立ち寄るまでの流れを説明する

②謎の少女を目にする

③少女の持っているナイフを指摘する

④少女が驚く

⑤禁忌に触れたことに気付く

⑥戦闘を行う


【文章上の展開】

「何を間違ってしまったのだろうか」

⑥戦闘の描写

①神社に至るまでの描写

②少女の発見

③ナイフの指摘

④少女の驚愕

⑤禁忌への気付き

⑥戦闘描写


 詳細は本文と見比べていただきたいが、戦闘の描写を最初に持ってきたこと自体に大きな問題はない。

 故に、問題となるのは⑤の部分であり、この部分を最後に持ってくることで、冒頭の問いに対する答えとなり、⑤と⑥の部分が初めて浮き立ってくる。

 つまり、当時の私はそこまでの構成を考えずに書き進めてしまっており、そこで矛盾が生じてしまっていることに盲目的であったと言える。

 場面の上での倒置法を利用される方には、失敗例としてぜひご活用いただきたい。



②省略法

 省略法は本来記述するべき内容を敢えて削除し、余韻を残す技法である。

 私個人としてはあまり用いない表現技法であるが、探してみたところ韻文では「昨日見た夢」の終幕で用いている。


「願わくは一片のぬくもりを

  願わくは温かなこころを」


 一編の詩の最後にこの表現を持ってくることで、読者の心に残そうとしているのだが、この直後に例えば「与えん」などを加えてしまうと確かにそこで話が終わってしまい、後に残るものがなくなってしまう。

 一方、散文では会話文中で多用され、表現技法というよりも日常会話がいかに省略で成り立っているのかを痛感させられるものとなっている。

 ただ、文章における会話は自然のものとは限らず、舞台装置としてそこに存在することも多い。

 そのため、これを活用するには「記号の利用」と「使いどころの緩急」が重要であると考える。


 まず、「記号の使用」については、単純に多用するなということではない。

 以前は三点リーダ(・・・)の使用を極力控えていたのであるが、最近では作品や場面によってはその頻度を逆に高めるということも試みている。

(なお、パソコンでは三点リーダが環境依存もしくは一字となるため六点リーダ(……)を使用している。記号と文字数の関係やその後の空白などについては手元の資料に準拠しているだけで強いこだわりはない)

 また、省略を表す記号は三点リーダに限らず、ダッシュ(――)も用いられる。

 これらをどのような場所で用い、どのような場所で避けるかということを工夫することで、その言葉や文章を浮き立たせることが可能になる。

 なお、拙著「辻杜先生の奴隷日記①~苦しみの始まり」では約十三万文字中四か所で三点リーダ使用しているようであるが、これを執筆した頃はまだその使用を極力控えていた。

 簡単に見返したところ、

「あまりにも、それは」(一〇話)

「全く、博貴らしい」(一六話)

「内田、そんなに殺気を」(二〇話)

「貴方なんかに、二条里君なんかに、私の気持ちは」(二五話)

と、挙げればきりがなくなるのでここで止めるが、それぞれ意味を持たせて三点リーダを使用した方が良い。


 一方、使いどころの緩急であるが、これはその場面ないしは作品ごとのテンポやリズムによるところが大きい。

 特に、展開の早い戦闘シーンなどは会話を極力削ぎ落した方が良いことが多く、そうした場合に活用できると良い文章になる。

 しかし、同時に省略法は余韻を残す表現でもあるため、却って尾を引いた印象がリズムを崩す場合もあるため注意が必要である。


③体言止め

 韻文における体言止めは最も手軽な技法であり、名詞(体言)で文を終えることにより余韻を残し、リズムを生む。

 他の表現技法との相性も良く、特に比喩や対句と組み合わせることでそれなりの作品に仕上がったように見える。


 力水 滴り落ちて 玉の汗 いざ四股踏んで 挑む一番

 力水 滴り落ちて 玉の汗 四股踏み挑む 大一番へ


 体言止めを用いた場合と用いなかった場合とを列記したが、前者の方が幾分か丈高い印象を残す。

 ただ、体言止めについては散文で用いる場合も韻文で用いる場合も余韻を残すのに用いられる場合と韻律の調整、つまりは文章のリズムを整えるために用いられる場合とに分かれる。

 連用する場合には後者の意味合いの方が強く、単独で用いる場合には前者の意味合いの方が強い。


『速度で内田を圧倒し、力で斬撃の中へ飛び込む。ハバリートは私達の渾身の連撃に僅か一撃で解答を与える。その口元には笑み。地上で光陣と争う私達を尻目に、追いつけぬ内田を尻目に、全力で以って勝利へと突っ込む』


 この文章では戦闘の途中で「笑み」という体言止めを用いることで、視点がハバリートに集中し、主人公側の必死さと敵側の余裕を際立たせている。


『山ノ井が全ての思いをナイフにぶつける。突き立てられた刃を、しかし、ハバリートは気にする様子もない。小さな一撃。打ち砕かれる光。飛ばされる少年。相対する少女。負けるべき機序』


 一方、この部分では最後の五文で畳みかけるように体言止めを利用している。また、うち前半の二分と後半の二分には尾韻を用いることで一瞬の出来事の切り抜きを図った。

 このようにこれが好例かどうかは別として、印象を変えることのできる技法であるため、もし表現に行き詰まりを感じていらっしゃれば試してみるのも一興ではないだろうか。

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