第38話 妄執の果てに
『
曰く、危機的状況に晒されたときに眠れる力が覚醒するとか。
曰く、成長限界へ達したレベル9はいずれ『
上げれば枚挙にいとまがない根拠の不明瞭な学説は多く存在する。
だが、あえて言うのであれば。
それは、本人の意思が最も重要な要因になっていると俺は考える。
■
「—―いくぜ」
「んなっ!?」
流暢な呟きを置き去りにして、コマ送り同然の速度で『白虎』が視界を埋め尽くす。
思わぬ速度の上昇に一瞬だけ反応が遅れてしまう。
気づけば、『白虎』が最も得意とする
『白虎』は後ろの二足で器用に巨躯を支えながら、左右の前足で殴打を繰りだした。
風を切る剛腕へ『
『
予想だけはしていたため瞬時に回避に専念するも、速度も膂力も『白虎』のほうが上回っている。
やがて限界に達し、一撃が肩を掠めたところで後方へ跳び、発生させた重力に身体を引っ張らせて距離を強引に開く。
追撃を警戒して、『白虎』の後方に重力場を展開。
形のない力なら簡単には抜け出せない。
鬱陶しそうに唸りながら強引に詰め寄る『白虎』の姿に苦笑しながら、生まれた僅かな間隙でため込んだ息を吐いた。
「呆れたパワーだな。どうすんだよこれ」
『
実体のあるものでは太刀打ちできない。
非実体の力で制するしかなさそうだ。
だが、『
これまでが手加減など口が裂けても言わないが、可能な限り人死には避けたい。
妙に敏い美桜が気にするからな。
「なにつまんねェこと考えてやがる。俺との殺し合いはそんなにつまんねェかァ?」
「殺し合いに楽しさなんざ見いだせないし、死んでもごめんだ」
「腰抜けが。その甘さが命取りにならねェといいいなァッ!!」
ぶちぶちっ!! と脚の腱が切れるのも構わず、『白虎』は重力の檻から抜け出した。
離れるほどに力は弱まるとはいえ、予想よりもずっと早い。
挙動を見極め、節々を狙っての力場形成。
突然の過重でバランスが崩れ、身体が前につんのめり――
「はっ!!」
慣性に従っての一回転。
空で天を見上げながら、後ろ脚が俺を叩き潰すように迫る。
急な挙動にも関わらず狙いは正確だった。
受け止めるのはダメだ。
力場で動きを鈍らせ、受け流すほうがいい。
斜め方向に重力の流れを作りつつ、少しでも妨げるために情報へ向けての力場を設置。
一瞬でも出来る小細工だ。
効果は絶大で、俺の左隣へ超威力の蹴りが炸裂する。
飛び散る土煙を押さえつけて視界を確保し、満を持して前に出た。
まだ『白虎』に立ち直る気配はない。
完全には力に適応していないのだろう。
隙だらけの側面へ回り込み、豊かな白い体毛に覆われた体へ手のひらをあてがった。
「『発勁・天飛』」
手のひらと『白虎』との間に強力な反発力を生み出した。
巨体がくの字に折れて宙を滑空する。
そのまま屋敷へ激突し、砕けたガラス片や瓦礫が『白虎』に降り積もった。
手応えはあった。
内臓にダメージが通っていればいいが……どうだろうか。
最低でも時間稼ぎにはなる。
警告はしてあるのだから腕くらいちぎっても良いのではなかろうか。
『
「ちょっと痛いだろうが、勘弁してくれよ」
その場で手を翳し、異能を行使する。
狙いは足の関節。
厄介極まる機動力を奪うためだ。
「『
瞬間、鈍い多重奏と濁った声が響いた。
