5(最終話)


 面接会場である大学に着いた時、まだ時間は三十分も余裕があった。案内看板に従って辿り着いた部屋は、今日面接を受ける人たちの待機室だった。田上優來を除いても、まだ四名しか集まっていない。


 一番端の席につくと、スマートフォンを取りだした。いつもはあまり開かないSNSをいじったりした。内容は全く入ってこない。


 途中、宮下からメールが届いた。面接頑張れよ、という文にスタンプが添えられていた。優來は「うん頑張る」と送信し、可愛い猫がお辞儀しているスタンプを送った。


 携帯をしまった。こんなことをしても無駄だとわかっていた。電子機器では彼女の緊張をほぐせない。


 徐々にいらいらまでしてきた。壁に掛けられた時計の秒針がやけにうるさく聞こえた。しかもやがて、ガタガタという謎の音まで部屋で響きだした。その音が自分の貧乏ゆすりだと気づいた時、ああもうダメだなと思った。


 優來は荷物を持って、早足で部屋を出た。出る際に、部屋にいた全員が彼女に奇怪なものを見る目で眼差しを向けていた。


 向かった先はトイレだ。お世辞にも綺麗とは言い難ったが、その方が彼女にとって都合が良かった。火災警報器は設置されていない。


 個室に入ると化粧ポーチを鞄から出した。さらに化粧ポーチから取り出したのは、口紅だった。キャップを外すと、中には口紅ではなく、一本のタバコが入っている。


 ただし、それはタバコではなかった。見た目はごく普通のタバコだが、巻かれているのはタバコの葉ではなく大麻だった。


 ライターで火をつけ、大麻を吸った。その瞬間、脳味噌が溶けるような快感が押し寄せてきた。視界が僅かに歪み、さっきまでの憤りは鎮静された。


 おかしいな、と優來は思った。少なくとも以前の彼女は面接で緊張などしないはずだった。だが実のところおかしいなとは思いつつ、原因ははっきりしていた。薬物依存症だった。


 きっかけは、母親だった。ある日酔って帰ってきた母が大麻を渡してきた。常連客から貰ったのだと言った。そして、吸えば疲れが取れるとも。


 その時期、優來はバイトと勉強の両立で精神的に病んでいた。加えて、人間関係にも疲れていた。そこには宮下も含まれている。面白くない話を無理に笑ったりしているうちに心が闇に侵食されていった。


 なので疲れが取れるという母の言葉が甘く響いた。それに好奇心もあり、迷ったのはほんの一瞬だった。


 最初に吸った時は、疲れが取れるような感じはしなかった。ただ頭がぼんやりとするだけだった。だがその感覚は、もう一度大麻を味わいたいと思わせるだけの力があった。続けていくうちに、疲労が消え去ったのだ。


 無論、優來は大麻に手を染めるべきではなかった。そのせいで、彼女は人生二度目の過ちを犯すことになったのだ。


 それは、加味根に見つかったことだった。正直油断していた。馬鹿なことに、分解したタバコと大麻を机に置きっぱなしだったのだ。加味根は見つけるなり、彼女を問いつめた。誤魔化しは通用しなかった。加味根は母親もこのことを知っているのかと聞いてきた。優來が母から貰ったのだと言うと、加味根は鬼のような形相で家を飛び出した。緊急連絡先としてスナックSを記したことを、彼の背中を見ながら思い出していた。


 殺そう、そういったのは母だった。ひどく現実味のない言葉だった。だが母が何度も言ううちに、優來もそれしかないような気がしてきた。今まで母のために働き、勉強し、世間体を良くしていた苦労が水の泡になるのは考えただけでも発狂しそうだった。正義感のある加味根が見逃してくれるはずがなかった。


 殺す手順を考えたのは、優來だった。上手くいく自信はなかったが、事は怖いほど順調に進んだ。加味根から性的暴力を受けた作り話を、宮下とクラスの皆は疑うことを知らぬよう鵜呑みにした。宮下が加味根を背後から襲い、念の為にロープで首を絞めた。そして、授業中に死体を学校の裏庭に埋めた。誰も来ない場所を選んだ。


 予想外だったのは、婚約者であった白水杏子の存在だった。恋人同士の間柄なら、優來が大麻を吸っていることを話していても不思議ではなかった。だが幸いにも、加味根は隠していた。結果的に白水は自殺し、原因は婚約者が行方不明になったことによる精神崩壊で片付いた。


 優來は、大麻を深く吸い込んだ。


 クラス全員の隠しごと。田上優來の隠しごと。


 彼女は二重の隠しごとを背負って、これからも母のために生きていかねばならなかった。

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口紅は真っ赤で嘘 池田蕉陽 @haruya5370

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