adolescence
伊ノ守 静
第1話
寒さで紅潮した手でマフラーを外し、左右交互にペダルに体重を乗せて丘を登る。家を出るときには着けていた手袋はすでに学生鞄の中にしまってあった。速度が落ちる登り坂では吐き出した白い息が顔の横を流れていった。頂上まで来ると団地が広がっていてその一角に僕の通う高校がある。この辺りはずいぶん昔に丘を削って開拓された土地で、都内ではあるものの地方とさほど変わらない街並みが広がっている。春になれば山桜が咲き、夏になれば虫達が踊るように飛び回り、秋になれば銀杏や紅葉が舗道を染め、冬になれば突然色をなくした街をどこまでも見渡すことが出来た。僕は火照った身体を冬の冷たく乾いた空気に馴染ませながらゆっくりペダルを踏んで遊歩道を走った。
学校に着くとちょうどHRの鐘が鳴り始めた。僕はイヤフォンから流れる音楽にかき消されて微かに聞こえる教室の騒めきを感じながら階段を上った。教室にはまだ担任の先生の姿はなく、生徒達は所々に散らばって談笑していた。私が机のフックに鞄をぶら下げて席に着くと、どこかで話していた隣の席の眞弓が自席に戻ってきた。ブレザーは着ずにセーター姿で首にはマフラーをぐるぐると巻き、なんだかちぐはぐな格好をしている。眞弓は
「髪ボサボサじゃん」
とおはようを飛ばして私の風にさらわれてくしゃくしゃになった髪をからかった。
「時間ギリギリだったから気にしてられなかったんだよ」
僕は悴んだ手に吐息をかけながらそう言って笑った。
入学してからもう2回目の冬になるけれど、ここの冬は身体の芯まで冷え込む。東京の郊外からもっとそとへ行ったところでそんなに変わらないだろうと思うかもしれないが、周りの建物が少なくなるだけでも寒く感じられるものだ。教室の中は暖房が効いていて暖かいけれど、一歩廊下へ出れば床から冷気が漂ってくる。そのため女子生徒たちはこの時期になるとスカートの上からブランケットを巻いて、ちょこちょことペンギンのように廊下を歩いている。けれど、スカートの長さは夏だろうが冬だろうが短いままだった。
僕達は昼休みになるといつも階段の踊り場でたむろするのが最近の習慣になっていた。今日も昇降口にある自販機で飲み物を買ってから眞弓と一緒に踊り場へ向かった。壁にもたれて冷たい床に座っていた悠一は、階段を上って来た僕らを見て少しがっかりしたような素振りを見せた。そのすぐ隣で手摺に腰掛けていた凌也は微笑みながら軽く右手挙げて挨拶をした。
「床冷たくないの?」
そう聞くと悠一は気怠そうに立ち上がって
「冷てえよ。まじ。寒いから女子も全然通らないし。」
と言った。今日の収穫は無かったらしい。悠一が立ち上がったので私達は暖かい教室で時間を潰す事になった。悠一は机の上に身体を縮めて座ると、眞弓が買った缶コーヒーを両手で包み指先を暖めていた。「初めから教室に居ればいいのに」といつも思うのだけど、私は何となく言わないでいた。
私達が昼休みに決まって踊り場に居るのは、そこに悠一が居るからだった。何時からそうなったのか、また何時までそうしているのかは分からない。けれど、気付けば悠一がそこに居て、僕達も何となくその場にたむろする様になっていた。寒いなと思いながら過ごしていた私は暫くして、どうして悠一が踊り場に居つくようになったのかを知った。僕はそれに気づいた時思わず笑ってしまった。階段を女生徒が通り過ぎるたびに、悠一の視線は一年中変わらないあの短いスカートの中に注がれていたのだった。
「あんなものを見たがる気持ち、正直理解できない。何がいいの?」
と一度聞いたことがあった。その時悠一は
「逆に何で見たくないのか分からない。スタイルいい奴がいて、そいつがどんなパンツ履いてるか知りたくね?それがエロかったらアツいじゃん。」
と真面目くさった顔をして言った。僕はその屈託のない悠一の様子が可笑しくて、全く共感して居ないのに「確かに」と言って笑った。こういう事を話すとき、いつも悠一は真剣に何がどんな風に良いのかを力説する。それがなんだか可笑しくて、羨ましくて、僕は「うん」とか「確かに」とか言ってくつくつと笑った。それに覗き方が露骨なんだ。踊り場の床にふらっと寝そべるようにして見るものだから、相手は警戒して見えるものも見えなくなる。眞弓も時々真似して寝そべるのだけど、床に2人の男が下着を覗きたいがために寝そべってる姿が可笑しくて僕はまたくつくつと笑った。
始業のチャイムが鳴って悠一と凌也はそれぞれの教室へ帰っていった。教科書を机に置く音と喋り声が響く教室で、眞弓は腕を枕にして早くも突っ伏していた。そして先生が入って来て授業が始まっても、そのままの姿勢で眠り続けている。僕はいつもと変わらない退屈な授業を聞きながら、頬杖をついて黒板に押し付けられるたびにすり減って落ちていくチョークの粉をぼんやりと見つめていた。
adolescence 伊ノ守 静 @sei_anemone
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