第39話 化物として
世界が歪む。
自然に身体から発せられた重力波が、周囲の空間を侵食する。
己の枷である指輪を外したことで、本来の力が身体に戻ったのだ。
同時に、自我や理性と呼ぶべきものが精神の海へ沈んでいく。
「――っ、ああ、きっっついな。油断したらもっていかれる」
額に滲んだ脂汗を袖で拭い、深い呼吸で気を静める。
頭の中に響く誰かの声を黙殺して、意識を落とさないように強く保つ。
俺が全力を出せるのは美桜が異能を施した指輪を外した時だけ。
というのも、あまりに身体への負荷が激しく、長時間の使用は心神喪失の危険があると凪先生から言い渡されているほどだ。
なにせ……未だに全力は完全な制御が出来ていない。
いつ暴走するかもわからない核爆弾じみた力。
それを抑え、俺の精神が狂わないように守っているのが異能抑制の指輪であり、美桜の異能だ。
「でも、俺だけだ。俺がやらなくてどうする……っ」
激しく叩かれるような頭痛に耐えながら、必死に理性を繋ぎとめる。
枷もなければ楔もない。
現実を見失ったら最後、二度と戻っては来られないだろう。
これは人間が手にしてはならない力。
『
人ならざる者――化物の力。
「あ、ああ、ああああああっ!! 京介!! その圧、世界の理すら越えた力!! いつだ、いつ至ったのだ!! 『
鼻息荒く大仰に両手を広げ、早口で捲し立てる。
血走った眼で俺の一挙手一投足を舐めるように観察していた。
普通にキモイし親とは言え生理的に無理を言わざるを得ない。
俺は自分の力が『
だが、今……賢一の言葉で確信を得た。
人間に許される力ではないと。
化物と呼ぶべきものを生み出してしまった賢一の尻拭いは、化物になってしまった俺がしなければ。
心の内で熱く煮え滾る殺意を押し殺して、右手を翳す。
「——黙ってろ。目障りだ。うっかりお前みたいなのを殺した手で美桜に触りたくない。『
精一杯の自制を効かせて、極めて弱い重力を賢一に課す。
理すら越えた重さは『
もとより逃げる気はなかったのかもしれないが、どうでもいい。
忌々しい声を聴いているだけで精神がかき乱される。
「……はっ、笑えてくる。酔いってこんな感じなのかな。自分が自分じゃないみたいだ」
頭がふわふわとして、考えがまとまらなくなってきた。
力を開放している間は、どうやってもこうなる。
自我が沈んで、浮かんできた別のナニカが塗り替えていくような。
得体のしれない感覚。
長く続けるのは良くないと本能的に理解できる。
「……さっさと終わらせようか。悪いけど、雑に片付けるぞ」
睨みを利かせていた『白虎』へ視線を流す。
獣の本能か、気配の変化を察して観察に徹していたのだろう。
その判断は正しくて――大間違いだ。
アイツは一目散に逃げだすべきだった。
市街地に抜けて、人質を取るなりして遅延させれば逆転の目も残ったはず。
賢一に弄られて強制的に異能を開放している『白虎』には無理な話かもしれないけど。
「ア、あ゛ァ、ア゛ア゛ア゛ああ゛ア゛ァッ!!!!」
月へ捧げる
狂気的で、本能的な、原初の感情。
剥き出しのそれが、奔流として溢れた。
夜を塗り替える熱。
月光を照り返して純白に煌めく体毛が逆立つ。
細められた黄金の瞳孔。
前傾に身を傾け、駆けだした。
制限が外れた『白虎』の全力。
―—ああ、あまりにも遅すぎる。
「楽にしてやる。安心しろ、一瞬だ」
スローモーション同然に流れる視界。
異能を発動させるのに、コンマ秒もいらない。
そうあれと願った時、世界は意思に乗っ取って書き換わる。
殺さずに無力化するのは至難の業。
針の穴を通すような絶技すら、今なら児戯に等しい。
「——『
刹那、上空に生まれた漆黒の点。
それは極小規模で発生させたブラックホールだ。
ありとあらゆるものを飲み込む宇宙の穴。
異能によって制御された黒点が薄く広がって……否、光を一帯から飲み込んで一寸先も見えない暗闇が広がる。
俺だけは『白虎』の姿を認識できる。
奴は今、足を止めて立ち尽くしていた。
理性を失ったからこそ、本能に逆らうのは難しい。
