第27話



「よいか‼ 湯屋に来たとき刀はここに‼ 武士の魂を適当に衣服の山へ突っ込むなど言語道断だ‼」


 同じ浴槽にいたのが儂だと気づいた朔夜は、顔を真っ赤に染めて胸を隠し、そのまま湯の中へ落ちていった。


 今は湯あたりから復帰し、休憩室で説教を受けている最中だ。


「いやぁ、すんませんね旦那。随分長いこといたし、刀掛けのとこにはなんもなかったしでいつの間にか帰ったもんかと」


「店主よ。悪いのはこの物知らずな山猿だ。気にすることは無い」


 それだけ言い、一行は店を出る。外はとっくに暗くてどうやら随分長いこと時間を

費やしていたようだ。


 腹の虫もまたその事実を告げかのように鳴き声を上げた。


「早く帰るぞ。遅くなってしまったが佐鳥さんがご飯を用意してくれているはずだ」


 帰り道を行く朔夜。彼女は片手で荷物を持ち、空いた方の手で首筋をなんどか掻いた。


「……どうしたんじゃ?」


「蟲かなんかに刺されたようだな。痒い。……不覚だ」


「蟲程度に不覚もなにもなかろう。……まあ儂は刺されたこと一度もないがな。刺される前に潰すし」


「腹立つわね……!」


「ちなみに伊勢も蟲に刺されたことはありませぬぞ! 刺される前に潰せますので!」


「……おめぇ、少しは考えてから喋った方がいいと思うぜ。仮にも主人相手だぞ」


 朔夜が不満顔で伊吹を睨みつけ、空気を読まず被せる伊勢。


 今日の晩飯はなんだろうか。そのことを考えると自然足が速くなるものだ。


 しばらく談笑しながら進む。


 空腹を感じるが、暖かくなった身体を冷ます夜風が気持ちよくてあまり気にはならない。


 そして長屋の姿が見えて来た。


 灯りはまだついており、まず伊勢がなにも考えず先へ行った。


 追うようにしてその場の全員が一歩を踏み出さんとする、その瞬間、


「うら若き乙女を放って随分楽しそうで。────大江伊吹殿」


「うぉっ⁉」


 突然掛けられた声に伊吹は思わず声が出た。


「────ねえ、私のこと覚えていたかしら? 昼間に自分がなんて言ったのか覚えているかしら?」


 背後。闇しかない空間からスッと顔を出した彼女の声には、怨嗟が籠っている。


「暗くなる前には帰る、とか嘯いたのはこの口でしょう……か⁉」


「痛い痛い痛い! ちょっ……待て絵葉……!」


「この娘は……」


 ぐいーっと力強く伊吹の口角を下へ引っ張る幼い少女。


 闇夜に映える金髪は、確か一度だけ見た覚えがある。


「絵葉殿、だったかな……?」


「どうも、お姫様。うちの馬鹿猿がお世話になっているようで」


「むっ……」


 お姫様などという大仰にへりくだった呼び名もそうだが、なにより「うちの」という単語に少しひっかかるものを感じる朔夜。


 同時に何故そのような感情を抱くのか自分でも不思議に思う。


(……いや、間違ってはいない)


 特に所有欲があるわけではないが、しかし現状この山猿の身柄を握っているのは私ではないか。


 では所有権を持つのも私という訳で、故にこの感情は正しいと自分のなかで判断する。


「……脱獄しておいてよく堂々と顔を出せたものだな、降魔の女よ」


「まあまあ。こうして伊吹が釈放されてるわけだし、無罪放免だったんでしょ?」


「なんだ? 伊吹の女かなんかか?」


「……気色の悪いことを言うな。ただの協力者じゃ」

 

 うぇ、と心底嫌そうな表情を浮かべる伊吹。


「否定するのは構わないけど気色悪いってなによ、気色悪いって。振られたみたいで腹立つんですけど。……あとホントいつまで待たせるのよ」


 それはまあ……と伊吹はバツの悪そうな顔を浮かべた。


 夕方ごろに帰るから待っておけと伝えたが、今や日は落ち夜の入りかけだ。


 待たせたことは負い目だし、非はこちらにある。


「はぁ……すまんな。朔夜の奴がぶったおれてしまってのう」


「わ、私が悪いとでも言うつもりか⁉」


「悪いとは言っておらん。が、事実は事実じゃろ?」


「元はと言えば貴様が女湯になど入っているのが……っ!」


 そんなくだらないやりとりをぼうっと眺めていた伊勢は、やっとこさこの少女が何者なのかを思い出す。


 ポンと手を打ち、


「伊吹よ伊吹よ。この童、確か貴様を捕まえたときにいた娘だろうか……?」


「今更気づいたんか……」


「イエス。はるばる海の彼方からやって来た哀れな吸血鬼。エヴァリエン・ヴァニューシャよ。よろしくね」


「え、えぶぁ? ばなんとか? ……伊勢には難しい名前ですな」


「……絵葉でいいわよ。ちょっと、この国の人たちはもう少しベロを鍛えた方がいいんじゃない?」


 何度も噛みそうになった伊勢を見て、絵葉は呆れ気味に顔を振る。


「……なあ、おい。吸血鬼ってのはなんだい?」


 牡丹の問いに、絵葉は得意気な顔で答える。私考案の和名よ、と。


「欧州の方ではドラキュラやヴァンパイアと呼ばれているのだけれど、やっぱ所変われば名も変わるってものでしょ? 血を吸う鬼と書いて吸血鬼。……うーん、自分のことながら的を射た翻訳ね。実に本質を突いた漢字になってるわ」


「鬼ってことはつまり……」


 にやり、と。少女は闇夜に妖しく映える色めかしい笑みを浮かべながら……


「────ええそうよ。私は降魔。それもとびきり凶悪な、ね♪」


 齢の頃は十四か十五。だがその醸し出す雰囲気は到底少女のものではない。


 問うた牡丹はぞくりと背中に悪寒が走るのを感じた。


 経験上わかるのだ。これは本物だ、と。


 人生において知性ある降魔なるものは何度か見たことあるが、これはその中でも別格だ。


 そんな畏怖の念を露知らず、絵葉は風呂上りの一行からなにかを察知し、近づく。

 

「────すんすん。……あら?」


 鼻をひくつかせ一行の匂いを嗅ぐ様子を「豚みたいじゃな」と茶化した伊吹に一撃を喰らわしながら、絵葉は朔夜のある一点に目を付けた。


「これって……」


 じっと朔夜を眺める絵葉。


「なんだ……?」


 不気味な様子の絵葉に、朔夜は警戒しながら問いかける。


「……くすっ♪。いいえ、なんでも。さ、それじゃあさっさと帰りましょ」


 楽しそうに愉快そうに。


 質の悪い悪戯を思いついた子供のように弾んだ声は、しかし彼女自身によって即座に払拭された。


「私住むとこないのよ。今日だけでもこちらで過ごしてよろしくて?」


「別に構わないけど……狭いわよ」


「いいわよ。野宿もボロ屋暮らしも慣れてるわ。伊吹もそれでいいかしら?」


「儂に否定する権利はないからのう……。朔夜がええんならええんじゃろ。──それより腹が減って限界じゃ」


 それならよかったわ、と絵葉は笑みを浮かべ……


「あっ。待ってる間アンタらのご飯食べちゃったからもう無いわよ」


「な、なんじゃと⁉」


「大家さんがいいって言ったんだもーん」




 絵葉は笑い、先に長屋へ入る。


 幼い少女の容姿に見合った屈託のない……素敵な笑顔で。

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