第一章 ひとときの安らぎ1
雷鳴のライラとの戦いから一週間が過ぎていた。
それは総司が自分という存在が何者であるのかを知ってから、一週間が過ぎたということに他ならない。
最初の数日は、まったく現実感がなかった。
自分が両親と思っていた二人が本当の両親ではなかったことや、自分が魔王の複製体——つまりは魔王の
数千年前、幽世に封印された堕天した神——その魂から生み出された落とし子である《
クラスメイトの霧島さんがこの街で起きている異変に関係していると思われることなどなど、全てが事実であることは頭の中で理解出来ていても、まるで夢のようにしか思えていなかった。
そもそも今、自分の家に鈴華とルリが居ることだって、まるで夢のようなことなのだ。
しかしそれらが全て現実であることを示すように、こうして今日も鈴華との訓練が開始されようとしている。
「総司さん、いきますよ!」
「お、おう!」
こうして毎日、結界を展開した上で家の庭で戦闘訓練を毎日しているし、魔術についていろいろと教えてもらう日もあった。
そしてそれは、総司がして欲しいと願ったことによって行われているものだ。
鈴華の師匠が日本に来るのが少し遅れるという話もあるし、それまでになにが起きようが、自分の身は自分で護れようにならなければならないと思ったのもあるし、もしもの時、鈴華やルリの邪魔をしたくないというのもあった。
自分だって二人の力になりたいし、もしもの時は二人を護れるようにだってなりたい。
ライラとの戦いの時のように魔王の力を使って暴走し、自分を見失うのも避けたかった。
そのために必至に修練を重ねた結果、総司はこの一週間ほどで、境界の向こう側である幽世からこの地上である現世に降りてくる、あの黒い靄の人型たちとも魔王の力を用いて戦い、暴走することなく、ルリや鈴華の力を借りることもなく、勝利を手にすることが出来るようになっていた。
しかし今日の靄は、いつもとは勝手が違うようで——
「なんなんだよ、あれ!」
鈴華とルリと共に、いつものように見回りをしていた最中のことである。
異変を感じて駆けつけた学校のグラウンドに入るなり、思わず総司は大声で叫んでしまった。
空は真っ暗で、夏休み前とはいえ、Tシャツに短パン姿の総司や、制服姿の鈴華にとっては少し肌寒くなってきている時間だ。
それだけに、もちろん校舎ともども人の姿は見ることが出来ないし、静まり返ってもいる。
当たり前の、夜の学校のグラウンド。
ただ、陸上用の四百メートルトラックの上に、浮かんでいる怪物がいる以外は。
「パパ……あれ、とり?」
小首を傾げて訊ねて来たのは、いつもの白いワンピース姿のルリだった。
「いや、鳥じゃないだろ……」
ルリが指で示しているのは、神話に出てくるようなドラゴンのような姿形をした黒い靄だ。
正直、めちゃくちゃ強そうな見た目である。
「こんなの、勝てるのか……?」
震えながら、総司はそんな風に呟いてしまう。
心の底からの言葉だった。
そこに、鈴華が声を掛けてくる。
「あれはたぶんワイバーンですね」
まんま神話に出てくる、ドラゴンそのものであるようだ。
「ええと、神話などには登場しないドラゴンなんですけどね。悪魔として現れることがあるんです。強いですけど《
「そうは言ってもな……」
人類を襲い、喰らう、危険かつ凶暴な存在に変わりないだろう。
「だから、大丈夫ですって。今の総司さんなら、心配ありません。わたしが保証します。むしろ修練の結果を試せるいい相手かもしれませんよ。ということで、戦闘を開始しましょう!」
空を突くようにつくり出した槍を掲げて、鈴華は結界を展開。
続けて、そのワイバーンの靄に尖端を向けて叫んだ。
「先制攻撃、させていただきます!」
槍の尖端を囲むように現れた四つの
その一つ一つはワイバーンにぶつかり、バラバラになりながらも、ダメージを与えていく。
とはいえ、それでワイバーンが地上に落ちることはなかった。
それどころか更なる高い場所を見上げるように顔をあげて叫び、今にも反撃をしてきそうな——炎を吐き出しそうな状態になっている。
