第10話 癒えない傷

 濁流のように押し寄せる人の波に逆らって、有栖川は突き進む。

 足取りに迷いはない。

 微塵みじんも不安を感じない振る舞いは、彼女の素だ。


(……ああ、腹立たしい。よりによって今日でなくてもいいでしょうに)


 表情にはおくびにも出さず、有栖川は僅かに足取りを早める。

 折角取り付けた貴重な外出の約束だったのだ。

 楽しみにしていたとは口が裂けても言えず、出てくるのは鈍感極まる友人への悪態ばかり。


 天邪鬼あまのじゃくなのは今に始まったことではないけれど。

 このやるせなさは本物だ。


 やがて人気のなくなった大通りの真ん中へたどり着くと、一人の男がバチバチと指先で青白い火花を散らして狂ったように嗤っているのを見つけた。

 あれが騒ぎの元凶で間違いないだろう。

 だが、もしもを考えて、有栖川は一応の確認をとる。


 男は有栖川に気付いていない。

 ポケットから取り出したスマートフォンで、ある人物へ連絡をつける。

 プルル、プルル、と2コール目で繋がった相手へ、間髪入れずに問いかけた。


「伽々里さん。あれであっていますか」

『暴れている異能者のことなら合っています。落良光19歳。データベースによると、彼の異能はレベル3『静電気ショートボルト』。ですが、監視カメラに残っていた映像のものは彼の能力の範疇はんちゅうを超えています』

