3
田上優來と加味根の何らかの関係性を疑い始めたのは、まだ彼が行方不明になる前の頃だった。
その日は、一日の半分を加味根のアパートで過ごした。とはいっても、部屋の主は不在だった。
杏子が誕生日プレゼントであげた時計が七時を示しても、加味根は帰ってこなかった。家を出る前、六時には帰ってくると言ったのにだ。頻繁に携帯をチェックしたが、彼から連絡が来る気配はなかった。テーブルには、彼の大好物の筑前煮がラップされて置いてある。杏子が鼻歌を口ずさみながら作ったものだ。
さすがに心配になって警察に連絡しようかと迷ってる時、加味根は帰ってきた。既に七時半を回っている。
「どうしたの?」
つい声が大きくなってしまった。
「遅くなってすまない。進路のことで相談されてたんだ」
「事故か何かに巻き込まれたと思って心配だったのよ」
「すまない」
連絡の一つぐらいしてよと言いたかったが、杏子は我慢した。面倒臭い女だとは思われたくなかった。
「ご飯食べるでしょ。今温めるわね」
筑前煮が入った皿を持った。だがすぐに彼女は、皿の行き所を変えねばならなくなった。
「せっかく作ってもらって申し訳ないんだが、今日はもう風呂に入って寝ることにするよ」
「えっ?」
杏子は驚いて、鞄を置く彼を見た。
付き合ってから二年が経つが、加味根がこんなことを言ったのは初めてだった。彼はいつどんな時でも、彼女の料理を楽しにみしてくれたのだ。
「そう、疲れてるもんね。仕方ないわ。冷蔵庫に置いとくから、明日の朝食べてね」
「すまない」
謝る加味根は、本当に申し訳なさそうにしていた。それから脱衣場に向かって、まもなくシャワーの音が聞こえてきた。
様子が変だ、と思った。田上の家で何かあったのではないか。
今日は日曜日だったが、指定校推薦の出願書類を渡すため、彼はわざわざ田上の家に足を運んだのだった。本当は学校のある日でも良かったのだが、早い方が田上も安心するだろうという彼の優しさからだった。
まさか――。
いや、と彼女は首を振った。本当に優しさだったのだろうかという疑念が生じた。つまり杏子は浮気を疑ったのだ。本当は他の女と遊んでいて、食事を済ましてきたから彼女の料理を口にしなかったのかと。
ふと、箪笥の前に置かれたビジネスバッグに目を奪われた。加味根が田上家に訪れる際に持って行った鞄である。アパートを出る前、彼がその鞄に書類を入れるのを杏子は見ていた。
よくないことを考えている自覚はあった。それをすれば、杏子が彼を信頼していない証拠になるのだ。
だが杏子は自分の欲望に逆らえなかった。彼女は風呂場からシャワーの音が漏れているのを確認した後、鞄に近づいた。
深呼吸を一つした。それから意を決して、鞄を開けた。
中には、昼間見たはずの出願書類がまだ入ったままになっていた。
次の日は月曜日だったが、祝日で、昼は高校時代の友人とランチの約束をしていた。
杏子は出掛けるのに、加味根の車を借りることにした。加味根も今日は休みで、今は自宅にいる。
杏子は待ち合わせ場所である駅前をナビに入力しようとしたが、すぐに手を止めた。駅前までのルートは把握している。ついナビに頼る癖は治そうと思っていた。
その時、杏子ははっと閃くことがあった。閃いたあと一瞬考えを躊躇したが、もはやその必要は昨夜でなくしていたことを思い出した。
杏子はナビの履歴を確認した。もし加味根が昨夜に田上家ではなく、他の場所に行っていたとすれば、その履歴がナビに残っていると思ったのだ。
そして案の定、それらしき場所を検索した証拠があった。スナックSという名前だった。浮気をする習慣がないからだろう、ナビの履歴を消すまで頭が回らなかったに違いなかった。
やはり、昨日杏子の目の前で書類を鞄に入れたのは、カモフラージュだったのだろうか。そして、スナックSに目当ての女がいるのか。
杏子は友人に急用が出来たとメッセージを送ってから、車を発信させた。アクセルを踏む力が無意識に強くなっていた。
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