第12話 医務室の主

 無事に回収班の車で原宿を抜け出し、俺と有栖川は『異特』が管理する施設の一室を借りていた。

 ここは異能訓練場や異能強度測定器などの設備が整った場所で、時には警察や民間業者も利用する。


 今日の目的は有栖川が負った右手の火傷を治療すること。

 医務室を根城にする人物は異能の中でも希少な治癒系の保有者だ。

 彼女ならこれくらいの火傷は簡単に治療できる。


「なにも貴方までついてくる必要はなかったですよね」

「今日付き合えって言ったのは有栖川だろ」

「……勝手にしてください」


 どうやら諦めてくれたらしい。

 あんなことがあった後なら無理もないか。

 そう思いながら、医務室の扉をノックする。


「先生、いますかー?」

「――いるわよ~」


 優しげな女性の間延びした返事を聞き、鍵のかかっていない扉を開けて医務室の中へ。

 室内には微かな薬品の香りが漂っている。

 カーテンはすべて閉じられていて薄暗く、加湿器の稼働音が控えめに響く。

 食べかけのお菓子の袋が散らばっている仕事机。

 その前で、透明感がある翡翠色の瞳が俺たちを出迎えた。


「あら。京介くんとアリサちゃんじゃない」

「どうも久しぶりです、五條ごじょうなぎ先生」


 椅子に座っている白衣の女性――凪先生は朗らかに微笑んだ。


 二人そろって会釈し、座椅子に腰を落ち着ける。

 凪先生は大きな胸の前で腕を組み、有栖川の右手に気付いて「ああ」と軽く手を鳴らした。


「アリサちゃんがケガなんて珍しいわね」

「……そうですね」

「すみません。今はそっとしておいてください」

「貴方は黙ってください」

「相変わらず妬けちゃうくらいに仲がいいのね」

「「違います」」

「ほら、息もぴったり」


 凪先生よ揶揄からかうのはやめてくれ。

 しわ寄せがくるのは俺なんだ。


「それより治療をお願いします」

「ええ。そっちのベッドに座ってもらえる?」

「わかりました」


 有栖川は窓際に置かれたベッドへ移動し、凪先生が右隣に座って火傷を負った右手を両手で包み込む。


「……っ」


 直接傷口を触られては流石に痛むのか有栖川の表情が僅かに歪む。

 しかし凪先生は構わず異能を行使する。


「――癒しを」


 凪先生が唱えると、両手にマカライトグリーンの淡い輝きが灯った。

 光は有栖川の右手をあっという間に覆い隠す。

 光が引けば、酷い火傷は嘘のように消えて綺麗な素肌が戻っていた。


 凪先生の異能は何度見ても綺麗なものだ。


 ――『再生加速アクセルレーナ』。


 傷の治癒を加速させ、まるで時を戻したかのように傷痕すらなく治してしまう異能。

 治せる範囲は骨折や創傷などの可逆的な傷であり、欠損や病気までは専門外だ。

 本人曰く、『その状態が正常な姿だから』らしい。

 凪先生にはなんとなく治せるものと治せないものが感覚的に分かるとのこと。


「終わったわよ。気分はどう?」

「特には。とても眠いくらいです、ね」

「それは我慢して。異能の特性上、体力の消耗が激しいのよ。傷をなかったことにしている訳ではないから」

「強力な異能であることに変わりはないですよ」

「まあ、そうね。アリサちゃんは少し眠っていったほうがいいわ。心なしか顔色も悪いもの」

「……では、少しだけ」


 瞼を軽く擦ってゆっくりと頷く有栖川。

 邪魔にならないようにと凪先生が有栖川の銀髪をヘアゴムで軽く結わえる。

 その間に有栖川はブーツを脱いで、こてんと身体を横へ倒して目を瞑った。

 俺を気にする余裕もないようだ。

 或いは信頼の表れ……はないか。


 ジロジロ見るのも良くないし、一足先に退散するとしますか――


「あ、京介くん。私仕事で外出しないとだから、アリサちゃんを頼んだわよ」

「は? え? 凪先生っ⁉」