一点集中の重力波による共鳴で関節を粉々に砕いたのだ、無理もない。
どれだけ肉体強度が高かろうが傷つけば痛いし血も出る。
無茶苦茶な動きは封じたとみていいだろう。
しかし、
「……おもしれェ。そうこなくちゃなァ」
失われない戦意を滲ませながら、『白虎』は瓦礫の山から緩慢な動作で起き上がった。
支えの効かない四足で立ち上がる。
痛み自体はあるようだが、鋼のような精神力で耐え忍んでいるようだ。
本当に、そこまでして戦う理由は理解できそうにない。
「そろそろ諦めてくれよ。もう立ってるのでも限界だろ」
「こんなの屁でもねえェさ。じきに治る。クソ痛ェよりも、今、ここでお前と戦えねェことのほうがクソだ」
「男に好かれても嬉しくねえ……美少女になって出直してくれ」
げんなりと返事をして異能を熾す。
あちらも力をみなぎらせているようだ。
下手すれば自己再生もされかねない。
『
考えられる可能性はきりがない。
だからこそ、負傷している間に仕留める。
「『
ぐ、と前傾になって溜めをつくり、爆音と同時に姿が掻き消える。
暗い月夜に迸る純白の軌跡。
空を流星のように駆け廻り、俺を目がけて一直線の突貫。
小細工なしの力技……間違いなく全身全霊の一撃だ。
それでも、俺は負けられない。
「——『
周囲数メートルの世界が、大きく歪む。
世界の法則を書き換えた致死の重力世界に、『白虎』は躊躇わずに突っ込んできた。
その一歩が深く地面へ埋まる。
強烈な過重で脚が加速し、間抜けな音で土を抉った。
背は大きく上方へ引っ張られ、皮膚と肉が面白いくらいに伸びている。
身体中が凹んだり、逆に伸びきって根元から千切れそうになりながらも、『白虎』は次の一歩を踏み出す。
数ミリ単位で重力方向と強さが変わる『壊界』で影響を受けないのは俺だけ。
普通はここに入っただけで死は免れない世界なのに、こいつは気絶すらすることなく俺を殺すためだけに突き進む。
速度は随分と殺した。
回避は容易……だが、このまま終わりにさせてもらおう。
「お前は確かに強かった。でも、相手が悪かったな。世界の重さを背負った俺は、上がりたての『
『壊界』を圧縮し、内部の重力倍率を引き上げる。
「——————っ!?!?」
声のない叫びと共に『白虎』の四肢がぐちゃりと押し潰れた。
骨が粉々に砕け、裂け目から血肉が外へ出ようと重力世界を必死に藻掻く。
続いて眼球が生卵のように潰れ、ぽっかりと開いた眼孔が大量の血に濡れる。
頭蓋骨にもひびが入っているはずだ。
『白虎』の肉体性能をものともせず与えた重傷。
激痛が意識を強制的にシャットダウンさせたのか、口を大きく開けたまま力なく肢体が地に落ちた。
無事な左目に理性の光はなく、完全に沈黙したのを確認して『壊界』を解除する。
ふっ、と肩にかかっていた重さが取り除かれ、重力の理が世界へ復帰した。
「手間かけさせやがって……」
徐々に人間へと姿を戻していく『白虎』へ異能絶縁の手錠をかけようと、数十歩の距離を歩み寄る。
終わってみれば、周りを見直す余裕も生まれた。
「んあ、有栖川? あ、伽々里さんも。みんないるじゃん」
闘いが終わったことを察してか、『異特』の面々が陰から顔を出す。
……あれ見られてたの?
