第9話 縁遠い別世界にて

「――用事は済んだんじゃないのか?」

「何を馬鹿なことを言っているんですか? まだ私の用事が済んでいません。さっきのは頼まれ事ですので」

「あー、はいはい。そうですかそうですか」


失楽園パラダイスロスト』を出て大通りへ戻った俺は、ずいずいと人をものともしない有栖川にぞんざいな返事をしながら歩く。

 有栖川の進路はモーセが海を割るかのように道が出来るのは何故だろう。


 傍目で見れば、有栖川は美少女と称して差し支えない容姿の持ち主だ。

 どちらかといえば可愛いより美しいという要素の方が大きいように感じられるが、それは人それぞれ。

 無自覚に自分と比較してしまい、道を譲っていると考えられなくもない。


 俺も正面から有栖川が来たら避けるし。

 単純に関わりたくないだけだけど。


 周囲の視線を意識しなければ歩きやすいことに変わりはない。

 リスクがあるんだ、これくらいのリターンはあって然るべきだ。


「今日は春服を買おうと思っていまして。同年代の忌憚きたんない意見が欲しいのですよ」

「俺にファッションセンスを求めるのは間違っていると思うが?」

「そこは期待していません。思うままに感想を言ってくれればいいですから」

「それくらいなら、まあ」


 流行やら若者のトレンドやらとは縁がない俺にでも出来るか。

 まともな意見を出せなくても俺を連れてきた有栖川が悪いってことで。


 有栖川が入った店へおずおずと俺も続けば、内部は別世界が広がっていた。

 春らしいパステルカラーの服を纏ってポージングを決めるマネキン。

 少女趣味なゴシックロリータから、大人びたシックなものまで幅広く揃えられている。

 俺と同年代か少し上の女性たちが楽しげにショッピングをする空間。

 ここに長居するのは良くない。

 

 とても、良くない。


「挙動不審なのは普段からですけど、ここでそれをやると変質者だと思われますのでやめてください」

「一々棘が多い。挙動不審なのは間違ってはいないけど」


 連れてきたのは有栖川だろうとは言わない。

 ため息をついて、服の海へ乗り込む有栖川から離れないように歩き回る。

 周囲の人がやたらと俺を見ている気がする……気の所為じゃないな。

 

 さもありなん。

 こんな場所にいる黒一点の男だ。

 注目を集めてしまうのは致し方ない。


「……これとか、どうですか」

「いいんじゃないか?」

「語彙力が小学生並みですね」

「うっさい。初めから期待するなって言っておいただろ」


 小学生並みの語彙力で悪かったな。

 服の名前とかデザインとかわからないし、経験ないことに出来栄えを求めないでくれ。

 ただ……その対応も相手が有栖川だから成り立っている節がある。

 全部伝えなくても勝手に解釈してくれるから、こっちの負担は意外と軽い。


「――試着してきます。覗いたら明日の日の出は見れないと思ってください」

「見ないし怖いからやめてくれ。有栖川が言うと冗談に聞こえない」

「冗談ではないですが?」

「余計にタチが悪い」


 背筋に走る寒気を差し置いて、数着の服を抱えた有栖川が試着室へ消えていく。

 ぱたん、と扉が閉じて。

 待つこと数分で、不意に扉が開いた。


「ちょっと少女趣味が過ぎますかね」


 緩く広がったスカートの端を摘みながら、有栖川は小さく呟いた。

 試着してきたのはコスプレ感が拭えない黒のワンピースドレス。

 細部にあしらわれたリボンやフリルが動く度に揺れて、くるりと回れば柔らかな生地のスカートが花開く。

 高めのヒールを鳴らして歩く様は、御伽噺から飛び出してきた姫のようだ。

 対象的な色合いのせいか、有栖川の銀髪も映えて見える。


「……あの。そんなに見られると流石に恥ずかしいのですが」

「っ、悪い。なんか、言葉も出ないくらいに綺麗だったから」

「〜〜〜〜っっっ⁉⁉ あ、あああああ貴方は突然なにを言っているのですかっ⁉」

「率直な感想を、って言ってたろ」


 本当にそう思ったから言っただけで、気を使ったとかでは断じてない。

 なのに、有栖川がバグった。

 俺は何も悪いことしてないよな?


 熟れた林檎のように頬を染める有栖川の表情は中々にレアだ。

 そういうのは将来を誓い合った恋人にでも見せてやれよ、きっと喜んでくれるぞ。

 俺は顔色を変えずに心の中で「リア充乙」って中指立ててやるから。


 負け惜しみじゃない。


 本当だからな?


