第8話 なんだかんだでインスタントコーヒーは美味しい

 大通りから枝分かれした路地へと入り、奥へ奥へと進むこと約5分。

 息を切らしながらも、俺と有栖川は寂れた廃墟同然の木造建築物の前にいた。

 木の板を貼ったような扉には、掠れた文字で『失楽園パラダイスロスト』と書かれている。


「これ、本当に営業中?」

「入ってみれば分かります」


 有栖川が扉を押してみると、ギギと金具が軋む音を上げながら開いた。

 チリンと鳴る小さな鐘の音。

 有栖川を追って中へ入ってみれば、バーと喫茶店が融合したような内装が出迎える。


 落ち着いた色合いのテーブルや椅子は全て木製で、使い込まれた年季が刻まれていた。

 天井で回るシーリングファンの動きはぎこちない。

 薄暗く不気味さすら感じる店内……幽霊でも出そうだな。


「もしかして留守?」

「そんなはずは――」


 二人でぐるりと見渡すも、それらしい気配はどこにもない――


「ひゃっ⁉」


 甲高い悲鳴は有栖川の口から。

 肩を跳ねさせ、硬直した頬は心の底から驚いている証拠だろう。


 何事かと下を見る有栖川の視線を追うと、足首に病的なまでに白い指が絡(から)みついていた。

 手を辿ると、テーブルの下に倒れながら「うう」と唸る人影が映り込む。


 ソレは緩慢な動作で這い出て、ゆらりと覚束無い様子で起き上がった。

 固まったままの有栖川にもたれかかる人物は、黒い毛布を羽織ったボサボサ頭の女性。

 寒そうに身を震わせながら、欠伸をひとつ。


「……よく寝たわ。今何時?」

「午前10時を過ぎたところですけど……貴女は?」

「一応、ここの店主。夜泊茉冬よどまりまふゆよ」

「佐藤京介です」

「うん、知ってる。『異特』で働く特務員の高校生。それも、『異極者ハイエンド』。知らないはずがないわ」


 ぴくり、と眉が上がる。

 何故、存在自体を秘匿ひとくされている俺のことを知っている?

 夜泊さんへの警戒心を強めつつ、様子をうかがう。


 彼女が敵ならばこの場で消すことも視野に入れなければならないが……。


「――はっ⁉ べ、別に私は驚いてなんかいませんよ。これは単に喉が詰まっただけで」

「誰に何の言い訳をしているのか理由は聞かないでやるから、色々説明してくれ」

「黙ってください微塵切りにしますよ」


 鋭い眼差しが俺を刺す。

 ……口を挟むことすら許されないらしい。


 ホラー的な展開に耐性がなかったのは初めて知ったが、そこまで気にすることだろうか。

 有栖川の思考がわからないなんて今に始まったことではないにしろ、その度に冷たくあしらわれる俺の心を考えてくれ。


「夜泊さんは『異特』の正式な協力者です」

「佳苗って人いるでしょ? 知り合いだからってこき使われてるのよ」

「はぁ」

「さて、眠気覚ましにコーヒーでも淹れてくるわ。二人もいる?」


 夜泊さんの誘いに揃って頷き、彼女はバーカウンターの奥へ入ってコーヒーを淹(い)れ始める。

 俺と有栖川は間隔をおいて丸椅子に座って待つ。


 独特の香りが湯気に乗って鼻先へ運ばれ、少ししてから目の前にコーヒーの入ったティーカップが一つずつ置かれた。


「砂糖とミルクは適当にお願いね」


 言って、夜泊さんはブラックのまま一口飲む。

 俺はテーブルに並ぶ容器から角砂糖を一つカップに落とし、スプーンでよく混ぜてから口をつけた。


 正直なところ、インスタントコーヒーとあまり変わらない気がする。


「喫茶店の割にあんまり美味しくないって顔だね、京介くん?」

「いや、そんなことは」

「だってそれ市販のやつだからね。料理下手が豆から挽くよりはマトモな味だと思うわよ?」


 ケラケラと笑いながら、夜泊さんは再びカップを傾ける。

 その意見には激しく同意を示すところではあるが、なんとも言えない気分だ。

 なんだかんだでインスタントコーヒーってのは美味しいけどさ。


 有栖川はマイルドな色合いになったコーヒーを冷ましながら、慎重に口をつける。

 しかし、直ぐに口を離してカップを置いた。

 まだ有栖川の猫舌には熱く感じたのだろう。


「ちゃんと冷ませって」

「言われなくてもわかっていますっ!」


 心底不満げに声を荒らげながらも、有栖川の仕草は優雅なままだ。

 身体に染み付いているって感じだな。

 有栖川の家は金持ちだから、その辺の作法も仕込まれているのだろうか。


 もっと別の部分を直す必要があるのではと感じるのは俺だけなのか?


 いや、気にしたら負けだ。

 俺と有栖川は仕事だけの関係。

 深入りする必要は無い。


「夜泊さん。私は人使いの荒い上に言われて来ただけなので、要件を聞いていないのですが」

「あら、そう。大体予想はついているとは思うけれど、そっちの仕事に関わることよ」

「依頼ですか?」

「違うわ。頼まれていた『皓王会はくおうかい』に関する調査結果の引渡しね」


 夜泊さんは近くの戸棚を漁り、分厚い紙束を取り出してテーブルへ置く。

 なんか教科書並の厚さなんですけど。


「えと、これが調査結果?」

「暗号化してあるから普通には読めないけれどね」


 さっと目を通してみれば、統一性も日時や宛先もバラバラな手紙やチラシの集合体にしか見れない。

 残念ながら俺には何が書いているのかわからないが、伽々里さんならわかるのだろう。

 あの人はアレで『異特』の頭脳だ。

 頭脳労働は任せるに限る。


「そういうことだから、頼んだわね」

「確かに」

「ああ、それと……『白虎』という異能力者には気をつけなさい。特に、京介くん」

「俺ですか?」

「彼は強さに敏感よ。隠していても、獣の嗅覚は誤魔化されない。君がそうそう遅れを取るとは思えないけれど、気を引き締めることね」

「成程。ご忠告、感謝します」


 異能力者『白虎』……時間があれば伽々里さんにでも聞いておくか。

 話の流れからして『皓王会』に所属しているはず。

 ならば、いずれ戦うこともあるだろう。


 油断は禁物。

 不確定要素は一つでも排除しておくべきだ。


「話は終わり。私は出かけるから店は閉めるわ」

「自由過ぎません?」

「自営業のいい所よ」

「では、私たちも出ましょうか。佐藤京介、さっさとしてください」

「尻に敷かれているのね」

「余計なお世話です。あと、敷かれてもいません」

「誰が死んでも貴方なんかと生涯を共にしようと思うのですか。恥を知りなさい」

「そこまで言わなくても良くない??」

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