ましてや、飲み込まれたら最後のブラックホールを目前に控えればなおさらだ。
必死に地面にしがみついて抵抗の意志を見せる『白虎』の周囲へ、追加のブラックホールを生成。
四方八方のブラックホールが過剰すぎる吸引力で『白虎』を奪い合う。
四肢が地面から引きはがされ、『白虎』の巨体が空中で縫い留められる。
光すら飲み込むブラックホールの周辺では、時間すら歪むのだ。
伸びた身体、長い尻尾を靡かせていた『白虎』の双眸から光が消えた。
天文学的数値の重力の前には『
尋常ではない生命力も底をつき、遂に気を失ったようだ。
すぐさまブラックホールを消し去り、世界に光が復帰する。
ひゅう、と風が吹いて、『白虎』の巨体が自然の重力に引かれて落ちた。
「もう二度とくんな」
返事はなく、静寂が落ちた夜。
『白虎』が虎から人間に戻るさまを見届けた。
早く指輪を嵌めなおさないと……っ。
「っ、くそ、が」
酷い頭痛に襲われて蹲る。
震える手でポケットから取り出した指輪をあっけなく落としてしまう。
黒く霞む視界では上手く手に取ることも出来ない。
やばい……早くしないと――
「——全く。最後まで世話が焼けますね、貴方は」
すぐ隣で声がかけられたかと思えば。
右手が暖かい感触に包まれて、薬指に指輪が通る。
朦朧としていた意識が徐々に明瞭さを取り戻す。
まだ頭痛や吐き気なんかは残っているものの、じきに引く。
顔を上げると有栖川が俺へ手を差し伸べていた。
「なんだ、その、助かった」
「礼には及びません。美桜ちゃんに頼まれていましたので。私は私の約束を果たしただけです」
「美桜がそんなことを……こりゃ帰ったらご機嫌取りだな。必要に駆られてとはいえ、心配かけすぎた」
「理解すればいいのです。それより、いつまで地べたに這い蹲っているつもりですか。いい加減疲れたのですが」
つまり、その手を取れと言いたいのでしょうか……?
いや、無理無理。
俺は異能が他より多少使えるだけのモブ陰キャ。
光り輝く本物の天才である有栖川のような人間とは、本来交わることすらない路肩の石だ。
裏を疑ってしまうのは双方の積み重ねだと理解してくれ。
「自分で立てるって。ほ、ら……?」
立ち上がって、両足をついて。
不意に、世界が傾いて。
「無理しすぎですよ、先輩」
左側で倒れかけた俺の身体を支えたのは、金の二房を揺らす十束だった。
不安定な体勢から俺の腕を自分の肩に回させたところで安定する。
身長差のせいで若干腰をかがめる必要があるが、正直助かった。
自分の力だけで立てないほど消耗していたとは思っていなかった。
「悪い、手間かける」
「いいんですよ。今のうちに女の子の柔らかさとか匂いとか堪能してくれてもいいんですよ」
「……それは断るわ。そういうのは後が怖いって知ってるんだ」
「あらら、残念」
本気か冗談かわからない誘惑を華麗に躱して、笑い合う。
「……そうですか。そんなに年下の少女の身体がお好みですか」
差し込まれた呪詛の如き呟きに背筋が冷える。
頬を引き攣らせながら発信源へ視線を送れば、そこには尋常ではない殺気を放つ羅刹が降臨していた。
これ、コンティニュー不可?
「ええ、別に私は貴方のことなんてどうでもいいですよ。美桜ちゃんとの約束も十分に果たしたでしょう。仕事も終わったことですし、帰ります」
「え、あ、ちょっ、有栖川さんっ!?」
制止へ聞く耳を持たず、有栖川の背中が遠ざかる。
災害級人物のご機嫌を損ねてしまったらしい。
一難去ってまた一難。
平穏な日々はいつまで経っても訪れないのか。
「——皆、ご苦労だった。事後処理は俺たちに任せろ。京介と十束くんも帰ってゆっくり休んでくれ。外に護送用の車を手配している」
「わかりました。それでは、お先に失礼します」
残るメンバーに礼をして、俺は十束の肩を借りて屋敷を後にした。
早朝5時3分。
日の入りと共に、本作戦は終了した。
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