「ドーピングの類でしょうか。だとしても、せいぜい中位ミドル……レベル6が限度。敵ではありませんね」

『周辺の封鎖も進んでいます。邪魔が入る可能性は極めて低いです。迅速な確保をお願いします』

「了解。因みに、ほどほどなら痛めつけてもいいですよね?」

『……京ちゃんとのデートを邪魔されたからって――』


 ぷつりと通信を切って、不満げに踵を打ち鳴らす。

 別にそういう感情ではないと誰に対してかわからない言い訳を胸の中で吐き連ねながら、黒煙に覆われた空を仰いで笑う男へと歩み寄る。


 有栖川のご機嫌は斜めも斜め。

 表情には出てていないが、一挙手一投足が繁殖期の猛獣並みに威圧的だ。

 オーラなんてものが見える人がいれば、今の有栖川が纏うのは燃え盛る業火の如き緋色だろう。


「あ゛あぁ? 何見てんだよ」


 しかし、落良は怖気づくことなく有栖川にガンを飛ばす。

 挑戦的な……もとい、命知らずな行為だ。

 今の有栖川には最低限のストッパーしか備わっていない。


「――落良光。貴方を現行犯で拘束します。拒否権はありません」


 静かに宣言をして、編み上げのブーツで勢いよく踏み込む。

 一瞬で懐まで潜り込み、腰のひねりを加えた掌底を落良の顎めがけて打ち放つ。

 流水のように滑らかで速い一撃に落良の反応は追いつかない。


 手のひらから伝わる確かな手ごたえと――バチッと弾けて全身へ広がる痺(しび)れ。


「――っ⁉」


 反射的に飛び退き右手を確認してみれば、痛々しい火傷の痕が残されていた。

 皮が捲れて赤い肉が剥き出しになった手は有栖川にとって不意を打たれた証拠。

 異能強度の差を考えれば素手で押し切れると思っていた。

 その認識は間違ってはおらず、落良は足をふらつかせながら頭を押さえている。

 脳震盪を起こすつもりで放ったものの、当たりが甘かったようだ。


「……自動反撃? だとすれば迂闊うかつに攻めるのは危険ですね。まあ――」

「クソあまがッ‼」


 正気を取り戻した落良が声を荒げて叫び、拳に青いスパークを纏わせて有栖川へと殴り掛かる。

 動きは素人同然。

 警戒すべきは落良の異能だけ。


 至って冷静に、有栖川は自身の異能を開放する。


「——『剣刃展開ブレード・オン双刃剣デュアル


 落良の拳は有栖川へ届くことなく、突如として虚空から現れた交差する二振りの剣の腹に阻まれた。

 受け止めた剣が無数の銀片へ姿を変えて有栖川を守るように周囲をまわる。

 落良は防御を捨てての特攻を続けるが、打撃も異能による雷撃も流動的に動く銀片が全て迎撃して叩き落す。

 遂に息を切らして膝をつく落良を見下ろす有栖川の表情は涼しげだ。


「参考程度に教えてあげますが、私の異能はレベル9『剣刃舞踏ブレードダンス』。貴方には万に一つも勝ち目はありません」


 推定レベル6と本物のレベル9の戦闘力など比べる余地もない。

 ましてや暴走した一般人の落良と対異能者を想定した戦闘訓練を積んでいる有栖川では、地力の差も歴然。


「おとなしく罪を認めなさい。少しでも罪が軽くなるように祈ることね」


 浮遊する剣の切っ先を落良へ突き付けて降伏を促がす。

 有栖川の異能は殺傷力が高過ぎて、直接当てるだけでも重傷を負わせてしまう。

 精神にのみダメージを与える虚実体ヴォイドで早々に蹴りをつける選択肢もあった。

 だが、敢えて圧倒的な力の差を見せつけ、降伏を促す方が後処理も楽だ。

 そう考えての行動だったが。


 一つ、その思考には穴がある。


「――クソ、が」

「っ、貴方、やめなさい! それ以上動いたら斬りますよッ」

「うるせえッ‼」


 血走った眼で有栖川へ飛びつこうとする落良。

 身を守るため慌てていだ剣は鈍く、隠し切れない迷いが宿っていた。

 脳裏を過ぎる過去のトラウマ。

 未だ心に深く傷を刻んだ忌々しい事件を乗り越えられていない証拠だ。


『異特』に在籍している以上、人を殺す覚悟はあったつもりだった。

 特に有栖川の異能はそうなる可能性が高いもの。

 甘えたことを言っていられる余裕などない。


 それを理解していても――有栖川はおくした。


 精神の芯が揺らぎ、結果として虚実体ヴォイドへの再顕現が遅れてしまう。

 

 鋭利な刃は落良の二の腕の肉を容易にそぎ落とし、鮮烈な赤い飛沫と喉が張り裂けんばかりの絶叫が通りに響く。

 しかし落良の動きは止まらず、相応に華奢きゃしゃな体躯の有栖川をアスファルトの地面へ押し倒した。


 受け身を取れず後頭部が激しく衝突し、意識がわずかに揺らぐ。

 浅く息が吐き出され、大きく両目を見開いた落良と視線が交わる。

 背に感じる硬い感触。

 アスファルトへ縫い付けるように肩を押す手は本来なら容易に解けるはずなのに、強張った身体は鉛のように重く動かない。


「なんで……っ」


 有栖川を襲っていたのは本能的な恐怖心。

 どれだけ強い異能を保有していたとしても、有栖川はまだ17歳という多感で繊細な時期。

 自らの異能で人を傷つけ剥き出しの悪意に晒されれば、格下相手に怯えてしまっても無理はない。


 有栖川が見逃していた可能性。

 それは、落良が冷静な判断を下せる精神状態ではなかったことだ。

 あくまで有栖川の思考は常識の範疇で落良の心理を予想していたために、異常な行動への対応が間に合わなかった。


 落良の左手が肩から外れ、有栖川の小顔をすっぽりと覆った。

 何をする気なのか聡明な頭脳で理解してしまった有栖川の背筋をえも言えぬ悪寒が駆け抜ける。

 もはや、二人の立場はすっかりと逆転していた。

 生殺与奪の権利を握ったのは落良で有栖川を殺す準備は整っている。


「いや……っ、たすけて」


 か細い悲鳴は誰にも届かず、視界に青い光が奔る。


 数秒後の自分を想像して頭の中が白紙に染まった。



 ――もう、だめだ。



 恐怖に耐えかね、瞼を閉じて。












「――うらあああああああっ‼」


 耳朶じだを打った聞き覚えのある声音に驚いて目を開けば。


 たった一人の冴えない青年が、落良の腹を蹴り上げる瞬間だった。

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