橋を渡るということ、もしくは僕から君への手紙

きさらぎみやび

橋を渡るということ、もしくは僕から君への手紙

 橋を渡るのが好きなのだ。愛していると言ってもいい。

 何故?と聞かれると答えに窮してしまうのだが、せっかく君が尋ねてくれたので真面目に、真剣に考えてみることにする。

 さて、いざ言葉で説明しようと思うと自分のことなのにどうにも掴みかねているのが正直なところだ。

 そこでまず僕が橋を渡る時にどうしているかを思い浮かべてみた。


 僕はまず渡る前に橋の形を味わうことにしているのだが、そもそも橋と一口に言っても色々ある。君は橋と聞いて何を思い浮かべるだろうか?


 渡月橋、錦帯橋、日本橋なんてのもある。それとも米国の金門橋だろうか。目的を持つものの美しさというのは代えがたいものがある。用の美、とも言えるそれは僕の心を幼い頃から掴んで離さなかった。


 そして橋の形を存分に楽しんだあとはいよいよ橋を渡ることになる。

 橋を架けるということは、そこに何かしらの障害があるということだ。

 川かもしれない。道路かもしれない。もしかしたら海原かもしれないが、容易には辿り着けない向こう側へと、橋はいとも簡単に僕を連れていってしまう。此岸と彼岸の境を悠々と渡ってしまうのはある意味暴力的でもある。冒涜的と言ってもいいかもしれない。


 途中で立ち止まって橋桁から下を眺めてみるのも格別だ。かつては障害となって立ち塞がっていたそれを高みから睥睨すると、えも言われぬ優越感に浸ることが出来るのだ。


 だがしかし、いざ渡りきってしまえば取り立ててどうということもないのがこの行為のつまらない所でもある。旅行はいよいよ発つという日の前日が一番高揚するだろう?あれと同じようなものだ。


 さて、そのようにして僕はつまらなくも橋を渡りきってしまった訳だけど、まあこれは何処まで行っても個人的な趣味嗜好に起因する行いだから、今更ではあるが君は無理をしてまで僕に付き合うことは無いと言っておこう。こんな偏執的な行為に理解を示す物好きがいるとはついぞ思っていなかったものだから、まさか君がこの僕の行いに付き合ってくれると言ったときは一体何を考えているのかと思ったものだ。

 ああ、怒らないで欲しい。

 これは決して君を莫迦にしているわけではなくて、寧ろ敬服していると捉えて欲しい。敬服では足りないかもしれない。この感情は、そうだな......もしかしたら敬愛、いや、愛、愛だな。愛していると言うべきだ。うん、僕は君を愛しているのだ。

 だから。

 だからこそ、君には橋を渡ってほしくはない。

 これは徹頭徹尾、僕の我儘と思ってくれて構わない。橋を渡る行為は畢竟ひっきょう、僕だけのものなのだ。

 僕だけが意味を見いだし、僕だけにしか意味がない。いわんや誰かに対して強要するものでは決してない。あってはならない。

 言い方は悪いが僕は誰かに分かって貰おうともしていないし、寧ろ分かってほしくはない。さも知ったかのような顔であれこれ述べ立てるような輩に言及してほしくはない。そんな奴らに僕のことが分かる訳がない。

 仮にもし、そんな場面を僕が目の当たりにしたのならば、僕は嫌悪とおぞましさで吐き気を催してしまうであろう事は想像に難くない。

 そう、だから僕は君にそんな無粋な輩と同じようになって欲しくないのだ。

 こう言うと君は僕が言うほど純粋無垢ではないと反論の弁を述べるかもしれないが、君は自分が思うよりもずっと純粋な人間だと言っておこう。たとえ三千世界の全ての者がそれを否定したとしても、僕にとっては君は純粋過ぎるほどに純粋な人間なのだ。

 正直に言おう。僕はそれが恐ろしかった。

 君が僕に惜しげもなく、何の見返りもなく与えてくる溢れんばかりの好意を僕は抱えきれずにいた。所詮僕はそれまでの人間だったのだ。僕のような分不相応な器には君という光は眩しすぎたのだ。

 眩しすぎる光に人は耐えるように出来てはいない。太陽に近づきすぎたイカロスのように。飛んで火に入る夏の虫のように。

 これは全くもって君のせいではない。これは僕の性分の問題なのだ。生まれついた環境のせいにしようとしたこともあるが、それは余りにも卑怯であると思い直した。

 これは僕だけが有する特性なのだ。

 悔やんだことも無いではないが、年を経るにつれてこの救いようのない欠陥を、欠落を、僕自身が愛おしく思えるようになったということもある。

 時間というものは偉大だ。全てのものを美しくしてくれる。

 故に思い出というものは全てが美しい。忌むべき記憶も、壮絶な過去も、思い出というものは全て容赦なく残酷に美しくしてしまうのだ。

 もし。

 もし君が僕のことを少しでも憐れだと思うのであれば、どうか、どうか僕を君の思い出にして欲しい。

 そうなったときに初めて、僕はどうしてもなりたかったものになれると思うのだ。僕のこれまでの血反吐を吐くような努力や、惨めったらしい足掻きでは到底至ることの出来なかった、美しいものになれると思うのだ。


 だから僕は君にいて欲しいのだ。

 思い出というものは、たとえ世界中の誰であろうとも一人では成ることが出来ない。誰かがいて初めて、人は思い出に成ることが出来るのだ。


 僕は君の思い出になりたい。

 それが今この時に至って僕が唯一願う事なのだ。

 ありがとう。

 君に出会えて、心から良かったと思っている。

 愛を込めて。


 僕より、君へ。


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