第30話

 走る。


 闇夜の江戸の町。


 明かりは少ないが、伊吹はその体に持つ降魔の特徴ゆえ夜目において不自由はない。


 それに今夜は満月だ。月が照らす街道は朝と打って変わって静かで、気味悪くすらある。


 人が出歩いていないこと、そして家屋から物音すらしないことから恐らくどこにおいても似たようなことが起きているのだと推測出来る。


「────絵葉‼」


 誰もいない、物陰も無い道の真ん中で男は叫ぶ。


「なによ、いきなり大声出しちゃって。近所迷惑もいいとこだわ」


「うおっ!」


 突然の出現には慣れたものの伊吹だが、しかしいつの間にかと言った感じで伊吹の肩上に出現した絵葉には流石にびっくりする。


 しかし体勢は崩れども駆ける速さに変化はない。


 冗談めかしで緊張感の無いその様子に少しばかりのいらつきを感じた。


「……お主、知っておったなら何故言わなかった」


「なんのこと?」


「とぼけるな。今この街にいる蟲は吸血鬼の仕業じゃ。同族であるお主が気付かぬはずがない」


「なに? 怒ってるの? お姫様が体に毒を流されていて、それを黙ってたことを?」


「当り前じゃ‼」


「おかしなことを言うものね、大江伊吹」

 

 絵葉は首を振り、呆れた表情を浮かべた。


「育ての親を殺され、それでも涙一つ流さなかった貴方が誰かのためどうしてそこまで怒れるのかしら? 最初の予想とは違ってユーリは逃げる気も隠れる気もなさそうなわけだし、さっさと彼女には死んでもらって無駄な契約なんて白紙にした方が効率的よ」


「そういう問題ではない‼」


「じゃあどういう問題なわけ? あんたならこう言うと思っていたのだけど? 『死ぬのは弱い方が悪いだけだ』ってね」


「……っ‼」


 言われてどうしても思い出してしまうのは昼間のやり取り。


 絵葉の言う通り、儂ならそう言うはずだ。……しかし何故そう言えないのか。


 正直自分でもわからない。




 ……誰とも触れることなく育った伊吹にとって、その感情を表す言葉を今は持ってない。




 伊吹の足が止まった。止まったその肩から絵葉は身軽に飛び降りて、着地する。


 視界に入らなかったからわからなかったが、その格好は江戸に入る際目立たないようにと着替えた町人風の衣装ではなく、白と黒のヒラヒラした西洋風の着物。


 初めて会ったときに着ていたものだ。


 立ち止まり、伊吹は答える。


「……誰かを殺すために鍛え上げたこの拳は死を生む。だから儂は決して死を悲しまない。それは今まで築き上げた自らの鍛錬に対して、そしてなにより殺した命に対して無礼だからじゃ。殺すことも殺されることも、それを事実として受け止める覚悟を持って生きておる」


「だからなに? 要するに命に対して無頓着なだけじゃない」


 絵葉の言葉に、伊吹はだが、とだけ。一言それだけ言い、続ける。


「だがそれは、今ある命を否定するわけではない。失われたものを悲しみはしないが、それでも失われようとするものに対して誠実でありたい。そう思うのは矛盾か⁉」


「今までのあんたはその矛盾を矛盾と捉えなかった筈よ。それが今更?」


「……知るか! ただ……。ただどうしても許せなくなっただけじゃ」


 他所から見たら涙の無い鬼にでも見えるのだろうか。


 それでも構わない。それもまた大江伊吹という歪な存在の一面なのだから。


 だがそれでも。例え涙の無い鬼と言われようと、血潮ある人だと儂は自分を信じている。


「……なによ。偉そうに言ってるけど、それってただ無くしそうなものを惜しんでる強欲な奴ってことじゃない」


「強欲? 上等じゃ。儂は鬼。金銀財宝美酒に美女。日ノ本全土から全てを奪おうとした強欲の化身じゃぞ!」


「物語的には英雄に殺されちゃうんだけどね」


「ふっ、尚更安心じゃな。幸いなことに、儂が相手するのは化物だけじゃ」


「……はぁ、この国の人間ってのは、もっと要領よく出来ないのかしらね」


 溜め息一つ。絵葉は軽く頭を抱えて……



「もうわかってるんだろうけど、念のために教えてあげるわ。今この街中で起きているのはようするに通常の眷属化とは違う、蟲を媒介とした瘴気のまき散らしよ。極少量の血しか注入しないことで吸血鬼化を手前で止めて強制的に拒絶反応を誘発する、つまりは大量虐殺ね。解決する一番簡単な方法は……」


「蟲の支配者である上位吸血鬼をぶん殴る、じゃろ?」


「その通り。で、問題は次。蟲を眷属化する、なんて悪趣味な手法取ってる吸血鬼は、私が知る限り一人だけ……」


 それは……


「────私のこと、かしらぁ?」



 上からの声に視線を上げる。



 ひどく艶かしい、それでいて気色の悪い女の声だ。

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