第4話 さらば、優雅で平穏なランチタイム

 生徒相談室から教室へ戻ると、既に授業が始まっていた。

 担当の先生へ事情を説明してから席へつき、教科書を広げて授業に意識を傾ける。


(はあ……鬱陶しい)


 教室のそこかしこでヒソヒソと話す声や視線が俺に向けられているのを感じる。

 どうせ俺が何をやらかしたのか意味の無い憶測を重ねているのだろう。

 事実は俺と静香さんしか知らないのだから、早いとこ無駄だと理解して欲しいな。


 とはいえ、この程度で精神を乱すほど俺の心はヤワじゃない。


 何事もなく授業は進み、午前最後の四限の終わりを告げる鐘が鳴り、挨拶をして昼休憩に入った。

 購買のパンを欲して教室を走って出ていく生徒を後目に、鞄から美桜が作ってくれた弁当を取り出す。

 可愛らしい猫柄の包みを解いて蓋を開けると、彩り豊かなおかずと海苔のりを散らしたご飯が出迎える。


「今日はのり弁か」


 毎日のように妹の手作り弁当が食べられる幸せを噛み締めながら手を合わせる。

 まずは一口サイズのたこさんウィンナーを頬張り、続けざまにご飯を運ぶ。

 ……うん、愛が詰まってる美味しさだ。


 素朴ながら安心する味、といえば良いだろうか。

 何にせよ美桜が作ったのだから美味しいに決まっているがな!


 箸を休めず食べていると、不意に教室がザワついていることに気づく。

 まあ、俺には関係ないだろう。

 最優先は美桜が作ってくれた弁当を米粒一つ残さず完食することだ。

 誰にも至福のひとときを邪魔させはしない――


「――佐藤京介」


 ……なんかご機嫌斜めな聞き覚えのある女の声がしたような。

 いや、現実問題として有り得ない。

 俺に話しかけようとする極小数の物好きが昼食中にたまたま居るなんて。


「……聞いていますか? 佐藤京介」


 突如机の上から消えた手作り弁当。

 目で追ってみれば、艶のある白銀色の毛束が視界に映り込む。

 一部の隙もなく着こなした制服はあつらえたかのようにスレンダーな身体を包んでいる。

 線の細い華奢きゃしゃなシルエット。

 人形のような白皙はくせきの肌、しかし頬と唇の桜色が人間らしさを醸す。

 パッチリ二重の目は綺麗な海のように蒼く澄み切った鮮やかな色合い。


 まさか、という予感は的中した。

 思わず悲鳴を上げたくなる気持ちを堪えて、 至極冷静な対処を努める。


「……えっと、あんたみたいな有名人が俺に何の用ですかね。有栖川アリサさん。あと、弁当返して欲しいんですけど」

「私の声が聞こえていないご様子だったので。貴方に用があります。お話を聞いて頂けますか?」


 逃がす気なんてさらさら無いくせによく言う。

 俺は学校で有栖川と関わりたくはない。

 だが、あっちから関わってきたのなら、なし崩し的に巻き込まれることになる。


 それは何故か、単純な理由。


 俺は底辺生徒であり、有栖川がスクールカーストトップの才女だからだ。

 衆人観衆の中で有栖川の誘いを断ればどうなるかなんて目に見えている。

 余計な反感を買って学校生活の居心地をこれ以上悪くはしたくない。

 俺が取れる選択肢は承諾の一手のみ。


 さらば、優雅で平穏なランチタイムよ。


「……ああ、わかった。それと、弁当返してくれ」

「これは失礼。では行きましょうか。お弁当も持ってきてもらって構いませんよ。私も昼食がまだなので、食べながらお話しましょう」


 丁寧に机へ戻された弁当を包み直して「着いてきて」と無言で訴える有栖川の後を追う。

 教室を出る際に嫉妬と憎悪の視線が纏わりついていたが、出来ることなら変わって欲しいよ。


 まるで俺がいないかのような速度で有栖川は歩を進める。

 それに文句の一つも言わずに追随すると、階段を登って屋上へ繋がる扉の鍵を開けた。


「……つかぬ事を聞きますが、どうして屋上の鍵を?」

「静香先生に少しばかり相談・・したら、快く貸していただけましたよ」


 静香さん……生徒に屈しないで下さいよ。

 不機嫌な有栖川と関わりたくないのは誰もが同じなのに、俺だけ生贄(いけにえ)って酷くない?