「――こほん」


 有栖川が気持ちをリセットするためか軽く咳払い。

 さっきの動揺はなかったことにしたいらしい。

 人を殺せそうな視線が如実に訴えている。


 大丈夫、俺は誰にも話さないさ。


 おい、話す友達もいないだろって言ったやつ出てこい。

 違うのかと問われると困るけど。


「別のものに着替えてきます。次、おかしなことを言ったら……わかっていますよね」

「そんなに変なこと言ったか?」


 俺の抗議にこたえることなく、有栖川は試着室の中へ。


 そして。


「やっぱり何を着ても様になるな。口は悪いけど素材がいいから当たり前か」

「~~~~っっ⁉」


 ありのままを伝えただけなのに顔を真っ赤にした有栖川に頬を抓られた。

 本気じゃなかったにせよ、痛いものは痛いからやめてくれ。


 有栖川はすぐさま試着室に閉じこもり、ジンジンと痛む頬をさすっていた時。


「――っ、地震?」


 足元を襲った振動。

 徐々に大きくなり、止まる気配がない。


 店内に響く悲鳴、棚が傾いて飾られていた洋服が床へ散乱した。

 誰もが現状を正確に把握できていない。

 それは、試着室にいた有栖川も例外ではないようで。


「何事っ⁉」

「バカっ、いきなり扉を開けるな危ないだろっ⁉」


 ひらりと迫る扉を回避して慌てた様子の有栖川に注意するも、聞いている様子はない。

 俺の話を聞かないのはいつものことだと意識から切り離して……有栖川が着替え途中で飛び出してきたことに気付く。

 掛け違えた胸元付近のボタンの隙間から覗く肌色と淡い水色のそれ。

 ストッキングも穿き忘れ、試着室の中に放置されている。

 しまいにはブーツを左右反対に履いているが、紐を結びなおそうとして違和感を感じたのか俺をにらみながらなおした。

 自分の失敗を俺に当たらないでほしい。


 それはそうとして。

 いうべきか、知らないふりをするべきか。

 コンマ数秒で結論をはじき出して、気が乗らないまま口を開く。


「……有栖川」

「なんですか今忙しいのですが、みてわかりませんか?」

「自分で蒔いた種だろ。それより……胸のとこのボタンなおせよ」


 後の展開を予想しながらも目を合わせて伝えると、きょとんとした風に首をかしげてから有栖川の目線が下がって。

 非自然に空いた隙間をとらえ、そこから見えるであろう光景を理解したのだろう。


「っ⁉ まさか見えて……っ」

「……悪い、見えた。言い訳する気はないよ」


 潔く謝罪する。

 事故とはいえ見えたのは事実なのだから、嘘をついても無駄だ。

 何より不誠実な対応はしたくない。


 有栖川は羞恥で赤くなった顔を俯いて隠して微動だにしない。

 すぐさま殴られるのではと思っていただけに、有栖川の様子に困惑する。

 ビクビクしつつ窺っていると、深いため息とともに有栖川が立ち上がった。


「……今のは私の不注意です。申し訳ないと思っているのなら忘れてください」

「あ、ああ」


 一方的に告げて後ろを向き、僅かに衣擦れの音が聞こえる。

 素直な謝罪に毒気を抜かれて目を逸らし、記憶を消去しようと務めている途中。


 轟く盛大な爆発音。


「――異能者の男が暴れてるっ!」

「誰か警察を呼べっ‼」


 数々の悲鳴に混じって聞こえた情報へ瞬時に反応した俺と有栖川が視線を交わす。


「有栖川」

「ええ、わかっています。不届き者の対処は私が。役立たずの貴方は逃げてください」


 俺が安易に外で異能を使うのは都合が悪い。

 それを見越して有栖川は俺を逃がす……もとい、逃げた人の安全を俺に託(たく)すようだ。

 どうして回りくどい言い方をするのか理解出来ないが、意図はしっかり伝わっている。


「こっちは任せろ。有栖川もやり過ぎるなよ?」

「どうして私が罪人に出力を合わせなければならないのですか?」


 振り返ることなく、有栖川は悠然と店外へ歩を進めていく。

 緊張や不安は一切見受けられない。

 有栖川アリサ――彼女も上位アドバンスの異能力者であり、圧倒的強者である。


 剣呑な雰囲気を漂わせながら、静かに呟く。


「――折角の楽しい休日を台無しにしてくれたんです。相応の報いはあって然るべきですよね」


 赤い舌先が、ちろりと唇を濡らした。

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