第29話

 朔夜を通じ得た瘴気の根源。


 その瘴気の種類とでも言うべきか……伊吹はソレを知っている。


「おいおい、こっちも大変じゃあねえか」


「……牡丹。佐鳥さんがどうしたんじゃ?」


「あ、ああ。酒飲んでたら急に倒れてよ。ひどい熱にうなされてんだ」


 部屋に入って来た牡丹は朔夜の様子に驚きつつ答える。


 それを聞き、伊吹は今起きている状況をはっきりと理解した。


 今の事態がどうやって……。そして何処で起きているかを。


「……っ! 伊勢は外よりお医者様を呼びに……!」


「そうした方がいいかもな。同じ長屋で二人もってなると、俺たちの方も心配だしよ。……にしても外っていや……」


 牡丹は少し困惑した様子で雨戸の向こうに顔を向けた。


 怪訝そうな表情で、いつもとの違いを口にした。


「……なんか今日、だいぶ静かじゃないか?」


 牡丹が言うように、外の静けさは昨日経験してものより余程大人しい。


 しかも今夜は満月。


 明るさもあるこんな日は夜遊びする輩もいるものだ。


 だがその理由を伊吹は察した。外を覗こうと牡丹は雨戸をがらりと横に引く。引いてしまう。


 そして室内の明かりが外へと漏れ出し……


「随分真っ暗だなこりゃ……って! うをぉ⁉」


 バン‼ と急いで牡丹は雨戸を再度閉めた。


 続いてその雨戸に向かって何度もなにかがぶつかる音が断続的に響く。


「あっぶねえなぁ‼」


「どうされたのですか、牡丹殿」


「蟲だよ、蟲! 外にうじゃうじゃいやがったんだよ! お、ここにも!」


 バチンと自分の腕に止まっていた蟲を叩き落とした牡丹。


「なるほどのう……」


「なんでぇ呑気に。……って、なに急に俺の匂いなんて嗅いでやがるんだ!」


 牡丹の体に鼻を近づけ鼻を利かす。嗅ぎ取れるのは汗と、なにより……


「……火薬と煙の匂いがする」


「あ、ああ。そりゃあ俺は火薬師だからな。部屋中燻されてるもんだぜ。────なにか悪いってか⁉」


 んなことはない、と伊吹は否定した。


「無事なのは刺される前に察知出来る儂と伊勢。虫が嫌がる煙で全身燻されてる牡丹だけ。てことは、だ」


「……⁉ そうか! 原因はこの蟲にある、そういうことか⁉」


「伊勢のくせに察しがいいのう。まあそういうことじゃ」


「しかしそれがわかったことでどうなのだ⁉ 医者の元に連れて行こうにも外がそんな蟲ばかりでは……‼」


「おいおい、言い争うのもいいけど、外は結構ヤバいぜ。……あらよっと」


 牡丹の言う通り、蟲とは思えないその集合体による突撃は勢いを増している。


 しかしそんな風に問題提起をしつつ、隙を見ては外に爆弾を放り投げてるその冷静さは大したものだと非常時ながら感心する。


「……い…ぶ、き……」


「っ⁉ 意識が戻ったか⁉」


 浅い息を吐き、朔夜が名前を呼ぶ。


「……近くに……よれ」


「……なんじゃ」


 朔夜は半身を起こして伊吹の耳元に口を近づけた。


 彼女は力無く寄りかかり、問いかける。


「……わたしの体にある瘴気を……お前の力で消すことは、可能か?」


「……難しい。干渉するには情報が少なすぎる。せめて誰がどんな力でやったのかぐらいはわからんと」


「そ……うか」


 伊吹の言葉に納得し、彼女は顔を伏せた。


 絶望とか落胆ではなく熱によるものなのはわかっているが、伊吹はその様子に何故か痛みを覚える。


「……すまんな。上手く安心させることも出来んで」


 誰が悪いでもなく、しかし何故か覚える罪悪感という痛みは、無力感から来るものだ。


 ……弱さは悪ではなく、結果じゃ。


 弱い者は負け、命を失う。


 それを悔やんだり恨んだりすることは間違いだ。


 負けた者が弱かっただけで、それは仕方のないことでしかない。


 ……そう思っていた……はずだった。


 にも関わらず……


「……なぜ儂は、助けられない無力さを悔やんでいる……っ!」


 兄弟子に負けたときも、師匠に意識がなくなるまで殴られたときも、山の降魔相手に殺されかけたときにも抱くことなかった無力さへの後悔を……儂は今得ている。


 これまでの経験では言語化できない感情だ。


「……ふん。さいしょから、山猿に、きたいなど……しておらん」


「……言ってくれる」


 だが、と伊吹は言葉を切った。朔夜の手を力強く握り、安心せい、と。


「治し方なら知ってる。安心せい。まだお主には借りがある。返してないのだから勝手に死ぬんじゃないぞ」


「かり……だと?」


「ああ」


 そうした感情をすべて心の中に仕舞い直し、伊吹は「よし」と立ち上がった。


「めざし一本分、お主からは多く貰ったじゃろ?」


「ふふ。将軍家のわたしの命が……めざし一本分か……」


「馬鹿を言え。どれも大切で等しい命じゃ」


 伊吹の言葉に朔夜は笑う。


 こんな根無し草のような男を、しかし頼れると感じるのは気でも狂ったのだろうかと思いながら。


「伊勢と牡丹はこの家を守っておれ。今はまだ意識あるようじゃが、これ以上刺されるとどうなるかはわからんしな」


「お前はどうするのだ⁉」


 伊勢の問いに「そんなこと決まっておるじゃろ」と彼は当然のように振り返る。






「元凶をぶん殴ってくる。それだけじゃ」

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