第26話
そんな感じでそれぞれの良さを楽しみながら冷水を被ったりしていると、段々隣の男湯が騒がしくなったのを悟る。
どうやらそれなりの時間浸かっていたようだ。
「そろそろ出るかのう……」
言いつつ、しかし腰を上げる気力が湧いてこない。
「────ぁ」
ぼーっと天井を眺める伊吹。どこか遠くで音が響くが、振り向くことはしない。
「────ぃ?」
「……ぁぁ」
なにかを問われた伊吹は適当に相槌を打って、立ち上がる準備をした。
……流石にうだってきたことだし、出るとしよう。
意識を確立させる。四肢に力を込め、一気に動こうとする……が、
(今のは人の声か……?)
ようやく気付く。
今この浴場には自分以外に人が、しかも複数いるということに。
「では隣、失礼する。この浴槽は三人も入ると狭くてな」
「牡丹殿基準になった向こうの温度は、伊勢には辛いです……」
「私も茹だってしまったな。頭が沸騰しそうだ」
すぐそばで声がする。その主は立ち込める湯気にこちらの姿を視認出来ないのか、無警戒に寄って、座った。
「む、そなたも鍛えているな。女子にしては随分ゴツゴツ……と……」
声の主と肩が触れ合う。
湯船に何人も入れば窮屈になるもので、それは致し方ないことだ。
問題なのは……
「んな……な……‼」
目と目が合う。
至近距離にて確認してその顔は、長く風呂に浸かっていた自分を追い抜く速さで赤く、茹で上がる。
「おお! 伊吹じゃないか。お前もここに来ていたのだな」
「あ、ああ。そっちは仕事終わったのか……」
「うむ。伊勢の分の仕事は朔夜様が半分以上やってくださってな。おかげで早く帰れたぞ」
「そ、そうか……」
「なんだ、お前も来てたんか⁉ こっち来いよ。裸の付き合いってやつだ!」
通常の湯船の方。ガンガンに煮えたぎるお湯の中で漢らしく腕を組むのは牡丹。
明らかに人間が浸かってよさそうな温度ではなく、もはや熱湯ではなかろうかというそこで彼女は余裕そうに笑って見せる。
「い、いや。遠慮しておこう……」
自分が思う以上に世の乙女というのは恥じらいとかそういうのはないのだろうか。
女子に関しての知識などはおっさんやユーリから聞いた話でしか知らず、もしやそのせいで今まで女子なるものを勘違いしていたのかもしれない。
伊勢や牡丹の反応を見ているとそう思わざるを得ない。
……ならば!
意を決して朔夜を見た。
餌を求める金魚のように口をパクパクとしているが、しかし怒っているとかそういう感じではない。
顔が真っ赤なのは湯に当たってのぼせているのだろう。隣にいる伊勢だってそうだ。
朗らかに笑いながら、顔は赤い。湯に入っていればそれは自然なことだ。
以上のことにより伊吹は理解する。
……世の女性というものは意外におおらかなのだ、と。
それが常識なのだとしたらおっさんの教えなどドブに捨てて彼女らの感性に従うがこの場における正解だ。
下手に騒がず堂々としてればよいだけのこと……
────いや違う!
伊吹は自分の中に湧いてきた解答を否定した。
今儂は誰を基準にものを考えた⁉
アホの伊勢ではないか!
よく考えろ。それは間違いなく罠だ。
朔夜を見てみろ!
今は怒りや理性などより先に驚きが来ているだけのこと。
ここから一手でも間違えればなにを言われるかわからない。昨日の夜も合わさって今度こそ変態という不名誉な烙印が押されること間違いないだろう。
ではどうすればよいのか。
脳裏に浮かぶは、幼き頃聞いた兄弟子の教えだ。
~~~~~~~~
『いいですか、伊吹君。もし女性を怒らせてしまったとき、または怒りそうなとき、男性の我々はどうするべきかわかりますか?』
『そりゃあ……普通に謝るべきじゃろう。誠意をもって謝罪をすればわかってくれよう。……というかこれなんの教えじゃ』
『いいから覚えておきなさい。当然謝ることも必要ですが、もっと良い方法があります』
それは……
『────褒めて褒めて褒めまくることです。褒められて嫌な気分になる人間はいませんからね。……ちなみに私はこれで三股がバレたとき、一人の方から刺されるだけで収まりました。つまり成功率は六割六分です!』
~~~~~~~~~~~
────思い出したぞ!
この判断に至るまでの判断は早い。凄いぞ儂!
兄弟子の教えを思い出せたことを自ら褒めつつ、伊吹は思考を加速させた。
────ではなにを誉めればよいのだろうか?
時間はない。必様な情報を集めるために隣の朔夜を隅から隅まで観察した。
雫が弾ける珠のような肌。長く、よく手入れされた美しい黒髪。
そのなかで何を第一声として取り上げればよいのか。
並居る候補を脳内でまとめ上げ、そして……
「お主、意外と胸がでかいのう!」
「なぁあああああ‼‼」
────どうやら一手目を間違えたようだ。
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