何か変なことを口走っていなかったかと思い返すも、記憶が曖昧だ。
いや、この距離では声は届いていない。
そう思い込んでおこう。
緊張感が抜けきった、この瞬間。
「——いや、まだ闘い足りないだろう?」
狂気に憑りつかれた白衣の悪魔が、突然『白虎』の傍らへ現れた。
間髪入れず賢一に『
予期せぬ人物の出現に『異特』の面々が駆け寄ってきた。
張り詰めた空気が漂う中で、上空から直立不動で落下してる人影。
硬い大地に音もなく着地したのは地祇さんだった。
鋭い眼差しは賢一へと注がれている。
「ああ、怖い怖い。『
「どの口が言ってんだよ」
「横着していると逃げられる……伽々里!」
「……っ、皆さん動かないで! それが一番確実ですっ!!」」
伽々里さんが悲痛に叫ぶ。
賢一を捕まえる必要があるのに、動くなとは矛盾した宣言だ。
だが、無数に分岐する未来を観測できる伽々里さんしかわからないこともある。
「うん、賢明な判断だ。僕は『
「どうせ悪趣味なやつだろ」
「酷いなあ。崇高な使命の礎になれるんだよ? むしろ誇るべきだ」
嗤って賢一は答える。
ダメだな、やはり話が通じない。
何をしても対処できるように身構えておく。
「だが、そうだね。まずは眠った虎を起こさないと」
賢一は悠長に白衣のポケットへ右手を入れ、細い注射器を取り出した。
その長い針を『白虎』の腕に刺し、半透明な内容物を注入する。
びく、と不自然に『白虎』の身体が跳ねた。
壊れた機械のようなぎこちない挙動で、上体を起こす。
その双眸は虚ろで焦点すら定まっていない。
薄く開いた口からとめどなく唾液が垂れ続ける。
おおよそ生気の感じられない姿。
さっきまで荒れ狂っていた猛き虎とは全くの別物に映る。
「さあ、『白虎』。実験の時間だ。君は今から、『
「あ、あ゛あッ、あ゛? あ゛ア゛ア゛」
喉を鳴らして濁った声を発する『白虎』の身体が再び変異を遂げる。
ものの数秒で、巨大な白い体毛の虎が顕現した。
明らかに限界を超えた異能の使用。
それどころか、『白虎』はさっきまで気を失っていたはず。
「お前……いったい何をした!!」
俺の思考を地祇さんが代弁した。
「僕としたことが説明不足だったね。実験なのだから、誰もが理解できなければならないのに。僕がコレに打ったのは『禁忌の
「数千倍っ!? そんなものを打ち込まれて無事なはずがありません!」
「君の言葉はもっともだ。だが、『
「——っ、来るぞ!!」
地祇の警告と同時に『異特』の面々を守るように土壁がせりあがった。
下手な金属よりも堅牢な防御力を誇る壁。
その、壁に。
ぴしり、と亀裂が走って。
「離れろ!! 今すぐだ!!」
壁が破られつつあることを察知して、地祇さんが退避を勧告する。
防御に秀でた『
対抗できるのは最低でも『
俺も残ってすぐさま過重力地帯を展開。
少しでも『白虎』の行動を抑制する。
だが、今の『白虎』に効果のほどはいまいちだ。
土壁を無造作に押し倒し、踏み砕いて現れた白き猛虎が、狂気に染まった双眸で俺と地祇さんを
その威容、威圧感。
「京介、気をつけろ。あれは危険すぎる。俺の防御を易々と突破する破壊力。そして、京介の重力をものともしない機動力。正直、俺では相性が悪すぎて役に立たなさそうだ」
隣で地祇さんが無念そうに告げた。
異能者同士の戦闘は、どうしても相性が付きまとう。
気にしても仕方ない。
……やっぱり、ここが使いどころだな。
残念なことに嫌な予感が的中してしまった。
「地祇さん、アレを使います。なるべく離れて、余波からみんなを守ってくれませんか」
隣で地祇さんが息を呑み、苦々しそうに頷く。
「……悪い。頼む、奴を止めてくれ」
「俺が望んだことです。それに、必要なことですから」
過去に囚われるのは、もうやめだ。
妄執の果てに生まれた化物諸共、今日、ここですべてを断ち切る。
地祇さんが下がり、俺だけが『白虎』の前に残された。
恐怖はある、不安もある。
俺にはあふれる勇気もなければ、頼りがいのある人間でもない。
他の人より異能が使えるだけのモブ陰キャだ。
だからこそ、俺は――
「そんなに見たければ見せてやるよ。『
嘲るように吐き捨てて、俺は右手の指輪を外した。
そして、
世界は歪む。
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