第33話


 闇に紛れたセシル。


 肉眼で確認することも、耳で捉えることも出来ないはずの完全なるステルスから放った攻撃は、しかし届かなかった。


 振るった腕に対し返って来たのは伊吹によるカウンターキック。


「……素人丸出しじゃな。気配を殺さず殺意も漏らし、現れる場所も取り敢えず背後、という安直な選択か」


 確かにセシルは強い。


 ただその強さとは獅子や熊などと同じく、生物としての強さだ。


 人間としての強さ、武としての強さではないと、そう伊吹は確信する。


 これまでの生において、彼女はその単純な種としての強さであらゆる敵を屠ってきた。

 故に戦闘数という数字は多いかもしれないが、戦闘経験という概念で見ればその実彼女は戦闘に関して素人と言えるかもしれない。


 それゆえの読み。


 敵を殺そうとした彼女が頭や心臓という急所を狙ってくることは簡単に読めたことなのだ。


 だからセシルは、自身の行動をあっさり読まれたことはまだ理解出来た。


 自身の速度に対応出来たのも読みによるものだとすれば、まだ納得出来る。


 しかし、それだけでは不可解なことがある。


「あぁあぁああ!!!??!!」



 ────────痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼‼



 腹部には重い痛みが広がる。


 生物として頂点に立つヴァンパイアが、下等な人間の放つ蹴りに何故苦しまねばならない。


 何故先程まで効かなかった一撃がこうまで響くのか……⁉


 それが不可解なのだ。


 自分と人間の間には絶対に埋まらない、種としての差があるはずなのに、どうして⁉


 あまりの、そして久方ぶりの痛みに対してセシルは敏感に反応し、手で抑えてしまう。


 乱れた思考と戦闘経験の少なさの表れとして、彼女は両の手を無意味に動かしてしまったのだ。



 ……武人である伊吹を前にしてするその行為は、自殺行為であるにも関わらず。


「────いくぞ」


 繰り出す連撃は速く精密で、強い。


 人中。活殺。水月。章門。曲骨。丹田。天道。


 伊吹は人体の急所と呼ばれるそれらをただ連続で打ち抜いていった。


 脳内では受け入れがたい痛みと下等な種に打ちのめされるという、ありえない現実が彼女を追い詰める。


 一度始まった伊吹の連撃に隙はない。


 何度とも防ごうと藻掻くが、まるで透けるようにセシルのガードは抜かれ続けた。


 だが彼女とて高位のヴァンパイア。


 修羅場の数こそ少ないがなに一つとして死線を潜ってこなかったわけではない。通常の人間より圧倒的に長く過ごしたその経験は、こんな状況においても自身が持つ優位性を見失うことなく最後の手段に打って出る。


「舐めるなぁああああ‼」


「っ?」


 叫びとともに行うはガードなどを捨てた脚力任せの突撃。


 伊吹が拳を振るえる範囲よりも、更に内側へと身を逃した。


 当然、ただ逃れたわけではない。


 互いが拳を振るうことすら出来ない程に密着した状態で、だからこそ使える手段がセシルにはある。


 それは吸血鬼にとって最大の自己防衛策だ。


 どれ程強い相手だろうが、その強さを無意味に帰す方法が吸血鬼にはある。


「────‼」 


 セシルは伊吹へと噛みつく。


 ────吸血だ。


 セシルは今、伊吹に眷属化を実行しようとしているのだ。


 敵対する者を自身の眷属にしてしまえば、それだけで相手は上位者に力を振るえなくなる。


 血の縛りによって敵を支配する。


 吸血鬼にしかできない、最高に有効的で、最低に屈辱的な『逃げ』の手である。


 方法は簡単。


 相手の血を吸い、自身の血を与える。この交換によって絶対的な隷属関係が生まれる。


 セシルは口を大きく開き、飛びついた。


 伊吹が咄嗟の判断で腕を上げ、致命傷となる首を庇うように対応したのは武道家としての条件反射だ。


 しかしそれはセシルにとって意味の無い行為。


 部位などどこでもよく、ただ噛みついて血の交換をすれば眷属化が成り立つ以上、素肌を晒した腕でも問題はない。


 鋭い牙は伊吹の左腕に突き刺さり、そこから血を吸わんとする。

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