「怪我人は来ないと思うけど、来たら留守って伝えて。アリサちゃんが起きたら鍵も開けっ放しで帰って大丈夫よ。ああ、それと」

「まだ何か?」

「今のアリサちゃん、無防備よね。そういうのに真っ盛りな男子高校生と二人きり。何も起きないはずがなく――」

「起きませんよ、何も。それより仕事遅れますよ」

「冷たいわね。じゃ、行ってくるわ」


 凪先生は走って医務室を出ていく。

 名前に反して嵐のような人だ。


 とはいえ、だ。


「どうすんだよ、これ。放置して出ていく訳にもいかないし」


 早くも夢の世界へ旅だった有栖川。

 銀の毛束を白いシーツへ流し、呼吸の度に薄い胸が軽く上下する。

 伏せられた長い睫毛まつげが妙に艶やかだ。


 当然ながら有栖川の寝顔を見るのは初めてのこと。

 寝息と衣擦れ音だけ流れる空気が痛い。

 しかも発信源が有栖川と考えると、否応なしに緊張してしまう。

 俺の中で理不尽の権化となりつつある有栖川だぞ?

 起きた時の仕打ちが怖い。


「喉乾いたな。なんか買ってくるか」


 医務室のすぐ外にある自販機で缶コーヒーを買って戻り、椅子に腰掛けて身体を休める。

 缶コーヒーを片手に気を紛らわすべくスマホを弄り、適当に時間を潰す。

 不幸なこともあって妙に疲れた。

 任務でもないのに戦うことになるとか厄日か?


 俺が望んでいるのは平穏な日々。

 しかし、俺の異能は平凡である事を許容しない。

 かつては不相応な力を呪ったこともある。

 今となっては身近にいる大切な人を守れるのなら悪くないと思っているけれど。


 色々と懸念事項はあるし、今後も警戒するに越したことはなさそうだ。

 今日の事件もきな臭いしな。


 日が暮れて、窓から見える空が茜色になった頃。


「んんっ」


 カーテンの向こうから響く微かな呻き声。

 ばさり、と音がして。

 起きたのかと思うも、有栖川が出てくる気配がないまま数分経ってから、ようやくカーテンが開いた。


「お、起きたか」

「……京、介?」


 やや舌足らずな口調で、有栖川は珍しく名前だけを呟いた。

 ぽけーっとした蒼い眼が俺をぼんやりと映す。

 有栖川の寝起きが弱いのは知っていたが、朝でも夕方でも変わらないのか。

 なんかギャップで迂闊にも可愛いなと考えてしまったが、苦笑で誤魔化す。


「寝ぼけてるのかよ」

「? ここは?」

「医務室だよ。凪先生の治癒を受けて、そのまま眠ったんだ。で、俺は凪先生が仕事で居なくなるからって留守番を押し付けられた」


 簡潔に説明するも、まだ有栖川の頭脳は働いていないようで小首を傾げている。

 茜色を反射する銀の束が煌めく。

 まるで深窓の令嬢……いや、間違ってはいないか。

 俺が知っている本性がアレなだけで、世間的にはおしとやかに振舞っているのだから。


「喉乾いたろ。なんか飲むか?」

「ん。紅茶。淹れたての美味しいやつ」

「ここは家じゃないぞ。午後ティーでいいよな」

「早くしてね」

「こんな時にまで一言多いな」


 人使いの荒さに悪態をつきながらも医務室の外に出ようと扉に手をかけた時。


「――色々、ありがと」


 背後から伝えられた小さなそれに驚き、慌てて振り返る。

 有栖川は俯きながら手を後ろで組んでいて表情は見えないが、どうにも足元に落ち着きがない。

 いぶかしみながらも念の為に聞き返す。


「……聞き間違いか? 幻聴でなければ『ありがと』って聞こえたんだが」

「っ、そうよ。悪いっ⁉」

「悪くないって! キレるな! 瞬間沸騰機か⁉」

「うるさいっ! 早く買ってきなさいっ!」

「うおっ⁉」


 強引に有栖川から背中を押されて、医務室を追い出された。

 全くどうして、有栖川の思考は理解出来そうにない。

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