「ここは俺に任せてくれ!」
鈴華の前に移動して、総司は炎を防ぐための障壁を展開しようとした。その間に、鈴華が次の攻撃の準備をしてくれると考えてのことだ。
しかし、
「え……?」
くいっと、後ろからズボンを引っぱられてしまった。
ルリだ。
「なんだ?」
振り返り、訊ねる総司。
「ルリがする」
「えっ?」
「——こう」
火を噴き出そうとしているワイバーンに、伸ばした右手を向けるルリ。
同時にワイバーンから炎が放たれた。
対抗するようにルリの手からも放たれる。
ぶつかり合う二つの炎。
互いに引くことはない。
とはいえ、時間と共に優勢になっていったのはルリの方だ。
さすが《
魔王イスヴァイールが封印される際に分割された十三の魂の一つである。
先に放たれたワイバーンの炎をルリの炎が押し返していき、見事粉砕。
勝利したルリの炎が、ワインバーンの身体を飲み込んでいった。
「やったか!?」
勝利を確信したような声をあげてしまった総司だったが、ワイバーンが黒こげになることも、地上へと落下することもなかった。
とはいえ、相当のダメージを負ってはいるのだろう。
その場から動くこともないし、ただ浮かんでいるだけで、精いっぱいの状況のようにも見える。
「ならば、これではどうです!!」
肩に槍を乗せるようにして、鈴華は助走を開始した。
いわゆる、槍投げの体勢。
まさかと思った総司だが、そのまさかだ。
走り出した鈴華の手から勢いよく放たれた槍が、ワイバーンに突き刺さる。
結果、断末魔のような悲鳴をあがった。
今度こそ戦いが終わると思った総司だったが、それでも地上に落下してくることはない。
それどころか身体に槍が刺さったままだというのに、ワイバーンは足の爪を鈴華に向けるようにして、突撃をしてくる。
「……一筋縄でいく相手ではやっぱりないですね。ということで総司さん、出番です!」
今、鈴華の手には武器がない。
槍を作り直すには一度ワイバーンに突き刺さっているものを消滅させなければならないが、そうする気はないようだ。
ここで総司に日頃の訓練の成果を見せろということのようだ。
お膳立てはしてくれた。
鈴華に倒されたらなにも出来なかったわけだし、ここは素直に感謝すべきなのだろう。
「わかった、やってみる」
答えた総司は、鈴華を護るように前に出た。
そして、魔王の力を解放。
手には巨大な剣を——。
背中には、一対の大きな黒き翼をつくり出していく。
他に身体が変化することはない。
この状態のまま魔王イスヴァイールの力を使用し、暴走しないように制御し続けること。
それが総司が練習してきたことであり、これからその成果を見せるべきことでもある。
「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」
地面を蹴り、ワイバーンへと突き進んでいく総司。
一対の黒き翼は鳥の翼のように宙に浮かぶためにも使うことが出来るし、加速するためにも使用することが出来る。
そのまま加速した総司は、ワイバーンに全力で斬り掛かった。
結果、二つになったワイバーンはそれぞれ地面に落下。
散り散りになって、泡のように消えていく。
(なんとか、上手く出来たかな……)
とはいえ——と、総司は自分の口元に指で触れた。
感じた通り、八重歯が牙のようになっている。
制御しきれなかった証しだ。
それでも心までもっていかれなかったのは上出来だろう。
「やりましたね、総司さん!」
「パパ、やった!」
近付いて来たルリと鈴華に、総司は答える。
「お前たちのおかげだよ」
「そんなことないです。さっきのを見ている限り、総司さん一人でも、きっと対処
出来たはずですよ。訓練の成果が、しっかりと出ていましたし」
「だったら嬉しいけどさ」
一人ではさすがに厳しいと思いつつも、褒められるのは嬉しいことで——。
このような戦いにも。
鈴華とルリの二人との生活にも。
魔王の力の制御にも。
こうして少しずつだけれど、総司は慣れてきていた。
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