第34話
伊吹の二の腕に噛みつくセシル。
眷属化という、持ちうる中で最も有効で、種として最も恥辱に塗れた手段を使うことに、しかしセシルという吸血鬼は躊躇わなかった。
それは吸血鬼という種としての本能。
自らの命を奪いかねないほどの強者を、だからこそ自らの手足として欲するという、生存本能に近しい根源的な欲求が彼女を動かした。
そんな一発逆転の一手は確実に成功し、セシルは一息に伊吹の血液を吸い上げる。
だが、
「~~~~~~っっ⁉⁉ オヴァエ‼」
だが血が一滴その舌に振れた途端、彼女は口を離して嗚咽する。
感じたのは耐えようのない不味さと、なにより生理的な嫌悪感。
本能が拒絶するように、喉奥から胃までが痙攣しセシルは吸い上げた血を吐き出した。
それが表す事実は唯一つ。
「ああ、そういえばそうよね。同族の血って不味いわよね。……私も経験あるからわかるわ」
「おまえ……もしや……‼ そうか! そういうことか……‼」
察するセシルに、絵葉は「イエス」と頷いた。
「そうよ。その男は鬼の子孫で……私の眷属。この意味がわかるかしら?」
伊吹と会ったとき暴走していた絵葉は何度も頭を潰され、息を止められ。心臓を貫かれた。
土壇場において意識のない絵葉が選択したのは、奇しくもセシルと同じ、吸血鬼としての本能に植え付けられた自己防衛手段である眷属化だ。
倒しても倒しても再生し続ける絵葉に対して集中力も切れてしまった伊吹は、不意を突かれて牙が刺さるのを許してしまった。
結果、伊吹は絵葉の眷属となる。
これに対して誰よりも後悔をしたのは伊吹ではなく目を覚ました絵葉だったのが笑える話だ。
加害者のくせして突然泣き喚き出した彼女の狼狽っぷりを、伊吹は今でも覚えている。
当時はなんじゃこいつと怪訝な目で見ていたが、考えてみれば当たり前の後悔だったのだな、と伊吹は理解出来た。
なんせ彼女は自らの手で失くしてしまったからだ。
心底から求めるとある方法を。
「≪自分を殺せる人間≫を眷属化してしまったのだから。ホント、勿体ないことしたわ」
勿体ないことはそれだけではない。
眷属化をしてから三日三晩、伊吹は高熱にうなされ生死を彷徨った。
それ自体は珍しいことではない。生物として根本から作り直される以上、その程度のことは当然のことだろう。
誤算はその後だ。
最初絵葉は、上手くいけば鬼の良いところと吸血鬼の良いところ、それを両立させた化物が生まれるのではないかとワクワクしながら伊吹の眷属化を見守っていた。
だが伊吹に眠る鬼の瘴気は突如現れた吸血鬼の瘴気に反応し、体内で猛烈な拒絶反応を起こした。
通常の眷属化よりも復帰するまで時間がかかるなぁ、と絵葉は適当にその間寝込んで苦しむ伊吹を、世話などすることなく眺めていた。
そして目覚める伊吹。……その結果は悲惨だった。
「まさかあれだけ体力落とすなんてね。筋力も反応も一段と落ちたのよね? 勿体ないわ」
起き上がった伊吹からは、吸血鬼になる以前に比べて圧倒的にスペックが低下していた。
そのことを思い出し、はは、と思わず乾いた笑いを浮かべてしまう絵葉。
最終的に出来上がったのはなんの能力も持たない吸血鬼擬きだった。
更に言うなら拒絶反応は治まったわけじゃない。
生きているだけで瘴気は体内へ取り込まれ続ける。
それ故に、伊吹の体内にある鬼と吸血鬼。その二種の瘴気は、今なお拒絶反応を続け、結果的に宿主の生命力を吸い取り続けているのだ。
全盛期、というか一か月ほど前に比べて筋力も反射速度も半減しているというのは本人談だ。
一見軽やかに見える伊吹の動きだが、本人にとってすればどうしようもなく減衰した体力にはまだ慣れていないのが実情だ。
にも関わらずあれほど戦えるのはそれほどの技術を叩き込まれているということになる。
──そして、今の伊吹がセシルに対して有効的な打撃を加えられているのもそれが要因になる。
簡単な話だ。
伊吹は五回分の鬼の瘴気を使いつくすと、再度瘴気が充填されるまで体内の瘴気が吸血鬼由来のもの一種類になる。
つまり一時的ではあるが、拒絶反応を終わらせることが出来るのだ。
その間は生命力が吸い取られることはなくなり、伊吹の身体能力は一時的に全盛期にまで引き上げることが出来る。
それが意味することはつまり……
────体が軽いのう‼
最後の干渉打撃以降、力が溢れる。
思考と同時に体が反応する感覚は久しぶりで、命懸けの場面でありながら面白さを感じる程だ。
強くなったわけではない。ただ以前に戻っただけ。
強いて言うなら吸血鬼としての純度が増して多少の再生力と身体能力向上があるが、逆に言えばそれだけだ。
セシルのように特異な力を持っているわけじゃない。
しかしこれこそが単純な大江伊吹の力量。
村上隆吾の弟子で、吸血鬼エヴァリエン・ヴァニーシャを圧倒した力。
ただ素の力を持って、吸血鬼に対し有効な打撃を打ち込める技量と腕力こそ大江伊吹最大の特性なのだ。
「────っ⁉ ふざけるな! たかが人間が、本気で私に勝てるとでも思っているのか⁉」
「出来るんじゃよ。お主は人間を舐め過ぎじゃよ……元人間」
……そしてもう一つ。セシルが勘違いしてることがある。
彼女は干渉の力が無ければ伊吹の攻撃は効かないと、そう判断していた。
それは事前にユーリから伊吹の使う技を聞いていたからだ。
いくら吸血鬼とはいえ体の内側を直接殴りつけるような打撃は脅威。
死ぬことはないとしても痛みで気を失ってしまっては拘束される危険はある。
だから最初に奥の手である鬼の異能を使わせて、あとは安全に狩りをしようと考えていた。
事実その甲斐もあって伊吹には決定打はない。
いくら有効な打撃を放てようが、それでも吸血鬼の再生スピードは異常だ。
痛みを無視して攻撃を喰らい続け、体力が切れるそのときまで我慢すれば自分が勝つ。
セシルは現状をそう判断した。……それこそが勘違いと知らず。
──そもそもとして、伊吹が得意とする『特定対象への衝撃集中』。
これ自体は鬼の異能などではなく、村上隆吾が得意としていた武術なのだ。
瘴気などへの概念的な対象打撃は別として、しっかりと形ある物……蟲の群体という僅かでも繋がった範囲であったり、内臓という見えないものであったり……。
そうした、実体として衝撃を繋げられる存在への打撃に関してなら……
「な、なぜ! 五百年生きた私がこ、こんなガキに‼」
…………伊吹にとって、異能に頼らずとも素面で出来るのだ。
「五百年か。……短いのう」
一息、呼吸を整える。握った拳を腰だめに構え、
────無門。
口の中で弾いた技の名は……受け継がれてきた業の名だ。
「儂の武術は千年の積み重ねじゃ」
一閃
放った拳の衝撃は皮膚を抜け肉を抜け骨に浸透し……吸血鬼の心臓のみを砕いた。
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