第32話 作戦開始
―—作戦当日。
金曜日の夜。
すっかり闇に落ちた街並みの一角で、俺は決行の時間を待っていた。
路地の角から顔をのぞかせて『皓王会』本拠地の屋敷を裏手から窺う。
相当に大きな屋敷だ。
最近になって改築を重ねていて、内部は忍者屋敷のように複雑な構造になっているらしい。
地下もあるとのことだが、詳しくは調べられなかった。
恐らくそこで賢一による研究や薬品の製造を行っているのだろう。
今のところは人が出入りする様子もなく静寂に包まれている。
嵐の前の静けさか……ここまで何事もないと逆に不安になってくるな。
周囲は既に警察が厳戒態勢を敷いている。
鼠一匹たりとも逃げられない。
作戦上、『異特』側で裏を押さえるのは俺一人。
広範囲に影響を及ぼせる異能だから心配いらないだろう。
むしろ、下手に仲間が近くにいると制御が複雑になってしまう。
生粋のボッチだ。
全然、全く気にしてはいないが。
……あれ、視界が霞むなあ。
「……俺の役目は裏手から逃げようとする奴の処理と、『白虎』の相手。中々面倒な役だな、これ」
仕方ないとはいえ、深いため息が漏れ出る。
誰が戦闘バカと戦うことを喜べるか。
俺の中の本命は別だというのに。
私怨を仕事に持ち込むのはよくないとわかっていながらも、つい考えてしまう。
幸い、賢一を対処するのは地祇さんだ。
間違っても取り逃がすことはないはず。
『——時間だ。
インカムから響いた地祇さんの言葉。
あえてぼかした部分は、誰もが理解している。
窮鼠猫を嚙む、なんてことわざもあるくらいだ。
最後まで油断せずに任務を遂行しよう。
『
不死身でも、全能の存在でもない。
『各自の役割を果たせ―—健闘を祈る。正面と側面が先行する。京介は時間をおいて裏から侵入してくれ』
『了解。皆さん、気をつけて』
応答の後に通信が切れる。
ほぼ同時に屋敷の正門側が騒がしくなった。
まだ裏手に動きはない。
俺も潜入の準備を整え、約五分後。
「——さて、行くか」
以前と同じペストマスクを被って、重力を反転させて浮遊し空中から屋敷へと侵入。
屋敷の中へ繋がる鍵付きの扉を圧し潰して破壊して中へ。
注意は完全に他の面々に向いているようだ。
役割は『白虎』の処理。
だが、その前に逃げてくる人を押さえなければならない。
しばらく待っていると、どたばたと不規則な足跡が聞こえてきた。
「逃げろ! 『異特』が追ってくるぞ―—」
「よう」
「——っ!?」
気さくに手を掲げて、異能を発動。
通路の壁側へ重力を発生させ、一人残らず壁にめり込んだ。
抵抗も、ドーピング剤も使わせはしない。
意識を奪った構成員たちを床に転がしたまま、再び来るのを待つ。
数分おきに同じことを繰り返し、人の流れがある程度止まった頃。
「――おうおう、いるじゃねえか。待ちくたびれたぜェ、『暁鴉』ァ?」
そんな声が、薄暗い通路の奥から響いてきた。
首をパキパキと鳴らしながら悠々と歩く大男――林道泰我の眼には隠しきれない殺意が宿っている。
幸か不幸か、奴の方からこっちへ来てくれたらしい。
素早くインカムで連絡を入れる。
『こちら京介。『白虎』と遭遇しました。戦闘行動に移ります』
『了解。逃げてくる奴は余裕がなければ素通りさせても構わん。それは包囲している警察に任せればいい』
『わかりました。では』
返事を最後に『白虎』と向き合う。
「俺はよォ、ずっと楽しみにしてたんだぜェ? なんたって『
「お前みたいな戦闘狂に絡まれる身にもなってくれ……仕事じゃなけりゃお断りだ」
「つれねェこと言うなよ。ほら、構えやがれ。さっさと殺ろうゼ。こっちはもう――」
泰我は腰を落とし、両手を床に着く。
盛り上がった肉体が服を破り、傷痕だらけの上裸体が露わになる。
分厚い胸板、丸太のように太い腕。
一部の隙もなく鍛え抜かれた肉体。
獣の如き殺気と闘気を纏いて、
「――我慢出来そうにねェんだ」
「ッ」
呟きを置き去りにして、瞬いた視界を剛腕が薙ぐ。
脊髄反射のスウェーで逸れた頭の紙一重を腕が通過し、壁を豆腐のようにぶち抜いた。
轟音。
舞う瓦礫の雨と土埃を地に落として視界を確保。
追撃の回し蹴りを『
どれだけ強くとも世界の法則には抗えず巨体が通路の奥へと引っ張られ――
「はッッ!!」
泰我は床板へ両腕を突き刺して無理やり場に留まる。
二条のラインが刻まれた床はもう使い物にならないだろう。
確かに異能強度的には怪我なんてしないだろうけどさあ……無茶苦茶だろコイツ。
頭のネジが数十本単位で飛んでるとしか思えない。
少しの猶予の中で穴から外に出ることを選択。
走って出た先は屋敷の外に広がる庭。
鯉が泳ぐ池まである星空の下へ戦場を移す。
さっきの一撃でわかるように壁なんて意味をなさないのだから。
瓦礫で視界が塞がれて手痛い攻撃を貰わないとも限らない。
それならば互いが自由に動ける外の方がマシだ。
「逃げんじゃねぇよ」
「逃げちゃいないさ。ここの方が都合がいい」
「そいつァオレも同じだ。ツイてることに、今日は満月だからなァ」
にい、と口の端を歪めて嗤う。
そして、
「手加減なんざ期待すんじゃねえぞ―—『月の章・人虎反転』」
傲慢不遜に宣言した直後、泰我の身体に更なる変化が訪れる。
ぐぐ、と背が猫のように曲がり、白色の体毛が屈強な身体を覆い隠す。
足がブーツを突き破り、四足で芝生を踏みしめる。
骨格までも人間のそれからは遠ざかり、大口を開けて夜空へ咆哮を放つ。
その姿は、泰我につけられた二つ名——『白虎』と相違ない威容。
「……おいおい。こんなの聞いてないっての」
思わず頬が引き攣るのを感じた。
泰我の異能に関しても事前に報告が上がっていたが、全身を変化させて虎になる……なんてものはなかった。
データにも残っていないほど使う機会がない奥の手ってことか?
「アア……ひさビさのへんゲだゼェ。ちとコエがカわっちマウのはがマんシテくれや」
「この光景をネットに上げたらバズりそうだな。喋る虎なんて世界中探しても相当珍しいって。こんな場所より動物園のほうがお似合いだ」
「こいツァまんげツのヒシカつかえネェんダ」
大口を開けて笑う泰我。
絵面がシュールすぎて吹き出しそうになるから黙っててほしい。
「——さア、もっトこロシアいをタノしモウぜェ?」
虎が、獰猛に嗤った。
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