 静かな屋上を抜ける風は暖かく、ブレザーの布地がヒラヒラとはためく。

 安全対策のフェンス越しの景色は見晴らしが良く、つい夢中になってしまいそうだ。


「さて、もういいかしら。佐藤京介、こっちに来なさい」

「へいへい……」


 小さな段差に腰を下ろした有栖川が座れと催促(さいそく)するので、二人分の間隔を空けて隣へ。

 ここまで来れば人の目は気にしなくていい上に、近づいてくる人が居れば気配と音で気づく。

 普段のような話し方でぞんざいに応えつつ、食べかけの弁当を膝の上で広げる。


 すると、有栖川も手提げから小さな水筒と手作りらしいサンドウィッチを取り出した。

 自分で用意した……とは考えにくい。

 有栖川の朝の弱さは折り紙付きで、起きて身支度を整えるので精一杯とは本人の言。


「で、用事ってなんだよ」

「そう話を焦らないでください。早い男は嫌われますよ」

「……間違っても女子高校生が言っていい言葉じゃないぞ、それ」

「そんなことはどうでもいいんですよ。それより、どうして空のように広く寛大(かんだい)な心を持っている私が怒っているか、心当たりはありますよね?」

「色々言いたいことはあるが……悪かった。先に帰るって連絡を入れたつもりだったんだが、送れていなかったみたいだ」


 きっちり身体を向けて謝り、有栖川の返答を待つ。

 走る緊張。

 大丈夫、流石の有栖川も誠心誠意謝っている人を責めたりはしないはず――


「――事情はわかりました。意図せぬ事故だと、そう言いたいのですね?」

「あ、ああ。そうなんだ」

「でも、私をほったらかしにした事実は変わりません。最低です、佐藤京介」

「今の流れでそれは無くない????」


 そこはかとない理不尽さを感じて頬が引きる。

 どうやら有栖川という人間への理解度がまるで足りていなかったらしい。

 当然のように言ってのけた有栖川はサンドウィッチを頬張り始めた。

 俺の事など眼中に無いのか。


 しかし、不機嫌なまま返す訳にもいかない。

 機嫌が治るまで胃が締め付けられるような思いをするのはゴメンだ。


「……で、何をすれば許してもらえるんですかね」

「話が早くて助かるわ」

「俺に出来る常識的な範囲で頼むぞ」

「誰も佐藤京介なんかに期待していないわ。そうね……今度の週末、ちょっと付き合いなさい。どうせ予定なんてすっからかんでしょう?」

「たまたま入ってるかもしれないだろ」

「都合悪く用事があるの?」

「……ないけど」

「なら決まりね。忘れたら美桜ちゃんにあることないこと言いふらすので、そのつもりで」


 これは立派な脅迫ではなかろうか。

 退路は残っていないし、要求は内容が不透明なことを除けば予想よりもかなりマシだ。

「私を満足させなさい」とかの抽象的な要求は本気で困る。

 コミュ障対人弱者の俺に求めるべきじゃないっての。


「話は終わりよ、佐藤京介」

「そうか。じゃあ、俺はこれで」


 完食した弁当箱を包んで立ち上がろうとすると、右手首を細く冷たい指が絡めた。

 肉体強度はともかく、ここでの力関係的に解くことは出来そうにない。


「なんのつもりだ?」

「私のような美少女とのランチタイムを楽しめる機会はそうそうないですよ? ましてや貴方のような年齢=彼女なし……いえ、一生愛する伴侶を見つけられないのですから、この幸運を噛みしめるべきです」

「何か俺に恨みでもあるの? てか、自分で自分を美少女なんて言うか普通。精神が腐ってるんじゃないのか?」

「手首、握り潰してもいいですか?」

「ひえっ」

「冗談ですよ。そうも怯えられると悪いことをしている気分になるのでやめてください」


 ぱっと手を離して、有栖川は柄にもなく微笑んだ。

 そこらの男子生徒なら一瞬でノックアウトされる笑顔も、俺には裏があるようにしか見えない。


 午後の授業が始まるまであと10分そこそこ。

 眠気を誘う春の陽気を浴びながら、時折当たり障りのない会話を織り交ぜて過ごすのだった。

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